猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。第10回は、江戸中期の名僧、白隠慧鶴がしばしば絵に添えた言葉に、猫のまなざしを重ねてお届け。
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「猫の眼力」
見られている。
そう思うときがある。
たとえば道端で、軒下で、建物の陰で。
おそらく、こちらが気づくずっと前から、
猫はオミトオシなのだろう。
通り過ぎる人間が、
どういうふうに生きてきて、
今どんな心持ちでいるのかを。
ときに猫は問う。
まっすぐな目で。
「それでいいのか!!」と。
「癒し」だけではない、猫の力。
直指人心(じきしにんしん)
見性成仏(けんしょうじょうぶつ)
――まっすぐに己れの心をみつめ、本来備わっている仏性に目覚めよ
参考:別冊太陽 日本のこころ215 栄西と臨済禅
「直指人心 見性成仏」とは、「不立文字(ふりゅうもんじ)」「教外別伝(きょうげべつでん」と並ぶ禅の根幹を成す言葉。要約すれば、釈尊の教えは文字(経典)の中にあるのではなく、目指す悟りの境地も、文字という論理的な思考や言葉によって得られるものではない。大切なのは、経典に示された生き方を実践することであり、それを通して人間の本性を見極め、自己をあきらかにすること。そんな意味があるという。
仏教の他の宗派にはないこの独特の教えの元を辿ると、禅の起源とされる伝承に行き着く。つまり釈尊がインドの霊鷲山(りょうじゅせん)で説法を行った際、蓮華を掲げて大衆に示したところ、弟子の摩訶迦葉(まかかしょう)ただ一人がにっこり微笑んだという、「拈華微笑(ねんげみしょう)」と呼ばれる伝説である。このとき、釈尊が悟った真理は「以心伝心」、つまり心から心へ直に伝えられた。以後、釈尊の仏の心(悟りの境地)は、さまざまな因縁を経ながら以心伝心で受け継がれ、1代目の摩訶迦葉から数えて28代目の菩提達磨(ぼだいだるま)によって中国に渡ってからは、独自の発展を遂げていった。日本からも鎌倉時代に多くの僧が中国に渡り、禅の教えが伝えられた。
現在の日本の禅宗は臨済宗14派と曹洞宗、黄檗宗で展開され、合わせて2万ヶ寺を超える寺院が全国に散在するという。今回取り上げた言葉は、そんな日本の臨済宗の中興の祖で、江戸中期の名僧、白隠慧鶴(はくいんえかく)が、自ら描いた達磨像の余白にたびたび添えた定番でもある。各々の時代、禅僧は迷える人々を救おうとやさしく禅を説いてきたが、白隠も禅の思想や教えを1万余点もの書画に託し、広く伝えようとしたのだった。ダイナミックな筆線とギョロリとした目。迫力ある画風は、日々移ろう世事に惑わされ、大切なものを見失いがちな我が身を見透かし、己の心を見つめよと叱咤する。言葉より雄弁。思わず「すみません」と言いたくなった。
今週もおつかれさまでした。
おまけの1枚。
「喝!」
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。