気がつくと、涼やかな虫の鳴き声に包まれていた。眼前には、鬱蒼と茂る緑の木々。毎日暑い、暑いと言い続けてきたが、季節は着実に移り変わっているようだ。
京都市左京区にある「哲学の道」。
東山山麓を流れる琵琶湖疏水に沿ったこの小道を、久しぶりに、しかも、人もまばらな早朝に歩こうと思ったのは、20世紀初頭の哲学者、西田幾多郎(きたろう)が毎朝この道を歩いて思索に耽っていたことを思い出したから。「哲学の道」の名称も、西田をはじめとする哲学者たちが、この道で思索に耽ったことにちなんで付けられたという。
散歩のはじまりは、「哲学の道」の南端、熊野若王子(くまのにゃくおうじ)神社から。
後白河法皇が、永暦元年(1160)に、禅林寺(通称永観堂)の守護神として熊野権現を勧請し、創祀したと伝わるこの神社で、まずは参拝。
ちなみに、若王子とは神仏習合の神で、若一王子(にゃくいちおうじ)とも呼ばれている。かつて、京都から熊野詣に出かける人々は、那智の滝を表したというこの神社の裏手にある滝で、身を清めるならわしがあったという。
「哲学の道」は、この神社から北端の銀閣寺まで、約1.5km。途中で猫にも会えたらな。淡い期待を抱いて歩き始めた。
ほどなく、猫を発見!
追いかけると、振り返ってチラ見し、
再び歩いて、木の根元にある窪みにストンと座った。
「おはよう!」
声をかけると、
「あ〜い」と返事。
えっ?
「あ」が「わ」、もしくは「お」のように聞こえ、「い」は「う」のようにも聞こえるので、「わーい」「お〜い」、さらに「お〜う」「あ〜う」と言っているようにも思える。
確かめたくて、「今なんて言った?」。そう尋ねると、微妙な発音ながら、やはり「あ〜い」。人間のような返事をする。よく見ると、鼻の模様も三菱のマークみたいでおもしろい。
近くには別の猫もいた。
もっとも、こちらはちょっと手強そう。あいさつだけして、先へ進んだ。
琵琶湖疏水は、明治23年(1890)に完成した、琵琶湖の湖水を滋賀県大津市から京都市へ流すために作られた水路(詳しくは、このサイトの連載「ひとり土木探訪記」を参照)。なかでも蹴上(けあげ)から分岐して北白川方面に流れる水路、つまり「哲学の道」沿いの水路は、疏水分線と呼ばれている。
澄んだ水には魚が泳ぎ、
カモも水の流れに乗って、仲良く移動。
京都市内のほとんどの川が、標高の高い北から南へ流れるのに対し、疏水分線の流れは南から北。方向感覚が逆になり、ちょっと不思議な気分だ。
沿道には、ところどころに石仏が置かれていた。
家々の軒下を飾る「ちまき」も京都らしい。
なかにはたくさんかけてある家も。
このちまきは、毎年7月に疫病退散を願って行われる祇園祭で、各山鉾町と八坂神社で販売されているお守り。玄関の外に掛けて、疫病神が入ってこないようにするのだという。
法然院の近くには、西田幾多郎が晩年に詠んだ歌を刻んだ石碑があった。
文字も、西田が69歳のときの自筆の書が元になっているという。
──人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行なり
自己とは何か。人生とは何か。そして、われわれはいかに生きるべきか。そんな人生の根本的な問いを思索の動機に据えた西田の歩みを凝縮したような言葉である。
石川県出身の西田が京都に住むようになったのは明治43年(1910)、40歳のとき。京都帝国大学の助教授に招かれてのことだった。翌年、自身にとって初の著作となる『善の研究』を刊行。当時輸入されてまもない西洋哲学を、ただ学び、受け入れるだけでなく、日本人である自己の内面とどう折り合いをつけるかを模索し、10年ほど禅の修行に打ち込んだ体験も持つ西田にとって、『善の研究』は、西洋哲学と東洋思想の融合を目指すものだった。外来という借りものではない、日本独自の哲学を生み出した強靱な思索力は、問いの繰り返しによって構築されたという。
「この色、この音は何であるという判断すら加わらない前」、つまり「全く自己の細工を棄てて」、事実そのままに知ることが最醇(さいじゅん=最も純粋であること)の経験であり、真実であるとし、そこからすべてを考え直すことを試みたという『善の研究』。西田にとって、この道で出会う自然や風景は、どのように映っただろう。
実はこの夏、西田を人生の師と仰ぎ続けた知人を亡くしたばかり。そのことが、哲学の門外漢である自分をこの場所に導いた。
「吾行く道を吾は行なり」──。知人の生き様と、西田の言葉が重なった。
一方、猫は?
遅まきながら、その後は猫に意識を集中させ歩を進めたが、1匹も出会えない。ようやく見かけたと思ったら……、
部屋の中。
窓の向こうは、気温上昇中の外気とは別世界なんだろうなあ。
結局、道端では猫に出会えず、気がつけば、銀閣寺近くの橋本関雪記念館の前にいた。(「哲学の道」に300本のソメイヨシノを寄贈したこの画家については、本サイトのこちらを参照)。
当初の予定は、この場所で散策は終わり。だが、これでは不完全燃焼だ。迷った末、最初に猫と出会った場所へ戻ることにした。
猫たちは、まだいるだろうか? はやる気持ちで戻ってみると……、
いた!!
さっきと同じ、木の根元の窪みで寛いでいる。近づくと、おもむろに大きく伸び。
えっ? 行っちゃうの?
……と思ったら、すまし顔でポーズをとった。
「しゃあないな、暇やし相手でもしてやるか」と思ってくれたのかな?
しばらくまったり一緒に過ごした。
そうそう、あの手強そうな猫たちは?
やっぱり同じ場所にいた。どうやらここは、彼らの定位置のよう。相変わらずの眼力に、早々に退散……と思ったが、1匹がついてきた。
少し離れてそーっと座り、何か訴えるようにじっと見る。
「ないよ、何も持ってない」
手のひらを見せながらそう言うと、猫は近くに置いてある水を飲み始めた。
水の入った器があるということは、ここで誰かが猫を世話しているのだろうか。その人(たち?)が今日はまだ来ておらず、お腹を空かせているのかもしれない。水を飲み終えても、物欲しそうに寄ってくる。
何かあげたいが、ついさっき、猫への餌やりは禁止、という立札を見たばかり。
「あげたいけど何もないし、あってもあげられないんだよ」
ごめん。
地域の猫の問題が、解決される日はくるだろうか?
やりきれない想いで後ろ姿を見送った。
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。