世界初開催! 高雅な美で浮世絵界の展開期を彩った絵師の全貌に迫る
喜多川歌麿が美人画で名を馳せ、東洲斎写楽が大胆な役者絵で毀誉褒貶(きよほうへん)の騒ぎとなった天明から寛政期、そして葛飾北斎がその名を上げつつあった文化期。スター絵師がきら星の如く輩出された浮世絵界の展開期に、いまひとり、武士の身分を離れてこの世界で活躍した異色の絵師がいた。
鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし、1756–1829)。
500石の旗本に生まれ17歳で家督を継いで、時の将軍・徳川家治の御小納戸役(身の回りの世話をする側近)となる。絵が好きな主君の絵具を用意する「絵具方」という役目を務めながら、御用絵師だった狩野栄川院典信(かのうえいせんいんみちのぶ)に絵を学ぶ。
だが、天明6年(1786)に家治が逝去し、老中・田沼意次が失脚した時代の節目の頃に、本格的に浮世絵師として活躍するようになり、やがて武士の身分も離れる。
江戸狩野派の創始者・探幽の直系に学んだ栄之の画技ならば、そのまま奥絵師や表絵師としての道もひらかれていたと思われるが、敢えて庶民文化である浮世絵師の道を選んだ理由は分からない。しかし、スラリとした長身で上品な美女や、彼女らが豪華な船に乗って隅田川を遊覧する図など、残された作品は、手の込んだ摺りや美しい彩色に彼の教養やセンスが活かされ、のびやかな喜びとともに見る者を魅了する。
美人画では歌麿と拮抗したともされながら、知られざる存在であるこの鳥文斎栄之の展覧会が千葉市美術館で開催中だ。
栄之の作品は、明治時代の外国人のなかで歌麿に次ぐ人気で、多くが国外に流出しており、国内でまとめて見ることが困難な状況だという。このため、浮世絵が大きく展開した時期に活躍しながら、いまや忘れられた絵師になっている。本展では、約400点の栄之作品を所蔵するボストン美術館からの選りすぐりや大英博物館の優品など29点が里帰り。国内からも新発見の肉筆画を含む代表作が集結し、多彩な弟子たちの作品も併せた約160点で、歴史に埋もれた絵師の全貌に迫る、世界初の個展となる。
はじまりは、絵の師匠・狩野栄川院典信の作品から。
幕府の御用絵師として江戸期を通じて君臨した狩野派のなかでも、奥絵師として将軍家に仕えた名門・典信に学んだ栄之は、ここでしっかりした素地を身につける。一説には浮世絵を手がけるようになって破門されたとも伝聞されるが、師より与えられた一字を含む「栄之」の名を使い続けていることから、本展では、周囲も、そして本人もその出自を認めていたことを示唆する。
まずは、プロローグ「将軍の絵具方から浮世絵師へ」で、武士としての栄之の姿とともに、“本流”の確かな筆を、《関ヶ原合戦図絵巻》(前後期で巻替えあり)に確認する。
左は狩野栄川院典信《田沼意次領内遠望図》。典信は、意次邸の隣に屋敷を拝領しており、親しい間柄だったようだ。右奥には大名道具として誂えたものとされる絵具箱が展示される。現存するものとしては貴重な一式に、絵具方の仕事に思いを馳せる。
庶民文化として花開いた浮世絵は、時事を含め流行の最先端を画にし、彫師と摺師により大量に生産して安価に提供するもので、そのスピード感も内容も、主君の要望に合わせて一枚の画を完成させる御用絵師とは全く異なる制作となる。
そうしたなかでも栄之の浮世絵デビューは、他の絵師とは異なっていたようだ。通常、絵師たちは、細判といわれる小さな画面の役者絵からスタートする。これは、販売期間も短く、より安価な浮世絵であり、いまや世界に知られる歌麿も北斎もしかり。
しかし栄之は、デビュー後まもなくから大判で、しかも続絵(つづきえ)と呼ばれる3枚や5枚で構成される大作を手がけている。まだ大判錦絵がめずらしく、その半分の中判が主流であった時代。新人絵師としては破格の待遇であり、おそらく浮世絵史上初の5枚続の作品とも目される《吉野丸船遊び》を含む作品群は、通常の錦絵のサイズの10倍であり、当然価格も高額になる。そこに描かれる上流階級の優雅な舟遊びの情景は、その内容とともに、富裕層に向けた浮世絵であったと考えられる。
こうした世情や人気、でき具合を見計らって商品プランを練るのが版元だ。栄之を売り出すにあたり、版元は彼の出自をも商品の魅力としてアピールしたのではないか。
