萩原恭次郎が『死刑宣告』に収めた「秋」は、『赤と黒』1号(1923年1月)に発表した初出形に多くの変更が加えられていた。同号に掲載の「畑と人間」で農村が描かれていたが、「秋」が取り込む空間は、村か都市か判明しない。「鮮に咲いた秋のやうに」とあり抒情詩の片鱗を残している。「秋」は、詩の世界が都会へ移行する過渡期の作品だ。
恭次郎の詩に都会が現れるのは、「無題」(『赤と黒』3号、1923年4月)からだ。このあたりから『赤と黒』は前衛詩運動の母体として様々な活動を展開する。年譜によれば、同年5月12日には神田の明治会館で『赤と黒』第1回文芸講演を開催、7月には『赤と黒』『鎖』『感覚革命』3誌合同主催で詩・展覧会を白山(南天堂)や神楽坂などで開いている。
恭次郎の人生もまた転換期にあった。『萩原恭次郎全集』第3巻の年譜によれば、8月下旬に帰橋、9月1日の関東大震災の後、11月に再び上京し駒込千駄木蓬莱町の大和館に止宿。翌年1924年1月に茨城出身の植田ちよと結婚し、4月に東京府外西ヶ原滝野川に転居している。『赤と黒』は翌6月に終刊、恭次郎も同人となった前衛美術文学雑誌『MAVO』の創刊は7月である。10月に『赤と黒』の流れをくむ前衛雑誌『ダムダム』創刊、長男の宏一が生まれた。12月本郷駒込町に移転、岡本潤と同居。だが窮乏生活に、豆腐屋にまで借金をしたという。白山上の南天堂階上のレストランに出入りし自暴自棄に乱酔することも多かった。『赤と黒』や『MAVO』の活動は、いわゆる「南天堂時代」にあたり、恭次郎はダダイスト辻潤らと交友を深めている。
第1詩集『死刑宣告』の刊行は翌1925年10月、11月6日には詩壇文壇の60余名を発起人として、九段画廊で出版記念会が開かれて盛会だった。だが1926年1月に生活のゆきづまりから東京での家族生活を断念し、妻子を茨城県湊町の実家に送り、前橋の石倉の家へ単身で帰っている……。『死刑宣告』は、地方出身の「異邦人」の眼がとらえた首都東京である。
ここでは初出形が『赤と黒』に掲載された『死刑宣告』の都会詩を読み解いていこう。
「無題」を読む
「無題」が掲載された『赤と黒』3号は、宣言文「階級芸術抹殺論」で始まり、続いて4人の詩作品が掲載されている。壷井繁治の詩作品「深夜の意識」を除き、川崎長太郎、岡本潤(2篇)、萩原恭次郎3人の詩作品は、いずれも「無題」である。
『赤と黒』に「無題」と名付けられた詩が最初に現れるのは2号の深沼火魯胤(カロイン)の作品であるが、3号では3人の作品が同じ題名で、4号も5人の作品のうち、3人の作品が「無題」である。恭次郎の詩のタイトルも記号による「●●」で、言葉による意味の明確な題名は林政雄の「壊れた楽器」だけである。号外でも3人の作品が「無題」である。「無題」は、『赤と黒』の詩学を示すタイトルだといえるだろう。
「無題」は、詩や芸術作品のタイトルとして、国や言語を問わず1920年代の前衛芸術運動のリトルマガジンにさかんに現れる。セルビアでも、前衛詩『ZENIT』をはじめ、多くのリトルマガジンに「Bez naslova」と名付けられた詩作品が収められている。直訳すれば、「タイトルなし」という意味だ。「無題」は、読者を限られたテーマから解放し、自由な連想を生み出して多義性を豊かにする。第一次世界大戦の後、血まみれの混沌を目の前に、ヨーロッパの前衛詩人は言葉を失ったかのように、作品を「無題」と名付けたのだ。
