都築響一 & nobunobu(鈴木伸子)が歩く 
昭和ビル遺産の記憶 #1│TOCビル(五反田)

連載|2023.1.12
文=鈴木伸子 写真=都築響一

失われつつある昭和の名ビル

 2020年に予定されていた東京オリンピック前後、そしてコロナ禍となってからも都心の再開発の勢いは止まるところを知りません。これを東京の活力と見るべきなのか。しかしそこで失われていくのは昭和の街並みです。
 1960-70年代の高度経済成長時代、日本の建築家やスーパーゼネコンは大いなる躍進を遂げ、世界的な名声を得ていきましたが、その時代に建設された築50年前後の建物が、今、続々と解体されています。
 近年すでに解体されたものには、銀座のソニービル、虎ノ門のホテルオークラ旧本館・別館、黒川紀章設計のメタボリズム建築を代表する作品・中銀カプセルタワービル、丹下健三設計の旧電通本社ビル、浜松町の世界貿易センタービルなどがあります。
 東京が都市として新陳代謝していくため再開発は仕方のないことと思いながら、私が子どもの頃から親しんできた建築や風景が失われていくことには悲しさと残念さを感じざるを得ません。
 そんなことで、失われていく昭和戦後の建物を哀惜し、それらの建築史的価値、建物の味わい深さを解体前に多くの人たちに知っていただきたいと、この企画を思い立ちました。
 現在、再開発が予定されている東京都内の建物は、新宿の小田急百貨店、渋谷の東急百貨店本店、丸の内の東京海上日動ビルなど数多くあるのですが、そのなかでもこの連載第1回目の取材は五反田のTOCビルにお願いしました。

TOCビル

住所 東京都品川区西五反田7-22-17
竣工 1970年
設計 大成建設
施工 大成建設

1階エレベーターホール。大理石をパズルのように組み合わせた床面。広々とした通路の両側にずらりとエレペーターが並ぶ

荷物用エレベーターが10台もあり、最も大型のものには自動車も積載可能。竣工直後には、メルセデスベンツを最上階に運び展示会を開催したとか

銀色に輝く館内のテナント案内板も、ビルの巨大さを物語る

5階の一画を占めていた「ジョリエス」の店舗。館内でも最も古いテナントで、徐々に店の面積を広げ、一時期は1階にも大きな店舗を構えていた

昭和レトロなタッチの地下の商店街・レストラン街案内板

地階飲食店街の「和定食なかみち」の店内。現店主・中道明義さんの父上は高見山と親交があったそうで、写真やサインが飾られている

正面玄関を入ったところには、創業者の大谷米太郎の銅像がある。相撲力士ののち鉄鋼王となり、ホテルニューオータニの創業・経営も手がけた異色の実業家

自由に出入りできる屋上は五反田の憩いの場。13階建の高さからの眺めは思いのほかよい。午後3時を過ぎると羽田空港に着陸する航路をゆく飛行機が次々とビル近くを通過していく