第1章「華々しいデビュー 隅田川の絵師誕生」では、そうした版元の思惑も意識しつつ、大判続絵に、隅田川遊覧を描いた栄之を代表する作品を堪能する。
千葉市美術館とボストン美術館、大英博物館所蔵の作品は通期で見られる。
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection 11.14119-21 Photograph © 2023 Museum of Fine Arts, Boston
ボストン美術館からの里帰り作品のひとつ。3枚続に船上で遊興にいそしむ美人たち。対岸にその上部をのぞかせる三囲(みめぐり)神社の鳥居から、隅田川とわかる。舳先で舞う女性の鶴文の衣装や見物する女性の着物、船にかけられた幕の笹竜胆(ささりんどう)の紋から、鶴岡八幡宮で舞う静御前をやつした風景と読みとれるそうだ。褪せやすい紫の色も美しく残り、摺りもみごとな一作。
栄之といえば、隅田川遊覧のみならず美人画が知られている。それは、歌麿人気が絶頂だった寛政期に重なり、描かれた美人に共通しているものもある。
それまで美人画では鳥居清長が七頭身の美女を創出して人気を博していたが、家業の役者絵看板を継ぎ多忙を極めた彼は錦絵制作から離れていく。新たな時代の美人画が求められ、そこに登場したのが歌麿だった。版元は、『吉原細見』を改変して大ヒットさせ、アイデアマンとして台頭してきた蔦屋重三郎。
一方の栄之の作品は、デビューより主に西村屋与八から出版されている。西村屋は錦絵が生まれた時代からの老舗の版元で、新興の蔦屋とは格が異なる。
大首絵で艶っぽい美女を得意とした歌麿に対し、栄之は、全身像の知的で清廉な美人画のスタイルを確立して拮抗する。そこには、こうした版元の思惑と市場の棲み分けの姿も浮かび上がってくるだろう。
第2章「歌麿に拮抗―もう一人の青楼画家」では、幕府公認の遊郭・吉原の遊女たちを描いた作品を中心に、栄之の最盛期の精華をみていく。
その品格のある美人たちの姿は、多く空摺(からずり、エンボス加工)や雲母摺(きらずり)などの豪華な摺りがほどこされている。ぜひ間近でその技も確認して!
遊郭の美人たちが並ぶのは壮観。
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection 11.14082 Photograph © 2023 Museum of Fine Arts, Boston
紅の色がひときわ美しいこちらは、正月の新衣装の披露や遊女の突き出し(デビュー)を宣伝する吉原の意向を兼ねていると思われるシリーズの一枚。背後の衣桁に掛けられた打掛の全容が右上のこま絵に描かれていることからも察せられる。遊女・染之助が福寿草を眺める吉祥画でもある。小鳥の飛び交う打掛には雲母がほどこされているので会場で確認して!
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection 11.14036 Photograph © 2023 Museum of Fine Arts, Boston
丁子屋の遊女・磯山の突き出しを記念したと思われる豪華な摺の一作。紅に加え、紫も美しく、背景と磯山の帯の黄色によく映える。ふたりの禿(かむろ)の目じりの紅、揃いの帯がかわいらしい。
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection 11.14079 Photograph © 2023 Museum of Fine Arts, Boston
右:展示風景
江戸の町で評判の難波屋のきた、高嶋ひさ、湯島女坂の立花屋たつの三人小町を描く。この三人は歌麿が描いていることでも知られているだろう。それぞれの衣装にほどこされた文様で、いずれかが判別できるようになっている。3美人が「松竹梅」と書かれた軸を持つ、美人画にして吉祥画の一枚で二重においしい作品。
一点一点に解説も付されているので、着物の意匠や周囲のものから読みとれる意味、そしてそれぞれにほどこされた多彩な摺りの技術を楽しんで。
The British Museum, 1927,0518,0.5 © The Trustees of the British Museum. All rights reserved.