「無題」は、『死刑宣告』の第7章「日比谷」(7篇)の2番目に収められている。「広場」という開かれた空間で、女と若者が「煙火の遊戯」をする。速度、爆裂、硝煙、飢えた胃、焦燥……。「灰色の自動車」は「罪人のやうな速さ」で街角を曲がり、詩的主体である「俺」が行先を見つめる。「灰色の自動車」は、現実の空間である
「都会」から離れて、「第三の場所」へ向かう。「第三の場所」とは、どこなのだろう。
「無題」では、人と人を結ぶ感情が消去された。「畑と人間」や「寒村を巡る畑」に描かれた家族の絆はここにない。都会の暴力的な速度を描き、その速度で人がたどり着く「死」を描いている。「俺」は、「神経を/螺旋のやうに回転」し、「心臓が圧された」詩人の分身であり、胃、神経、眼球、心臓によって、都会を身体感覚で読み取る。都会が「俺」の身体に与えるのは、「飢え」と「苦い憎悪」、「本能の激怒」、緊張感、圧迫感、不安であり、「笑いや涙」は乾いている。
センテンスは、動きや事実を描写する単文が中心で、文末表現は「だ」で結ばれる断定文、または体言止めの文や命令文で、歯切れよいリズムにスピード感がある。第3連目の1行目の「しまつた ! 」は、視界から「灰色の自動車」を見失った「俺」の独り言だ。
前衛詩におなじみの文法的に不自然なセンテンスが、この作品にも織り込まれている。
爆裂の 急激な 焦燥の
十倍に
百倍に
歩行を進ませよ
この文は、規範的な日本語表現だとは言い難い。「歩行せよ」、「進め」とした方が自然である。「爆裂の十倍、百倍の速度」、「急激な焦燥の十倍、百倍の速度」で、自分自身を「歩行させよ」という意味であろう。「急激な」の位置は不自然で、文法的な規範を無視して違和感を生み、発話は異化される。使役文の命令形を用いた、威圧的な命令文である。
他にも前衛詩らしい詩法がみられる。それは「視点の変化」である。この作品には第4連にも命令文「行け」が現れるが、誰が誰に発する命令なのだろう。第1連から第3連までは、詩的主体である「俺」の視点から、都会の広場の情景が描かれている。だが第4連から第6連に記される命令は、「俺」自身にむけて発せられる。「俺」の分身、内なる「俺」を外から視る「俺」が現れたのだ。「無題」の視点は第1連から第3連までは「俺」に置かれ、第4連から第6連までは「俺」の分身に置かれている、と考えられる。視点が移動しているのだ。
前衛的な詩法は、「罪人のやうな」+「速さ」、「螺旋のやうに」+「廻転した」にみるように、2つの異質なものの結合にも表れる。慣習的な比喩表現を逸脱し、異常で不気味な雰囲気が漂う。
語彙には「急激」、「突走」、「激怒」など、過激なイメージを生む名詞が目立つ。「煙火」、「爆裂」、「硝煙」など武器や暴力をイメージするモティーフ群に対峙して、「飢えた胃」など飢餓感が置かれる。表現派に特徴的な、心臓、神経、眼球など、身体の部分も登場する。人の存在は、解体されている。
グラフィカルな手法も大胆だ。詩は見開きで組まれ、奇想天外な仕掛けがある。初出形の6連構成は踏襲されたものの、最終稿の視覚的手法は奇抜だ。96頁の下部に2.3cm幅の水平線が引かれ、上部に横書きのタイトルが右から左に組まれる。第1連と第2連の後に、1.2cm幅の太い矢印が引かれ、第3連、第4連、第5連へと読み手の視線を誘導し、再び同じ矢印が第6連を指し示す。この矢印に、私は都市に張り巡らされた下水管を連想した。縦書きの詩だが、読み手は矢印に導かれ、視線を180度半回転しなくてはならない。通常の本の体裁を無視し、読み手の身体行為を活性化する。読む行為を「非自動化」する典型的な例だ。活字の大きさも変化させ、第3連はゴチック体で強調される。
しまつた !
