「決心一ツ」竹内栖鳳│ゆかし日本、猫めぐり#36

連載|2023.11.3
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。
第36回は、見慣れた日常を変える猫ちゃんの冒険に寄り添う。

変えたい

 それは、ある秋晴れの朝のことだった。

 いつものように、ご飯を食べて毛繕いをし、

境内をパトロール。

すべてに「異常なし」を確認し、
しばし瞑想、

その後はゆっくりひと休み(多くの場合そのまま昼寝に突入)……のはずだった。

 だが、今日は心がざわざわする。

 これでいいのか、このままで。
 変えたい。自分を、日常を。
 そんな気持ちがムクムクと湧いてきた。

 そうして向かった、塀の前。

 今日こそは、あの上に行ってみたい。

 だが……。

 ……長い沈黙……。

 やがて……。

 ふう。

 気分爽快! 表情キリッ!

 前方には、いつもと違う風景が広がっていた。

絵を左右するのは「決心一ツ」であり、「良筆佳墨はその上の装飾である」

──竹内栖鳳 (引用:別冊太陽 日本のこころ211 『竹内栖鳳』)

 見ていると、思わず描かれた動物たちのふさふさの毛並みに触れたくなる。風景画では、雨や風の音、空気の湿り具合まで伝わってくる。幕末の京都に生まれた日本画家、竹内栖鳳(せいほう)の作品は、対象を見つめるすぐれた眼力と、膨大な写生に裏打ちされた卓越した描写力によって、見る者にさまざまな感覚を拓かせる。動物画にいたっては、匂いまで表現できると評されたほど。
 栖鳳が絵を習い始めるのは、明治10年(1877)、13歳のとき。円山応挙や呉春の流れをくむ四条派から出発し、17歳からは同派の大家、幸野楳嶺(こうのばいれい)の私塾に入門。当時の日本画界の伝統に従い、師匠の筆使いをひたすら学んで身につける、いわゆる「運筆」の修業に励む一方、流派を超えたさまざまな先人たちの作品を模写し、その筆法を研究。次第に、流派や伝統にとらわれない日本画を目指すように。だが、20代後半で発表した、各派の筆法を混合して描いた栖鳳の作品は、当時の保守的な京都画壇から仁義を欠いたやり方だと受け取られ、酷評された。絵画面での葛藤を抱えつつ、生活のため、一時髙島屋意匠部に勤務したこともあったという。
 転機となったのは、明治33年(1900)。それまで栖鳳が下絵を手がけてきた髙島屋の美術染織品が、海外で高く評価され、京都市からの公務出張という形で、パリ万国博覧会の視察のために渡欧。約3ヶ月にわたって西欧の諸都市に滞在し、現地の美術事情や西洋絵画に直に触れた。栖鳳は、西洋画と日本画、両者を比較することで、日本画や東洋画の精神や本質を理解し、以後、日本画の特徴を活かしつつ、伝統に縛られない新しい画風を切り拓いていった。
 栖鳳の日本画の特徴は、「写生と省筆」に集約される。つまり、描こうとする対象を隅から隅まで写生し、知り尽くした上で、描く際はできるだけ筆数を減らし、要点だけをさっと描くという画風で、特に写生では、人によって多様な見方があり、それぞれの感覚に合った写し方があることを主張。従来の日本画にはなかった、自己表現を大切にした。その表現は年を経るごとに軽みを増し、晩年は軽妙、かつユーモラスな動物画を得意とするなど自由な境地へ。写生さえ充分にしていれば、安心して不要な無駄を棄てられると説いていたという。
 今月の言葉、「決心一ツ」は、満足な点や線を描くために画材にこだわり続けた栖鳳が、一方で、筆や墨が極上でも、よい絵が描けるわけではないことを説いた際に、強調した文言という。思えば、一筆描きのように見える簡単な線が、他の線などあり得ないほど的確に対象を表現できるのも、描く前の決心一ツがあってこそ。一つの線には、積み重ねてきた綿密な写生と、それを描くために費やした膨大な時間、さらにそれまでの経験や画業など、画家のすべてが詰まっているのだろう。
 今回登場した猫は、今後どんな決心を積み重ねていくのだろうか。

 今週もお疲れさまでした。
 おまけの一枚。
(来週も張り切っていこう!)

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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