猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。第20回は、茶の湯の精神を、猫の丁寧な毛づくろいに重ねて考える。
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「きれいに」
自分の内なる欲求に、我慢をしない。
歩いていても、
目指す場所まであとわずかでも、
気になったらすぐ行動。
ときに、勢いあまってずり落ちる。
そのまま、ベロを引っ込め忘れることも。
神域も、
国宝、重文も何のその。
大切なのは、今この瞬間の自分の気持ち。
綺麗にしたい。
その心に、猫はいつもまっすぐ。
身一つで生き、
自分で自分を労わるすべを知る。
物に頼らず、縛られず。
無一物を体現するお手本は、
実は身近なところに存在した。
「心の内より綺麗好き」
『山上宗二記』より
(参考:『別冊太陽 日本のこころ 251「茶の湯」
『別冊太陽 日本のこころ 155「千利休」』)
山上宗二(やまのうえそうじ)は、天文13年(1544)に堺で生まれた商人。千利休の茶に20年あまり触れてきた直弟子で、一時は利休などとともに、豊臣秀吉の茶堂(主君の近くに仕え、茶の世話をする仕事)として仕え、当時流行していた茶の湯の最前線にいたと伝わる。『山上宗二記』は、そんな彼が、師である利休から伝授された教えに自らの見解を加え、自身の弟子などのために書き遺した茶の伝書。茶の湯の歴史や変遷に始まり、名物と言われる茶道具とその所有者、また伝来にまつわる記述や、茶人としての心得についての覚書などで構成されている。
この書によれば、茶の湯には加齢とともに無用な物を削ぎ落とし、無一物の境地へ成熟するという考え方があり、簡素簡略な境地である「わび」の精神を重んじるわび茶が、一つの頂点として位置づけられている。そもそもわび茶は、大名や豪商の茶とは異なり、本来は物資に不足する貧乏茶人の茶の湯を意味し、創始者とされる珠光(しゅこう)の登場から、100年以上をかけてゆるやかに形成された歴史がある。だが、利休によって一気に茶の湯の主流に。特に本能寺の変の後、秀吉の茶堂首座となってからの利休は、天下一の茶人として、秀吉所有の名物の茶道具で茶の点前を行う一方、自身の茶会ではわび茶の姿勢を貫き、茶の湯の可能性を極限まで追求した。たとえば一畳半という極小の茶室を作り、茶道具も、それまで尊重されていた唐物(中国製品)名物ではなく、高麗物(朝鮮半島で焼かれた舶来品)や和物(国産の道具類)を重視。さらに、それまでは本来茶道具として作られていないものを流用する、いわゆる見立てが常識だったのに対し、茶の湯にふさわしい道具の創作を自ら手がけ、新しい美の扉を拓いた。
自身の心に叶う美を求め、先人に倣いつつも、ときに前代未聞のアイデアによって、茶の湯の常識を覆す。そんな利休の革新性によってわび茶は洗練され、大成されていくのである。
今月の言葉は、ある意味、茶の湯が大成に向かう歴史的瞬間の記録とも言える『山上宗二記』の「茶の湯者覚悟十体」の章に登場。原型ではおそらく利休以前に成立し、宗二が注釈を加えたと考えられている。ちなみに、「綺麗」とは「清浄」「清潔」とも言い換えられ、茶の湯を嗜むものは、心の中が清浄でなければならないという意味になる。茶の湯では、茶を点てる前も後も、帛紗や茶巾で道具を清める。だがその所作は、清浄な心で行なってこそ意味を持つ。見える部分だけ気を配っても、わび茶は成り立たないということだろう。
今週もお疲れさまでした。
おまけの一枚。
「けっこうなお服加減で…」
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。