街角を
灰色の自動車は曲がつた
罪人のやうな速さで
第5連前半も、ゴチック体である。
行け ! 速時
第三の場所
十字街へ
ゴチック体によって第3連と第5連はともに強調され、街角を走り抜ける自動車の速度が視覚化される。「速時」は、「即時」を意味するのだろう。
初出形と最終稿のテキストとの違いは少ないが、いずれの変更も前衛詩的な傾向を示している。記号の微妙な異同も興味深い。『赤と黒』では、第1連と第2連に「─」(─秋だ; 俺は餓えた─)の記号があったが、『死刑宣告』では削除されて簡潔になり、他の箇所の視覚的な効果が高められている。第4連では「─」を加え、センテンスの構造を変化させて、イメージを明確にした。「─」を加え、「俺は 神経を/螺旋のやうに廻転した/ 小さい眼を」の詩句でイメージを区切って、「螺旋のやうに廻転した」行為の目的格は、「神経を」と「小さい眼を」の2つになった。この区切りで、「もつと固く」は「心臓が圧された」にかかり、身体表現が明確になっている。
いくつかの異同で最も重要なのは、『死刑宣告』が●と×による伏せ字を導入している点である。『赤と黒』3号(6-7頁)では第5連後半と第6連後半に次の詩句が反復していた。括弧内に文字数を示す。
──あの人間を墓場へ (8)
──あの人間の椅子を主人なく (12)
強い印象を与える詩句で、「無題」の核を成す詩句といってもいい。初出形から『死刑宣告』の最終稿の「第三の場所」とは、「墓場」をイメージしていたことがわかる。都会は人間を墓場に送る。座るはずの人間を奪われた椅子が残される。人が死に、椅子が残る。虚無的な情景で、私も好きな詩句だ。だがキーセンテンスともいうべき詩句に、『死刑宣告』では伏せ字が使われている。詩句には政治的な問題や性的表現は含まれず、検閲の問題もないはずだ。変更は、純粋に文学的な理由からだと思われる。以下、括弧に記号の数を示す。
第5連は、●を用いた。
─────あの●●●●●● (6)
─────あの●●●●●●● (7)
第6連は、×を用いた。
─────あの×××××× (6)
─────あの×××××××××× (10)
初出形のリフレインの文字数と『死刑宣告』の伏せ字の数を、恭次郎はあえて一致させていない。「墓場」は詩集『死刑宣告』のキーワードで、第5章「首のない男」(8篇)に収められた1番目の作品「墓場だ 墓場だ」をはじめ、数多くの作品に現れる。「無題」で伏せ字にすることで、同じ表現の過剰な反復を避けたのだろう。読み手の連想に委ねられ、多義的な意味が生まれた。
古俣裕介は、この詩を「テロリストの高官暗殺場面を暗示したような作品」と評し、「ロープシンの『蒼ざめた馬』の世界が展開されているといえる」(古俣 1992: 46)と述べるが、確かに不穏な印象を与える作品だ。『死刑宣告』には「無題」と名付けられた詩がもう1篇あり、都会の飢餓感が主題である。『死刑宣告』の第5章「首のない男」の3番目の作品である。見開きの左頁(67頁)に組まれ、右頁(66頁)にテロリズムを主題とした「闇の夜の記憶」が置かれている。いずれも水平に組まれたタイトルの上下に太い直線を力強く引き、2つの作品は行数も1行の文字数もほぼ同じで、シンメトリックなレイアウトが力強い印象を与える。たしかにテロリズムは、『死刑宣告』の鍵となるモティーフである。
注 文中の引用は、以下の書物による。旧漢字を新字に改めた。文中の住所は、『萩原恭次郎全集』第3巻の年譜に記載されたもので、当時の表記のものである。
『赤と黒』1号-4号+号外、1923年1月-1924年6月
(『プロレタリア詩雑誌集成 上』(伊藤信吉、秋山清編、戦旗復刻版刊行会、1983年所収)
萩原恭次郎、『死刑宣告』、長隆舎、東京、1925年
(名著復刻詩歌文学館 <石楠花セット> 日本近代文学館、東京、1981年)
執筆にあたって以下を参照した。
「『死刑宣告』・初出形・校訂・異文」、『萩原恭次郎全集』第1巻、静地社、東京、1980年、P.547-P.592
「年譜」、『萩原恭次郎全集』第3巻、静地社、1982年、P.489-P.512
「初出誌紙一覧」、『萩原恭次郎全集』第3巻、同上、P.521-P.524
古俣祐介、『‹前衛詩›の時代』、創成社、東京、1992年
山崎佳代子 (やまさき・かよこ)
詩人、翻訳家。1956年生まれ、静岡市に育つ。北海道大学文学部露文科卒業。サラエボ大学文学部、リュブリャナ民謡研究所留学を経て、1981年よりセルビア共和国ベオグラード市在住。ベオグラード大学文学部にて博士号取得(比較文学)。著書に『ドナウ、小さな水の旅 ベオグラード発』(左右社)、『パンと野いちご』(勁草書房)、『ベオグラード日誌』(書肆山田)、『戦争と子ども』(西田書店)、『そこから青い闇がささやき ベオグラード、戦争と言葉』(ちくま文庫)など、詩集に『黙然をりて』『みをはやみ』(書肆山田)、『海にいったらいい』(思潮社)など、翻訳書にダニロ・キシュ『若き日の哀しみ』『死者の百科事典』(創元ライブラリ)など。