魔術師列伝

カルチャー|2022.3.11
澤井繁男

 第8回 トンマーゾ・カンパネッラ(1568―1639年)(1)

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 カンパネッラといえば、宮澤賢治(1896-1933年)作の『銀河鉄道の夜』の副主人公の名前であることは周知の事実である。本作の主人公は(賢治の表記では)ジョバンニとカムパネルラで、2つの名前を合わせると、ジョバンニ・カムパネルラとなるが、これは今回取り上げる、トンマーゾ・カンパネッラの幼名に等しく、14歳でドミニコ会の修道士になったのち、トンマーゾを名乗ることになる。『銀河鉄道の夜』の評価はべつとして、個人的な視点では賢治とイタリア文学との関わりにやはり注目せざるを得ない。

大西祝(はじめ)

短い人生で彼は、「日本哲学の父」とも「日本のカント」とも称えられている大西祝(はじめ)(1864―1900年)著『西洋哲学史』(1903年)を、盛岡高等農林学校時代(19歳)に読んで、カンパネッラを知ったと思える。カンパネッラの幼名を知って登場人物である2人に割り振ったのであろう。だから二人で「一」であって、一神教のキリスト教への想いを髣髴とさせる。またこのジョバンニをサン・ジョヴァンニ、つまり「洗礼者ヨハネ」だと述べる研究者もいる。洗礼者ヨハネはご存じのように、キリスト出現の道を整えた人物であった。賢治の信奉したのは日蓮宗だが、同一人物が他の宗教であるキリスト教に目を向けても何ら矛盾はなく、反って「普遍世界」を体現せんとした賢治の姿勢がうかがえる。

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実在したカンパネッラの名を今日まで留めている代表作『太陽の都市』(邦訳名『太陽の都』1602年執筆、1623年に刊行)というユートピア作品に賢治が関心を抱いたとも推察される。必ずしも私は賢治の良き読者ではないけれども、彼がいつも「どこにもない場所」=「ユートピア」を求めていた気がしてならない(事実、賢治は地元岩手県をモデルとした理想郷、イーハトヴやイーハトーヴォを想定している)。大雑把にいえば「空想に近い理想社会」である。そこは、合理的・調和的・有用的な世界で、ある一定の秩序下におかれている。どういう人物が住まっているかというと、道徳的に良いひと・自己実現をしているひと、しようと目指しているひと・自由を愛するひと等々、いわゆる「善良なひとたち」である。

ユートピア作品の歴史は古代ギリシア時代に淵源を持つが、16世紀末期から17世紀前半を生きたカンパネッラにあっては、そもそも「ユートピア」の内実が変容してしまっている。

変わった点は図示(正面図)しているように、「知」へのこだわりであり、300年前のダンテ(1265―1321年)の「煉獄篇(浄罪界)」の図と比較してみると、時代による変遷がよくわかる。期せずしていずれもソフトクリーム状だが、カンパネッラの故郷、カラブリア地方の山村スティーロを訪れたとき、彼の銅像を背に立った私は、目のまえのコンソリーノ山の山肌に這いつくばるようにして家々が建っているのを見上げて、『太陽の都市』の原風景を知った。私はぐるぐると回る山道を巡って頂上に着いた。そこには修道院があった。『太陽の都市』では「神殿」だった……。そこにはカンパネッラの描こうとした「理想都市(理想郷とは微妙に異なる。理想郷には「桃源郷」のように東洋的ニュアンスがある)」があった。

理想都市ではレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)の、中世都市から脱却した「新しい都市」が著名である。その特色は、「人間の尺度」に合わせて造られるべき都市を指す。合理的形態によって完全に達成された機能性との融合であり、空想ではなくイタリア都市国家の現実的願望に根差していた。ダ・ヴィンチは招かれて滞在したミラノ公国の首都ミラノを、自然の「理法」(自然の内奥に浸透して生きており、自然を動かし導き、その「必然性」によって自然を規制する法)に叶った都市に変えようと試みた(15世紀末)。

〈第8回(1)了、次回は3月25日〉

レオナルド・ダ・ヴィンチによるイーモラの都市計画図(1502年)

参考文献
カンパネッラ著 近藤恒一訳『太陽の都』岩波文庫,1992年
澤井繁男著『評伝 カンパネッラ』人文書院,2015年
LA CITTA DEL SOLE ,in BRUNO e CAMPANELLA,a cura di LUIGI FIRPO , CLASSICI U.T.E.T ,1949

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