屋上には五反田一円(江戸時代の桐ヶ谷村)の鎮守、氷川神社が祀られている。鳥居、狛犬、植栽も立派でよく手入れされている

ビル裏側に回ると、首都高速2号目黒線(1967年開通)がすぐそばを通っていることがわかる

東洋一の威容を誇った「東京卸売りセンター」

画像提供=テーオーシー

パンフレットから竣工時の外観 フロア構成など
画像提供=テーオーシー

 1970年に開館した「東京卸売りセンター」(82年に商号をTOCに変更)は、高度経済成長期の東京で最先端の流通と物流を実現するために計画された建物でした。東京の衣料雑貨類の問屋街と言えば日本橋横山町や堀留町を中心とした地区が今でも知られていますが、その街並みは江戸時代から連綿と続いてきたもので、モータリゼーションが進んだ1960年代にはすでに交通渋滞や業種・取り扱い品目の変化に対応できなくなり機能不全に陥っていました。そこで、自動車による物流に便利な立地に大規模なビルを建てて東京の卸売の機能を集約しようと計画されたのがこのビルだったのです。
 建物としての特徴はとにかく巨大だということ。中原街道に面しての間口は90m、奥行きは110mあり、第二京浜、山手通りなどの幹線道路や首都高速道路などとのアクセスにも優れた場所に立地しています。建設当時は日本最大の容積率のビルで、延べ床面積は174,000㎡。約600台分のスペースのある駐車場は、ビルの裏側の地下2階から5階の各フロアと直結し、広い荷捌場も設けられています。

ビル内には昭和のシブさが残る

 そんな、今年で築53年になる巨大卸売センター内を巡ってみましょう。
 正面玄関から館内に入ると、広々としたエントランスホール。エレベーターホールの大理石をパズルのように組み合わせた床は竣工当時のデザインのままでシブい輝きを放っています。エスカレーターで行き来ができる地下1階から5階を見て歩くと、様々な店舗が入居していて昭和テイストのショッピングセンターという趣き。商店街に並んでいるような個人経営のお店や、家族で店番をしているアットホームな感じのお店も見られ、フロア中央の通路は乗用車が対面通行できそうなほど幅が広くゆったりとした雰囲気です。
 入居している店舗は、衣料、雑貨、宝飾品、家具、インテリア用品などと多種多様。そのほかにも、ユニクロ、ユザワヤ、ダイソー、アカチャンホンポなど人気の量販店があるのも魅力です。とにかく数多くのお店と商品が館内に並んでいて、そこを巡っていると、大量の商品とお手頃な価格に魅かれてついつい何か買ってしまいそうになり、これは今時のショッピングセンターにも巣鴨地蔵通りや戸越銀座の商店街にもないTOCならではの魔力だと言えましょう。
 テナントは、全体の6割が卸売と小売の店舗で、そのほかの4割は事務所として使われているそう。近年は「五反田バレー」と言われるほどこの地区にはIT企業が増えていますが、そんなIT関連のスタートアップ企業も数多く入居しているのだとか。

数々の企業がTOCとともに成長

 私が初めてこのTOCに来たのは小学6年生だった70年代半ば頃。当時TOC内にあった「サンリオ」社内の「いちご新聞」編集部を訪ねた時でした。当時の私はキティちゃんやリトルツインスターズ(キキ、ララ)といったサンリオのキャラクターに夢中で、それらの情報や女の子向けのコラムなどが掲載されているサンリオ発行の「いちご新聞」は一番楽しみにしていた定期刊行物でした。その「いちご新聞」の編集部を見学できるツアーが催されていて、友達や妹、付き添いの母親たちと、その編集部を訪ねたのは楽しい思い出です。サンリオのデザイン室では、キティちゃんなどが描かれた台紙にそれぞれのデザイナーがサインや添え書きをしてくれるのですが、いくつものキャラクターのサインをもらってそれを後生大事にしていたのを憶えています。
 サンリオがTOCに入居したのは1973年だそうで、その後順調に発展し、87年にはTOCが開発した大崎の新ビルに移転。今やそのキャラクターは世界的な人気者になり、このビルとともに成長し羽ばたいていった代表的な企業ということになります。
 そのサンリオよりも古参の、TOC開館時から入居されていたというテナントが「ジョリエス」。昨年(2022年)11月に、TOCから銀座へと移転されていますが、まだTOCにいらっしゃった時点で、三代目社長の三森聖一さんに、このビルの草創期のお話を伺うことができました。三森さんの父上は新宿区内で婦人服の製造工場を営んでいましたが、70年のTOC開館時に、この場所で製造した服の卸売を始めようと入居されたそうです。

「ジョリエス」三代目社長の三森聖一さん。店内には数千万円という価格の、雪豹、ウンピョウなどの毛皮のコート、ジャケットが並んでいる
「ジョリエス」は22年11月に銀座交詢ビル3F(中央区銀座6-8-7)に移転

