魔術師列伝

カルチャー|2022.2.11
澤井繁男

第7回 ジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600年)(1)

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 ついにこの人物の番が来た。このひとは世界でも日本でも、多くの研究者がいる。恩師の清水純一、ブルーノの著作を意欲的に翻訳している加藤守道、新鋭では岡本源太等である。世界的に大きな存在としては清水教授とも親交のあった、イギリスの思想史家で、新プラトン主義やヘルメス思想の論考で著名なフランセス・イエイツ(1899-1981年)がいた。
 私はと言えば、フィレンツェ滞在中に、共和国広場よこの大手の書店で、(Grandi Autori,
Giordano Bruno, 監督:Giuliano Montaldo 〈1930年―、イタリアの名優、映画監督〉)というDVD をみつけ狂喜して購入した。ブルーノがヴェネツィアを訪れてからローマのカンポ・ディ・フィオーリ広場で、1600年焚刑に処されるまでの10年間ほどを描いた重厚な作品だった。

ジョルダーノ・ブルーノ

さて、ブルーノの思想に言及するまえに彼の人生の足跡をたどってみよう。
 彼はナポリ北東部にあるノラという町に生まれ、17歳でナポリのドミニコ会修道院に入る(ここで当時の南伊の知識人がほぼドミニコ会員であることを銘記してほしい。13世紀にローマ教皇から認可を得た修道会にはもうひとつ、フランチェスコ会がある。この二つの修道会はおおざっぱに言って、ドミニコ会が学術重視、フランチェスコ会が清貧尊重であり、知識派と生活派に分かれる)。入会後ブルーノは反アリストテレス、反スコラの傾向を強めてゆき、27歳で神学博士の学位を得るも、28歳のとき修道院を脱走し、それ以後、北伊からアルプス以北の国々を遍歴する。そして、それぞれの地域で著作を刊行している。

於・パリ:『イデアの影』、『灯火を掲げる者』(ともに、1582年)。
 於・ロンドン:『原因・原理・一者について』、『無限、宇宙および諸世界について』(ともに、1584年)、『英雄的狂気』(1585年)といった代表作を発表している。
 於・フランクフルト・アム・マイン:『三つの最小者について』、『モナド論』、『測り知れざる巨大者について』(ともに、1591年)が、後期の3部作と称されている。

フィリップ・シドニー(1554-1586) 『傲れる獣の追放』と『英雄的狂気』はフィリップ・シドニーに献呈された

これだけではないが、とにかく著作を精力的に公表していったブルーノだが、ソルボンヌ大学・オックスフォード大学・パドヴァ大学で、希求したのに正規の教授職には就けなかった。パドヴァ大学のときの職種は数学科教授を求めたが、気の毒なことに代わりにガリレイ(1564―1642年)がその座に就いてしまった。

そうこうするうちに、ヴェネツィアの大貴族モチェニゴから家庭教師(主に記憶術)の要請を受けてイタリアにもどった(1592年)のだが、モチェニゴに訴えられ(先述の映画では〈黒魔術〉伝授ゆえ)、異端審問所が介入して来て、最終的にローマの異端審問所へ送られる(1593年)。ヴェネツィアは自由を重んずる共和国であり、映画では、まずヴェネツィアでの異端審問が細やかに描かれ、最終的に異端の烙印を押されて、ローマへの船上のひととなる(船上での独白が感動的である)。

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 ブルーノの思想だが、研究し尽くされた人物であるだけに、いちがいには言えないが、
拙文では大きく4つに分けて、簡潔に記していこう。
 1つ目は、「人文主義」の思想である。これはフィレンツェ・プラトン主義の流れをくんでいて、具体的にはマルシリオ・フィチーノ(1433-99年)やジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミンドラ(1463―94年)が主唱したもので、新プラトン主義とヘルメス思想に源流がある。

ヘルメス・トリスメギストス ギリシア神話のヘルメス神と、エジプト神話のトート神がヘレニズム時代に融合し、さらにそれらの威光を継ぐ人物としての錬金術師ヘルメスが同一視され、ヘルメス・トリスメギストスと称されるようになった伝説的な錬金術師。
マルシリオ・フィチーノ
ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ

