第5回 有職覚え書き

カルチャー|2021.9.21
八條忠基

季節の有職植物

●ヒガンバナ

9月と言えばお彼岸、お彼岸と言えば彼岸花。ヒガンバナは田んぼの畦がよく似合います。別名は「死人花」「幽霊花」「地獄花」「捨て子花」「毒花」「痺れ花」……。なんとも恐ろしいネーミング。また「天蓋花」「曼珠沙華」といった仏教に関係する別称もあります。正式な和名はヒガンバナ(彼岸花、学名: Lycoris radiata)。

これほど好き嫌いのはっきりした花も少ないでしょう。わざわざヒガンバナの名所に見に行かれる方もいれば、「見るのもイヤ」というほど嫌われる方も。火炎のように華やかですが、妖艶で毒々しく、独特の姿をしていますね。 嫌われる一つの理由が毒草であること。そもそも日本に稲作が伝わったとき同時に輸入され、畦に植えられ、その毒性を利用してモグラの侵入を防いだ(エサになるミミズがいなくなる)、とも言われています。墓地にも同様の目的で植えられました。

……というように古くから日本に生育していましたが、古い文献にあまり登場しないのは、やはり嫌われていたのでしょうかねぇ。

万葉集』(柿本人麻呂)
「みちのべの 壹師の花の灼然く
  人皆知りぬ 我が恋妻は」
(路辺 壹師花 灼然 人皆知 我恋妻)

この「壹師花」がヒガンバナのことだと言われますが、『万葉集』の他の歌に全く登場しないので確証はありませぬ。でも、ヒガンバナだとすると、歌全体の燃え上がる恋心が強く感じられますね。でも、花の色を「灼然(いちしろ)く」と引っかけていることで白色とわかりますから、果たして?

『現存和歌六帖』(鎌倉中期)
「立つ民の 衣手白し道の辺の
  いちしの花の 色にまがえて」

これも白い花を意味していますね。ほんと謎だらけ。 歴史の記録に残る前に日本に入ってきた植物は「史前帰化植物」と呼ばれますが、日本原産の植物とほとんど同様の扱いで、古い文献に様々に登場するのが普通。しかし実在の植物として曼珠沙華(曼愀紗華)の単語が見られるのは、室町時代に入ってからなのです。

そもそも、「曼珠沙華」は仏教説話に登場する架空(?)の植物。それに実在の植物を当てはめたのですから、時代により人により、解釈がさまざまなのです。文献に「曼珠沙華」とあっても、それがヒガンバナかは不明。漢方薬としての「石蒜」というのがヒガンバナの球根と言われますが、これも曖昧です。

『訓蒙図彙』(中村惕斎・1668年版)
「石蒜(せきさん) 俗云志びとばな 烏蒜老(うさんらう)、鴉蒜(うさん)並同背根ノ名也。此草一名天麻(テンマ)、又名一枝箭。」

これは図解の本なので、ほぼ正しいと思われますが、「曼珠沙華」という別名は紹介されていません。しかし1695年版『頭書増補・訓蒙図彙』を見ますと、「金燈(きんとう)」(キツネノカミソリ、学名:Lycoris sanguinea)に「曼珠沙華」を当てはめているのです。とすると、ヒガンバナ(しびとばな)は曼珠沙華ではない? 牧野富太郎博士は「葉より先に花が『先ず咲く』ので、マジュサケから仏教の曼珠沙華に当てはめたのであろう」と推論し、実際に「マンジャケ」「マンジュサキ」というような方言もあるそうです(『日本植物方言集成』八坂書房)。

これだけ特徴的な植物が、奈良平安の文献に全く見られないことは大いなる謎。本当に「史前帰化植物」であったのかさえ疑わしくなってしまいます。しかし植物の専門家ではないわたくしにとって、これ以上の言及は無謀でしょう。 それにしても毎年ちょうど秋のお彼岸の頃に咲くこの花。 時期的にも見かけ的にも意味的にも、まさに「彼岸花」という名前が100%バッチリである、ということだけは万人が認めるところだと思います。

