猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。第18回は、癒しのチビ猫たち。
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「今を生きる」
それは、いつもと同じ1日のはじまり。
1匹のチビ猫登場。
さあて、今日は何をしようかな?
まずは庭をパトロール。
おや?
何かを発見。
そーっと近寄る。
バレないように、息を潜めて。
だが……。
手強い相手と判断したのか、そそくさと逃げた。
気を取り直して、今度は木登り。
気心知れた相手を見つけると、すぐにじゃれ合いが始まる。
やがてようやく一休み……。
と思ったら、今度は小鳥が気になるよう。
すべてが新鮮。
すべてが遊び相手。
「いつもと同じ1日」は、チビ猫には存在しないよう。
悩むときも、
驚くときも、
いつも一所懸命で、
今この瞬間、目の前にあることに夢中になる。
そんな一瞬の積み重ねで、チビ猫の1日はできている。
今を生きる。
猫に大切なことを教わった。
「茶(さ)に逢うては茶を喫し、飯(はん)に逢うては飯を喫す」
「お茶を飲むときは飲むことに徹し、ご飯を食べるときは食べることに徹する。それ以外は何もない。」
――瑩山紹瑾 (参考:別冊太陽 日本のこころ197 「道元」)
日本仏教の禅宗の一つ、曹洞宗には二人の宗祖が存在する。一人は世界的名著『正法眼蔵』を遺し、永平寺を開山した永平道元と、もう一人は、道元を尊崇し、その教えを全国に広める礎を築いた瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)である。
少年時代から比叡山で学び、24歳で中国・宋に渡った道元が、正師(本物の師匠)と仰ぐ禅僧に出会い、伝えられた教えは、中国禅宗の五家のうち、曹洞宗の流れを汲みながら、いずれの宗にも属さない独自の宗風を持つものだった。もともとこれまでの日本仏教のあり方に疑問を持ち、仏道の根本に立ち返ることによって仏法の革新を果たしたいと願っていた道元は、28歳で帰国。以後、師から伝えられた教えを「正伝(せいでん)の仏法(正しく伝えた仏法)」とし、あえて宗名を立てることなく布教活動を行った。道元は、日常生活におけるすべての行いが修行であり、その修行の中に悟りがあると説く一方、一般に悟りを得るための苦行だと思われていた坐禅を、安楽(煩悩や苦悩から解き放たれた境地)の行であるとし、ただひたすら坐ることを広く勧めた。その後45歳で本格的な修行道場の場、大仏寺(のちの永平寺)を建立。正伝の仏法を実践する礎を築いた。
そんな道元の教えを、鎌倉新仏教の他の宗派に埋もれて絶えさせないよう、曹洞宗という宗名を世に打ち出して、全国規模の大教団へ発展させたのが瑩山だった。道元の死後11年経って生まれた瑩山は、8歳で永平寺に入門。道元の一番弟子だった永平寺第二世、孤雲懐奘(こうんえじょう)を通してその教えを親しく深く学び、諸国行脚を経て、32歳で永平寺第三世の徹通義介(てっつうぎかい)から法を嗣(つ)いだ。その際行われたのが、「平常心是道(びょうじょうしんぜどう=日常のありのままの姿が、そのまま真実の道である)」についての問答で、今月の言葉は、このとき瑩山が答えたものという。人はとかく過ぎたことを悔やみ、明日を思い煩って、目の前のやるべきことを疎かにしてしまいがちだが、本当に大切なのは、今このときだけなのだということを、この言葉は気づかせてくれる。今を生きるチビ猫も、真理に近いということだろう。なお瑩山はこの答えで悟りの証明を得、のちに曹洞宗のもう一つの大本山、總持寺(そうじじ)をはじめ、各地に寺院を建立。多くの弟子を育てたという。
今週もお疲れさまでした。
おまけの一枚。
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。