フラットなまなざしの空間で、自然と人間の共生を想う
極北の大自然とそこに生きる動物たち、そして人間。それらを「カメラ」という眼を通してとらえ、美しい文章とともに遺した星野道夫。
1996年にロシアのカムチャツカ半島での取材中にヒグマに襲われて急逝、四半世紀を経た今でも、彼の写真とことばは、わたしたちを魅了する。
星野の展覧会「悠久の時を旅する」が、各地の巡回を経て、東京都写真美術館で開催中だ。
2022年は、彼の生誕70年にあたる。
本展は、2012年にフジフイルムスクエアで開催された同タイトルの展覧会を再構築したもの。未発表だった作品を中心にした当時の構成に、新たに代表作も加え、より深くその世界を掘り下げた内容になっている。
さらに、今年5月に、アラスカにある星野の自宅地下倉庫から、パノラマカメラが発見された。
彼の死後、使用していた撮影機材はすべて持ち帰ったと思っていたことから、今まで存在が確認できていなかったカメラは、寒冷で乾燥した環境にあったため、奇跡的にカビや腐食もなく残されていたという。
本展では、カメラ内のフィルム8枚を現像してパネル化。25年以上の歳月を経て、現代に戻ったカメラとともに、全国初展示されている。
26年の時を経て発見されたカメラには8枚のパノラマ写真が収められていた。1995年11月にカナダのハドソン湾で撮影されたものと思われる。フィルムは経年のため、ピンク色に変色している。会場では、その現像フィルムとともにみることができる。
展覧会は、「出会い」をキーワードにプロローグと5章の構成。
緩やかな編年のなか、20歳の時に初めて足を踏み入れたアラスカの村の記録から、死の直前まで撮影していたカムチャツカ半島での写真までで、その未完の足跡をたどる。
厳しくも圧倒的に美しく、活き活きと、ときにチャーミングな北極圏の自然と動物たち、そこに寄り添って生きる人間の紡いできた歴史。それらに注がれた星野のまなざしを感じられる空間は、「自然と人の関わり」を追い続けた彼の旅とともに、わたしたちにも今を、そして未来を考えるきっかけをくれるだろう。
1952年生まれの星野は、大学1年の時に東京・神田の古本屋街で1冊の洋書に出会う。この本に掲載されていた小さなエスキモー村の空撮写真に魅せられ、村長に手紙を書いた。「手伝えることはしますから、村のどこかに滞在させてもらいたい」そんな学生の願いは、村長に受け入れられる。1973年、20歳の夏休み、狩猟生活を営むエスキモーの大家族の家で約3カ月を過ごした。
プロローグ「1973年、シシュマレフへ アラスカとの出会い」では、エスキモーの子どもたちと写る若き日の星野の姿をみることができるだろう。
これがきっかけでアラスカへの思いが募り、その自然や彼らの姿を表現する手段として写真家の道を選ぶ。動物写真家の助手を2年間務めたのち、1978年にアラスカ大学野生動物管理学部に入学。この地を拠点に、1年の大半を旅に過ごし、自然写真家としてスタートする。
第1章「生命の不思議 極北の動物たちとの出会い」では、星野が撮った極北の動物たちの多彩な表情に出会うことができる。
ホッキョクグマ、アザラシなどはもちろん、ホッキョクギツネ、ドールシープ、ジャコウウシにハクトウワシ、シロフクロウからザトウクジラまで、実にさまざまな動物がカメラに収められたが、彼が特に愛したのは、野生のトナカイであるカリブーと、グリズリー(ヒグマ)であったという。
動物たちにポーズしてもらったのでは……? と思えるようなみごとな作品の数々は、「待つこと」それに尽きる結果としてそこに在る。その時間を含めた彼の動物たちとの出会いと対話に想いを馳せたい。
氷の世界に生きるクマがいる…それはどう考えても、非現実的な、物語の世界だった。
ホッキョクジリスは数少ない完全な冬眠をする動物だ。体温を氷点近くまで下げ、半年の間、死んだように眠っている。
エッセイ「カメラを盗んだオオカミ」の直筆原稿と、登場するカメラ「ニコン F3」。
丸みを帯びた文字に星野の人となりを感じる。
こうした野生動物の撮影のなかで、彼らを獲って生きる、独自の文化を育んできたエスキモーやインディアン、彼と同様にアラスカの自然を愛する多くの人びとと出会い、星野はそのつながりを拡げていく。
1990年、彼はアラスカのフェアバンクスの森に家を建て、住民として生きていくことを決意する。
第2章「アラスカに生きる 人々との出会い」では、旅行者としてではなく、その地に生きる者として、出会った人々と彼らの生活、その歴史をとらえた作品が紹介される。
アラスカに魅せられたパイロット、インディアンやエスキモーたちの狩猟/狩漁の姿、そこに根ざす信仰の形などが、雄大な自然美のなかに見いだせるだろう。