「当初は横山町あたりの問屋街がごそっとここに移ってくるんじゃないかと目論んでいたらしいけど、入居したばかりの頃はこの5階も閑散としていたね。ところがある時、このビルを紹介する記事が新聞に出て、そこに『一般客も卸売価格で買い物ができるかもしれない』と書かれていたのを見て一気にお客さんが押し寄せるようになった。それで卸しと小売りを両方やる店が増え、それがTOCの特徴になったんだ」
 その後やってきたのが毛皮ブーム。「当時は主婦もOLも銀座のホステスさんもみんな毛皮のコートを着た時代。うちも72、73年頃には洋服から毛皮の卸しと小売りにシフトして会社もどんどん成長しました。香港にある世界一の規模の毛皮工場から商品を輸入し、それをコンテナごと搬入するようなことができたのも、このビルならではの物流機能が備わっていたからです」。
 さらにその後のバブル期には創業以来の最高益を出すようになりますが、近年はファッション業界もエシカルになり毛皮を着る人も少なくなっているそう。そこで今度は毛皮から宝石に転換して、現在は投資用のダイヤモンドなどの宝飾品が売り上げのほとんどを占めているのだとか。
 そんな三森社長が日々忙しく働いていた頃、同じ5階のお隣に入居していたサンリオの初代社長の辻信太郎さんとも親交があったそうです。
「夜12時すぎ、そろそろ帰ろうかと駐車場にいくと、やはり遅くまで働いていらした辻さんに偶然会って挨拶しあったり、移転された大崎のオフィスを訪ねていったり」というお付き合いだったとか。
 三森社長はTOCに向けて「TOC最高!! 昭和から平成にかけてともに成長させてもらった。建て替わるのは残念だけど、新しいいいビルができて日本がもう一度再生するといいね!」と前向きなお言葉を聞かせてくださいました。

地下に広がる飲食街が働く人びとを支える

 TOCのもう一つの魅力は、ビル地階のレトロな味わいのある飲食店街。古くから営業している純喫茶や定食屋さんも健在です。
 その中でTOCの館内や近辺で働く人たちの昼飯処として人気なのが「和定食なかみち」。二代目の中道明義さんが小学生だった1980年代半ば、日暮里で寿司屋を営んでいた父上がここに入居。当初は「鮨よし」として営業していましたが、昼食のお客さんが多いので和定食の店に業態を変え、現在は、焼き魚やお刺身、揚げ物などメニューを組み合わせることができる定食とお弁当が人気です。

「和定食なかみち」の店主の中道明義さん。明義さんが小学生の頃、父上が日暮里からTOCに移転してこの店を創業した。

 高校卒業後98年からお店で働いてきた明義さんにTOCのことを聞くと、「年に数回ある全館セール“徳の市”がこのビルの名物。ふだん小売をしていないお店も卸売価格で販売するのですごいお客さんが来ますね。昨年亡くなった母親は、警備や清掃もきちんとしているのがこのビルの長所だと言っていました。僕が小学生の頃、テナント向けのサービスとして歌手や芸能人の来るイベントが最上階のホールで定期的に行われていて、松崎しげるや引田天功が出演していたのを憶えています」。そんな昭和の歌謡ショーを、今一度このビルで見てみたいものです。

すでに閉店した店もある。「LIPTON」は、“紅茶の美味しい喫茶店”だったのだろうか? 白いドアハンドルがおしゃれなデザインで、閉店前に訪ねて店内で過ごしてみたかったものだ

