「月刊太陽」1963-64
  12冊を読む。第1回

アート|2021.7.27
文=別冊太陽編集部|写真=栗原 論

創刊のことば

1963年、〝日本初の本格的グラフィックマガジン〟として華々しく創刊された、「月刊太陽」。日本を代表する写真家やデザイナー、作家を起用した贅沢かつ斬新なその誌面には、今なお新鮮な驚きがある。創刊から1年間の12冊をひもときながら、その志のルーツに迫る。

まずは、創刊号の奥付に、掲載された、初代編集長・谷川健一の「創刊のことば」を紹介する。
 谷川健一(1921-2013)は、いわずと知れた、日本を代表する在野の民俗学者・地名学者・歌人。熊本・水俣に生まれ、東京帝国大学仏文科を卒業後、結核を患うも、平凡社に入社。『風土記日本』や『日本残酷物語』など、出版史に残る名著を企画・編集。1963年、「太陽」創刊にあたって、初代編集長に就任した。だが一年あまりで、病のため療養に入り平凡社を退社。その後は、在野の研究者として、『日本庶民生活史料集成 全20巻』『日本民俗文化体系 全14巻』『海と列島の文化史 全10巻』等、貴重な民俗学のシリーズを手がける一方、『青銅の神の足跡』『魔の系譜』『南島文学発生論』など、想像力に満ちた数々の著作を世に送り出した。
 数年の準備期間を経て、1963年6月12日、いよいよ創刊にあたっての谷川のことばを引用する。

創刊のことば
 編集長 谷川健一

全国の家庭のみなさん!
 どの家庭にも、ひとつの太陽が要るように、ひとつの雑誌が要ります。その雑誌こそ、今月から欠かさずみなさんの家庭におとどけする「太陽」です。
 戦後20年、民主化はすすみ、経済は高度に成長しました。しかし日本には、家庭に持ち帰り、一家こぞって楽しめる雑誌がまったくありませんでした。
 わたしどもは、こうしたふしぎがふしぎと思われない日本文化のあり方に、根本的な疑いをいだきました。その疑いがもえあがった日こそ、新しい雑誌太陽の創造にむかって、ともづながとかれた日です。
 それから創刊の今日まで、まる1年間、わたしどもは、コロンブスの航海のようにむずかしい仕事をつづけてまいりました。夜昼なしの編集会議を、おそらくは数百回くりかえしたでしょう。
 卑しい心にこびる雑誌であってはいけない。スケールが大きく、意表をつき、しかも清潔な雑誌を。知識のおしつけや思いあがったお説教をまったく禁じた雑誌、そして豊かさと美しさだけが至上命令である雑誌を……。
 こうしてついに「太陽」が創造されました。
 全国の家庭のみなさん!
 雑誌太陽は「きりのない百科事典」であると同時に「目で見る詞華集」でもあります。
雑誌太陽は、創刊号につづく第2号、第3号と巻を追い月を重ねるごとに、比類のない美しさで、みなさんを圧倒し魅了することをお約束します。わたしどもは、知識の太陽系を創造しようという野心にそって、もっとも厳密な計算をたてているからです。
 「太陽」は、日本の代表的な雑誌にふさわしく、見て楽しめる雑誌の有利さをもっています。
 「太陽」のテスト版は、チューリヒやパリに送られ、パリマッチやレアリテなど、世界一流誌の編集長の親切な助言や感覚を聞くことができました。それだけでも「太陽」が、日本の代表誌としての資格を国際的にもつ、といえるのです。文字だけの雑誌では、それはまず不可能とあきらめねばなりません。
 全国の家庭のみなさん!
 もっともありふれたところに、もっとも独創的な泉を掘ろうとする「太陽」を見守り、そだて、はげましてください。日本民衆の未来のために、日本文化の健全さを立証するために。「太陽」編集部の35名を代表しまして、一言お願いを申し上げます。

創刊号(1963年7月号)の表紙(デザイン/原弘 、写真/早崎治)。表紙は西ニューギニア北部沿岸のコロワールと呼ばれる祖霊像。

創刊号目次。洗練されたグラフィックが美しい。記事は人類学、考古学から美術、教育、ファッション、食まで実に幅広く、まさしく総合的な文化グラフ誌となっている。

いまから60年近く昔、新雑誌創刊にあたって記された、この「ことば」は、今日、どう読まれるだろうか。
 「もっともありふれたところに、もっとも独創的な泉を掘ろうとする」「日本民衆の未来のために、日本文化の健全さを立証するため」の雑誌――。

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