太陽の地図帖『大和和紀『あさきゆめみし』と源氏物語の世界』からの引用を交え、不朽の名作『あさきゆめみし』の作品世界を紹介する。
『源氏物語』の主人公・光源氏は、天皇の息子(皇子)。しかし、母の身分が低いため、後ろ盾がなく、親王にはなれず、「源」の姓を賜り、臣籍降下した。さらに、母も幼い時に亡くしている。つまりは、高貴な生まれではあるものの、決して恵まれていたわけではなく、むしろ、自身の美貌と才覚を武器に、宮廷社会という荒波を乗り越えていく。
光源氏は少女漫画の主人公に向いていない?
貴種ながら不幸な生い立ちで、圧倒的な魅力を放つ男――。まさに、少女漫画のヒーローにふさわしい資質の持ち主に思えるが、光源氏には大きな難点がある。それは、華麗すぎる女性遍歴……。そう、光源氏は「恋多き男」なのだ。
『あさきゆめみし』の作者・大和和紀は、次のように語っている。
――それにしても、主人公の光源氏は多情すぎて、「少女漫画の主人公」には向かないキャラクターなのではないでしょうか。
「そうですよね、原作では「女癖の悪いひどい男」ですよね。こちらの女君に「あなただけです」と言いながら、あちらの女君にも「あなただけです」と同じことを言って……。どの口が言うか! と腹が立つことばかり……(笑)。」
(P19「大和和紀ロングインタビュー・第一部」より)
光源氏を“ヒーロー”にするために
では、『源氏物語』を漫画化するにあたり、その問題をどうクリアしたのか?
まずは、父の妃・藤壺の宮を恋い慕うのは、「亡き母の面影を求めて」という理由づけをして、読者を「納得」させた。
――だが、藤壺の宮は光源氏の父帝の后妃であるため、光源氏が愛してはならない女性、それゆえこの藤壺の宮の代わりになる女性を追い求め続けていかずにはいられない……という渇きにも似た光源氏の愛の彷徨の必然性を『あさきゆめみし』は的確に描き出したといえる。
(P35・吉井美弥子「少女漫画のヒーローへと“転生”『あさきゆめみし』が救った光源氏」より)
注目したのは、光源氏の“誠実さ”
とはいえ、紫の上、夕顔、六条の御息所、明石の君、朧月夜、末摘花、花散里、玉鬘……と、光源氏が恋する女性は次から次へと登場する。数多の女性たちを一人の男性が愛する、という状況は、平安時代という古代の、しかも高級貴族の恋愛事情だから、とはいえ、一夫一妻制の現代を生きる私たちにはなかなか共感しがたい。
それを、大和和紀は「光源氏自身は一人ひとりの女君に対して誠実ではある」ということに着目し、「話の筋を重視し、構成を組み替え」て、女君同士がバッティングしないように工夫を凝らすことでクリアした。インタビューでは、「物語は章ごとに進むのではなく、その回ごとの主人公にして、光源氏とその女君の物語として描いていきました。」と語っている。
例えば、明石の君との婚姻譚。
物語の事実上の始発は、光源氏との出会いを描く「明石」(第13帖)であるが、明石の君の初登場はそれよりもはやく「若紫」(第5帖)である。「若紫」では、療養のため北山に赴いた光源氏をなぐさめようと、家来の良清が、「世のひがもの」前播磨守(明石の入道)とその娘の噂を語る。
しかし、『あさきゆめみし』では、光源氏が須磨に退去し、そこに住まうことになってから、「へんくつ者」の父と「たいそう美しい娘」にまつわる話が良清によって語られる。明石の君が光源氏と結ばれるまでが、ひとつのエピソードとしてまとめられているのだ。
もう一人、特徴的な描かれ方をするのが空蟬だ。
受領の後妻・空蟬との甘美な恋は、『源氏物語』では、「帚木」(第2帖)「空蟬」(第3帖)で語られ、さらに「関屋」(第16帖)にはその後日譚も登場する。
一方、『あさきゆめみし』では、「其の十八」に回想という形でまとめられているのだ。
本来であれば、少女漫画の主人公にはなりえない、いや、なってはいけない人物であった光源氏。しかし、『あさきゆめみし』では、愛の求道者とし、さらには、『源氏物語』には語られなかった「出会い」を加筆したり、女君の心情を丁寧に表現するなど、さまざまな工夫によって、読者の共感を得られる人物像を作り上げた。
大和和紀の創造力と包容力によって、光源氏は“少女漫画のヒーロー”となったのだ。