ホテルニューオータニ創業者・大谷米太郎が建設を推進

 このTOCが建っている敷地は戦前まで星製薬の工場でした。しかし戦後、星製薬が経営不振となり工場は放置されて廃墟化。そこで1952年、その経営再建を担って社長に就任したのが戦前に鉄鋼王として成功した大谷米太郎でした。大谷と言えば、1964年の東京オリンピックに際して「ホテルニューオータニ」を建設したことでも知られる人物。大谷はこの五反田の地で、時流に沿った国家的に役に立つ事業を展開しようと、新時代の流通センターの建設を推進したのでした。ホテルニューオータニの庭園や本館内などには今も大谷米太郎の銅像がありますが、このTOCの正面玄関を入ったところにも大谷米太郎の銅像が設えられています。
 ホテルニューオータニの建設時は、64年のオリンピック開会に間に合わせるため、17階建ての巨大ホテルをわずか1年5カ月の工期で完成させるというモーレツな突貫工事が繰り広げられ、カーテンウォール工法、ユニットバスの導入など当時最新の技術が用いられました。そしてこちらTOCの設計施工を担当したのは、ニューオータニと同じく大成建設。そこで用いられたのが、ワンフロアの躯体と外装を工場でプレハブ化し、現場で1階ごとに積み上げていく「積層工法」という画期的なものでした。これは工期の短縮、建築単価の圧縮、人員の削減、安全確保、品質・精度の向上などの面で大いなる成果をあげたそうです。建物は1フロアずつ積み上がっていくので、10階近くまででき上がってくると、周辺の住民やマスコミから、「完成したかと思ったけどまだ高くなるのか」という問い合わせが相次いのだとか。
 TOC竣工後「日刊建設通信」に掲載された大成建設の担当者たちの座談会では、「ニューオータニの場合は17カ月でしたね」「あれは二度とないですね」という会話が交わされていて、常に極限に挑戦する姿勢で仕事に臨んできた昭和の建設人の姿に感動してしまいます。
 破天荒なプロジェクトをいくつも推進してきた大谷米太郎は、残念ながらTOCの完成を見届けることなく68年に亡くなっています。
 そんな昭和の高度経済成長期の勢いが今も形として残っているTOCという巨大ビル。今一度訪ねて、その積層工法による建物と館内の空気を実際に味わってみてください。

■撮影後記 都築響一

 TOCは東京卸売センターの略だけど、各種試験会場としても知られているし、卸売りではない一般客向けの店も多くある。なので館内は大きなバッグを抱えた小売業者から子ども連れの大家族までさまざまなひとたちで賑わい、その雑多な空気感がソウルや台北やバンコクのショッピングビルに似ている気もして、すごく好きだった。
 久しぶりに撮影で通ったTOCは建て替えが迫っているせいか、閉店してからっぽの店内を晒している区画や短期間のポップアップショップが行くたびに増えていて、巨大ビル末期に特有の寂しさが漂っていた。地下の食堂街で安売り弁当を吟味していたサラリーマン、おそろいのシューズを買ってもらって大喜びの兄弟姉妹たち。みんなこれからどこに行くのだろう。

鈴木 伸子(すずき・のぶこ)
1964年東京都生まれ。文筆家。東京女子大学卒業後、都市出版『東京人』編集室に勤務。1997年より副編集長。2010年退社。現在は都市、建築、鉄道、町歩き、食べ歩きをテーマに執筆・編集活動を行う。著書に『山手線をゆく、大人の町歩き』『シブいビル 高度成長期生まれ・東京のビルガイド』など。東京のまち歩きツアー「まいまい東京」で、シブいビル巡りツアーの講師も務める。東京街角のシブいビルを、Instagram @nobunobu1999で発信中。

都築響一(つづき・きょういち)
1956年、東京都生まれ。作家、編集者、写真家。上智大学在学中から現代美術などの分野でライター活動を開始。「POPEYE」「BRUTUS」誌などで雑誌編集者として活動。1998年、『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』で第23回木村伊兵衛写真賞を受賞。2012年から会員制メールマガジン「ROADSIDERS' weekly」(www.roadsiders.com)を配信中。『TOKYO STYLE』、『ヒップホップの詩人たち』など著書多数。

BACK NUMBER