栄之には珍しい大首絵は、蔦重が没した後にいくつか制作されたうちの一点。おそらく彼の生前は何らかの取り決めがあったのだろうと考えられている。上部のカルタには百人一首にも選ばれている喜撰法師の和歌が書かれ、遊女が手にする合わせ貝には『源氏物語』の「橋姫」の図が描かれる。判じ物といわれる絵解きの知的遊戯を含んだ作品は、描かれている遊女の知性も感じさせ、なお一層美女を魅力的にしている。
こうした鮮やかな錦絵を彩ったのが「紅」の赤で、紅が多く使われるものは値段も高くなる。それに抗するように、江戸っ子は敢えてこの紅を使わない作品をも愛で、楽しむようになる。「紅嫌い」といわれた手法で、華やかさが抑えられた渋い画風が、天明後期から寛政前期頃に多く生み出された。とはいえ、紅嫌いのなかでも「紫絵」に多く使用された紫色は、紅を青花と混ぜないと出せない色なので、見えないところに紅を使用しているあたりが“粋”なのだが。
栄之は、この紅嫌いの作品をもっとも多く出版した浮世絵師だという。
第3章「色彩の雅―紅嫌い」では、『源氏物語』などの古典的主題を当時の風俗に置き換えて紅嫌いに表した栄之の「やつし絵」を楽しむ。
また一方で栄之は、紅や紫をふんだんに使い、黄色一色で背景を塗りつぶす「黄潰(きづぶ)し」(ムラのないように摺るには相当の熟練度が必要)などで、武家や貴族階級の女性の風俗を表した作品も多く残している。これらは当の階層の人々には親しみを持たれ、庶民からは憧れをもって享受されたであろう。
第4章「栄之ならではの世界」では、こうした他の絵師とは差別化して出版されたと思われる栄之の作品をみていく。
出身階級や文学的素養に基づき、抑制の利いた、あるいは豪華な摺りで表される当時の上流階級の人々の典雅さは、まさに「これぞ栄之」を感じさせるだろう。
渋いトーンのなかに見いだせる贅沢さと、ゆえにこそ引き立つ典雅さを感じたい。
鳥文斎栄之《伊勢物語》大判錦絵3枚続 寛政3–4年(1791–92)頃 大英博物館蔵
『伊勢物語』に取材した続物。右手の外に立つ美男が、当時は作者と考えられていた在原業平か。緑の衣装で美しい。配された歌のあしらいも渋く、それぞれ一枚でも成り立つ構図で配されていることにも注目。
知性と教養の高さを感じさせる上流階級の美人画には、いまでも憧れを感じるかも。
栄之には、浮世絵師デビュー当時から多くの門人がいたようだ。錦絵の世界では、鳥高斎栄昌(ちょうこうさいえいしょう)、鳥橋斎栄里(ちょうきょうさいえいり)、一楽亭栄水(いちらくていえいすい)などが挙げられるが、いずれも詳しいことが判っていない。ここから、門人たちもまた武家出身であり、世への憚(はばか)りから出自などが伏せられていたのではという可能性、あるいは、「栄」の字から、栄之の師・栄川院典信の門人とも関わりが指摘されるそうだ。解明にはこれからの研究が俟たれるが、いずれも、時代の流行とそれぞれの個性を獲得して、活き活きとした美人画を残している。
さらに、栄之が浮世絵師として活躍した時代には狂歌が流行し、武士と町人が身分の垣根を超えてグループを形成し熱中した。狂歌連には、吉原の楼主や版元、絵師たちも多く関わり、豪華な多色摺の狂歌絵本や私的な配布物として凝った摺りの「摺物」が盛んに制作された。
当然栄之も文化人としてこうした人脈ともつながりを持っていた。特定のグループに属した形跡はないものの、山東京伝らが執筆した洒落本の挿絵を手がけたり、蔦屋から刊行された狂歌絵本に、北斎らとともに挿絵を提供している。
第5章「門人たちの活躍」、第6章「栄之をめぐる文化人」では、こうした栄之をめぐるさまざまな人、文化のつながりを感じる。
それぞれ、師に学び、当時の浮世絵界から吸収した要素を活かした自由で魅力的な作品たちも楽しい。
Museum of Fine Arts, Boston. William Sturgis Bigelow Collection 11.21185 Photograph © 2023 Museum of Fine Arts, Boston
弟子の栄昌の一作は、世界に一点だけ確認される超稀少なもの。摺りもひときわ美しく、文様のある背景に、明るい笑顔の美人が印象的だ。師匠よりも歌麿の影響を強く感じさせるところも興味深い。
寛政期は、浮世絵界の活性化と同時に幕府の改革も進められる。殊に浮世絵界では、美人画に名を入れてはいけないなど、厳しい監視の目が注がれた。
歌麿は名前を判じ絵にするなど当局への反骨をみせるが、栄之は武家出身の憚りもあったのか、取り締まりが厳しくなる寛政10年(1798)頃から浮世絵制作から離れ、肉筆画に注力するようになる。
その後の30年ほどは肉筆浮世絵の世界で活躍し、そもそもの画力も相まって美人画の優品を多く残している。また寛政12年(1800)頃には、後桜町上皇の御文庫に隅田川を描いた作品が納められたという伝聞も残る。この図は将軍の命によって描いたものというエピソードからも、栄之が上流階級や知識人から愛されていたことがわかる。
隅田川を主題とした作品はこれ以降多く望まれたようで、川を伝って吉原に通う様子を描いた「吉原通い図巻」などは、異本が20本近くあるとか。
第7章「美の極み―肉筆浮世絵」では、栄之の後半生に描かれた肉筆浮世絵を堪能する。このたび新たに発見され、本展が展覧会初出品となる《和漢美人競艶図屏風》や、豪華で美しい《貴人春画巻》などの貴重な作品を含み、きらびやかな品格を持つ美人画と河岸の空気までを描いたみごとな風景画に酔う。
あでやかな着物と清廉なたたずまいは、肉筆画ではひときわ輝く。お気に入りを見つけて。
日本と中国の伝説の美女を3人ずつ交互に配した屏風。本展の準備中に発見され、初公開となる一作は、このたび屏風に仕立てられたそうだ。それぞれのため息が出るほどの美しさもさることながら、和漢の故事や衣装、装飾品の精緻な描写には、栄之の確かな技量と知識が感じられる。まさに品格の一隻。嬉しい通期展示なのでお見逃しなく!