1年の半分が氷の世界で、氷点下50度にもなる苛烈なアラスカの冬。
「“アラスカの四季で一番好きな季節はいつですか”と聞かれたなら、僕はさんざん迷ったあげくにやっぱり冬と答えるだろう」と遺しているように、星野は冬を好んだ。
それは、冬があるからこそ、春の訪れは印象的で、夏にはその短い期間にあらゆる生命が一気呵成に成長と繁殖を謳歌し、秋の紅葉は1日で移り変わる、そのドラマティックな変化を愛したからだ。
同時に、その慌ただしい営為のなかで、「散り散りだった日々の暮らしが、少しずつ落ち着きを取り戻しながら日常へと返ってくる」冬を、「人と人がゆっくりと話をする季節なのかもしれない」ととらえている。
第3章「季節の色 自然との出会い」では、アラスカの四季をその豊かな色彩とともにとらえた作品に、彼の研ぎ澄まされた感覚を感じる。
小さな植物の兆しから、雄大な氷河の動きまで、移り変わるその瞬間と、毎年繰り返される永劫の自然の営みに包まれる。
北米の最高峰で、標高6190m。手前はワンダーレイク。
1993年、星野ははじめてカナダのクイーンシャーロット島(現 ハイダ・グワイ)を訪れ、森の中で朽ち果てたトーテムポールに出会う。そこにはワタリガラスの姿が刻まれていた。
この世に光をもたらし、万物を創造したとされる鳥を残したこの場に霊的な力を感じたという彼は、極北の民族が共有するワタリガラスの神話を求めた旅に出る。
第4章「森の声を聴く 神話との出会い」では、太古から自然とともに生きた人間が残した神聖な遺跡の作品に、現代に受け継がれる神話や信仰をたどった記録を追う。
自然への畏敬から発した人間の痕跡は、その精神性を保ちながら、ふたたび自然へと円環していく。そんな記憶と場の力を、写真は語ってくれる。
自然と人との関係に眼を向けた星野は、エスキモーや極北のインディアンの古老たちを訪ねて、彼らが継いできた話を聞く新しい旅を始めた。さらにアラスカ狩猟民族のルーツを求め、彼らの先祖が1万数千年前に渡ってきたというベーリング海峡を越えて、シベリアへと赴く。
第5章「新しい旅 自然と人との関わりを求めて」では、アラスカからカナダ、そしてロシアへ、さまざまな民族の人びととの対話を思わせる作品に寄り添ってみる。
人がかつてここに暮らしていたことが手に取るように想像できる。
彼には珍しいモノクロ写真の人物像の作品があるのが印象的だ。
それらはカラー写真とともに、とてもやさしいまなざしを感じさせ、星野の気持ちが伝わってくるようだ。
最後に展示される3枚の作品は、風景と、彼が愛したグリズリー。
動物たちをとらえることから始まった彼の旅は、自然と人との関わりへと拡がり、さらにはその歴史へと遡って、「今」に戻ってくる。
夕陽に照らされるグリズリーの姿は、思索的にも見え、ここからさらに続いていこうとしていた彼の意志を象徴するかのようだ。
「私はいつからか、自分の生命と、自然とを切り離して考えることができなくなっていた」
彼の作品は、すべてがフラットだ。
けれどそれは客観的なのではなく、自身を含めたこの地球上の生きとし生けるものすべてを等価に見つめる、愛にあふれたまなざしなのだ。
だからこそわたしたちは、そこに癒しを感じ、同時に自分の存在を、大きな自然の中のひとつであり、ひとつでしかないことを意識する。
人間による自然破壊が進み、温暖化で北極圏の生態系が壊れてきている現代。日本の各地でも、野生の動物たちと人間の生活の軋轢が毎日のようにニュースで報道される。
改めて自然との関わり方を、自分たちの立っている地点を、考える機会。
星野道夫の作品と言葉は、温かい気持ちになると同時に、気負いや義務感、押し付けなく、そんな思考の時間に導いてくれる。
展覧会概要
「星野道夫 悠久の時を旅する」 東京都写真美術館 地下1階展示室
オンラインによる日時指定予約を推奨。
新型コロナウイルス感染症の状況により会期、開館時間等が
変更になる場合がありますので、必ず事前に展覧会ホームページでご確認ください。
会 期:2022年11月19日(土)~2023年1月22日(日)
開館時間:10:00‐18:00 毎週木・金曜日は20:00まで
(入館は閉館の30分前まで)
休 館 日:月曜(月曜が祝日の場合は開館、翌火曜休館)、
年末年始(12/29-1/1、1/4)
12/28、1/2、1/3は臨時開館
入 館 料:一般1,000円、学生800円、中高生・65歳以上600円
小学生以下は無料
都内在住・在学の中学生および障がいをお持ちの方と
その介護者(2名まで)は無料
問 合 せ:03-6427-2806
美術館サイト http://www.crevis.jp