2つ目は、「汎知学」の潮流である。知識というものは、自然であれ宗教であれ、また神学であれ哲学であれ、それぞれを切り離して考察するべきではなく、ひとつの全体的知識体系に組み込まれている百科全書的な思考形態だ、という主張である。これをある意味で顕現しているのが、「記憶術」である。これこそがブルーノの思想を際立たせる第一義的なものとされている。

記憶術は主に、二分される。一つは原理的部分で、記憶が人間の頭脳のなかでどのように成立するかを解き明かそうと意図している。二つ目は応用的部分で、上記の原理をいかに応用してすみやかにかつ正確に記憶できるかに論及している。これは自然哲学者という枠を越えて、人間の知の蓄積のありかたにまで思考をめぐらしたものとして、画期的な着想であった。

3つ目は、自然哲学の分野で、宇宙の「無限」を考えている。この背景として、古代ギリシアのデモクリトス(前460?―前370?年)、エピクロス(前341?―前270年)、パドヴァ学派の重鎮ピエトロ・ポンポナッツィ(1462―1525年)などの唯物的な自然観を支持し、さらにこの時代・地域の自然魔術師のなかではただひとり、コペルニクス(1473-1543年)の太陽中心説(地動説)に賛同している。ブルーノは、『無限、宇宙および諸世界について』で、こう述べている。

エピクロス

数え切れないほどの太陽があり、私たちにいちばん近い太陽の周りを7つの地球が
 回転しているのと同様に、これらの太陽の周りを無数の地球が回転している。

※T.バーギン/J.スピーク 編 別宮貞徳 訳「無限、宇宙と諸世界について」『ルネサンス百科事典』原書房,1995年

この文章は当時の時代思潮に鑑みて、明らかにまずい。当時の宇宙観では、太陽は数え切れないほどではなく1つであり、7つの地球は地球以外もそれぞれ固有の名称のある惑星であり、無数の太陽の周りを無数の地球が回転しているのは、宇宙の「無限」ではなく「夢想」にすぎない。ブルーノは、第3回で名前だけ紹介したニコラウス・クザーヌス(1401―64年)の無限宇宙論の影響下にあることが知られているが、クザーヌスが数学的見地に基づいて論を構築していったのにたいして、ブルーノは発想じたい、哲学的ではなくむしろ「詩的」ロマンティズムに充ちていた。

〈第7回(1)、了〉次回は2月25日です。

平凡社,1994年刊

参考文献
岡本源太著『ジョルダーノ・ブルーノの哲学 生の多様性へ』月曜社,2012年
清水純一著『ジョルダーノ・ブルーノの研究』創文社,1970年
清水純一著『ルネサンスの偉大と頽廃  ブルーノの生涯と思想』岩波新書,1972年
ジョルダーノ・ブルーノ著 清水純一訳『無限、宇宙および諸世界について』岩波文庫,1982年
ジョルダーノ・ブルーノ著 岡本源太抄訳「紐帯一般について」池上俊一監修『原典 イタリア・ルネサンス芸術論 上巻』所収 名古屋大学出版会,2021年
ヌッチョ・オルティネ著 加藤守通訳『ロバのカバラ ジョルダーノ・ブルーノの文学と哲学』
東信堂,2002年
フランセス・イエイツ著 前野佳彦訳『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』工作舎,2010年

澤井繁男
1954年、札幌市に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。
作家・イタリアルネサンス文学・文化研究家。東京外国語大学論文博士(学術)。
元関西大学文学部教授。著者に、『ルネサンス文化と科学』(山川出版社)、『魔術と錬金術』(ちくま学芸文庫)、『自然魔術師たちの饗宴』(春秋社)、『カンパネッラの企て』(新曜社)など多数。訳書にカンパネッラ『哲学詩集』(水声社、日本翻訳家協会・特別賞受賞)などがある。

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