ヒガンバナ

●銀杏

イチョウにギンナンが鈴なり。イチョウは謎が多い植物です。もともと中国原産のイチョウが、いつ日本に入ってきたのかもよくわかっておりません。イチョウの葉がカモの足に似ているため中国では「鴨脚」と呼ばれ、その発音「イーチャオ」がイチョウの語源とされます。つまり大和言葉が存在しないわけで、そういう植物は外来種、いつ渡来したか不明の場合が多いのです。

そういうお話をしますと、「鎌倉幕府の三代将軍実朝を暗殺した公暁は、鶴岡八幡宮の石段横の、大銀杏に隠れていたではないか」と言われそうです。しかしこの話、実は確証が全くないのです。まず幕府の公式記録から。

『吾妻鏡』
「建保七年(1219)正月大廿七日甲午。晴。入夜雪降。積二尺余。今日将軍家右大臣為拝賀。御参鶴岡八幡宮。酉刻御出。(中略)及夜陰。神拝事終。漸令退出御之処。当宮別当阿闍梨公暁窺来于石階之際。取劔奉侵丞相。其後隨兵等雖馳駕于宮中。〔武田五郎信光進先登。〕無所覓讐敵。或人云。於上宮之砌。別当阿闍梨公暁討父敵之由。被名謁云々。就之。各襲到于件雪下本坊。」

公暁は、石段の際に隠れていた、とだけあります。

『承久記』
「夜陰に及びて神拝の事畢つて、やうやう罷り出でんとする所に、何処よりともなきに、女房中の下馬の階の辺より、薄衣きたるが、二三人程走るとも見えし。いつしか寄りけん。石階の間に窺ひきたりて、薄衣うちのけ、細身の太刀を抜くとぞ見えし。右大臣殿を斬り奉る。一の太刀をば笏にてあはさせ給ふ。次の太刀にて、斬られ伏させ給ひぬ。」

公暁は、石段の下から女装して走ってきたと。

『増鏡』
「さて、鎌倉に移し奉れる八幡の御社に、神拝にまうづる、いといかめしきひびきなれば、国々の武士はさらにもいはず、都の人々も扈従し〔たり〕けり。たち騒ぎののしる者、見る人も多かる中に、かの大徳、うちまぎれて、女のまねをして、白き薄衣ひき折り、大臣の車より降るる程を、さしのぞくやうにぞ見えける。あやまたず首をうちおとしぬ。その程のどよみいみじさ、思ひやりぬべし。」

石段でもなく、実朝が牛車から降りようとするところを討った、とありますね。ここでも公暁は女装。ともあれ、イチョウのイの字も出てこないのです。どうやら「隠れ銀杏」伝説は、貞享二年(1685)刊行の『新編鎌倉志』など、後世(江戸時代)の創作のようです。

伝説は伝説として、多くの人々に長い間愛され信仰されてきた大銀杏ですが、平成22年3月10日未明、大風の中で倒れてしまいました。樹齢は800~1000年とも言われた大銀杏でしたが、「せいぜい600年」という説もあります。年輪を数えれば正確な樹齢が計測できたはずだったのですが、残念ながら幹の中が空洞で、樹齢が判別できなかったそうです。

鶴岡八幡宮の銀杏は倒れてしまいましたが、脇から蘖(ひこばえ)がニョキニョキ生えてきているようです。なんという生命力。恐竜がいた中生代から生き残っている、裸子植物のパワーを感じずにはいられませんね。

次回配信日は、10月4日です。

ギンナン

八條忠基

綺陽装束研究所主宰。古典文献の読解研究に努めるとともに、敷居が高いと思われがちな「有職故実」の知識を広め、ひろく現代人の生活に活用するための研究・普及活動を続けている。全国の大学・図書館・神社等での講演多数。主な著書に『素晴らしい装束の世界』『有職装束大全』『有職文様図鑑』、監修に『和装の描き方』など。日本風俗史学会会員。

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