屏風絵は美人画も風景画も圧巻。
左:鳥文斎栄之《三福神吉原通い図巻》文政(1818–30)前期頃 千葉市美術館蔵
恵比寿、大国、福禄寿の三福神が隅田川を上って吉原に向かい、遊興するまでを描いた、楽しい一巻。隅田川の絵師ならではの題材だ。
右:鳥文斎栄之《貴人春画巻》文化6年(1809)個人蔵
12図からなる春画巻も紹介される。良質の絵具をふんだんに使った美麗な一巻は、精緻な筆も素晴らしい。多くの浮世絵師が手がけた春画は、当然栄之も制作している。広い画業をとらえたセレクトに拍手。
こうした栄之の作品は、ジャポニスムブームのなか、欧米で早くから注目され、肉筆を含む多くの浮世絵が海外に渡った。もともとが他の錦絵に比べて高額で、摺られた数も少なかったと考えられる彼の作品は、それゆえに国内では稀少なものとなった。
エピローグ「外国人から愛された栄之」では、こうした海外コレクターの売立目録が紹介される。歌麿研究でも名高いエドモン・ド・ゴンクールをはじめ、その評価の高さや熱狂ぶりを感じられるだろう。
海外の売立目録から、いかに栄之の人気が高かったかがしのばれる。
鳥文斎栄之《新大橋橋下の涼み船》大判錦絵5枚続 寛政2年(1790)頃 ボストン美術館蔵
会場の最後には、豪華5枚続の浮世絵が見送ってくれる。こちらも紅、紫、黄、黒の対比が美しい納涼の船遊びの情景。ボストンからの里帰りの本作は撮影OKの大サービス!
武士から浮世絵師へ。
身分制度が現在考えるよりも強固だった時代に意外な転身をなし、その出自を活かしながら独自の麗しい美の世界を創り上げた鳥文斎栄之。
そこには、天明から寛政、そして文政期の幕府と庶民文化の在りようが響き、浮世絵の受容層の多様さが感じられ、老舗と新興の版元という出版界のシステムが浮かび上がる。そして何よりも、人々が憧れ、共感し、楽しんだ「美」の世界がよみがえる。
もっと知られていてよいはずの絵師との邂逅を、思う存分堪能したい。
なお、同時開催で、同館コレクションから、武士の身分で絵筆をふるった著名な人物の作品が紹介される「武士と絵画―宮本武蔵から渡辺崋山、浦上玉堂まで」も開催中。
同じ武士出身の“絵師”たちの表現を楽しむとともに、栄之との共通点と差異を探すのも一興だ。
展覧会概要
「サムライ、浮世絵師になる! 鳥文斎栄之展」 千葉市美術館
千葉市美術館
会 期: 2024年1月6日(土)~3月3日(日)
※会期中展示替えがあります(後期展示:2月6日~3月3日)
開館時間:10:00‐18:00(金・土曜日は20:00まで)
※入場は閉館の30分前まで
休 室 日:1月9日(火)、15日(月)、2月5日(月)、13日(火)
観 覧 料:一般1,500円、大学生800円 高校生以下は無料
障害者手帳提示者と介護者1名は無料
※本展観覧料で入館当日に限り、
5階常設展示室「千葉市美術館コレクション選」も観覧可能
問 合 せ:043-221-2311
公式サイト https://www.ccma-net.jp