260年の歴史、イタリア名門歌劇場に初の女性音楽監督就任
11世紀にヨーロッパ最古の総合大学を創立したことでも有名なイタリアの古都ボローニャ。260年前に開場したボローニャ歌劇場は、オペラ文化の象徴的存在として、圧倒されるような美しい装飾空間で観客を魅了している。2023年11月の来日ツアーでは、全国6会場で全9回の公演を行った。初日に先立って行われた記者会見では、歌劇場総裁フルヴィオ・マッチャルディ、2022年より音楽監督を務めるオクサーナ・リーニフ、『トスカ』のタイトル・ロール、マリア・グレギーナ、カヴァラドッシ役のマルセロ・アルバレスが登壇し、再び日本の観客の前で演奏できる喜びを語った。バイロイトのピットに初めて入った女性指揮者であるリーニフは、世界が注目する精鋭。2008年から専属指揮者を務めていたウクライナのオデッサの劇場でグレギーナと共演を重ね、会見では歌手とともにウクライナの平和を願う意思も見せた。
『トスカ』が当たり役のグレギーナとマエストリの美声に酔う
11月2日の『トスカ』初日は、グレギーナ、アルバレスとともに悪役スカルピアのアンブロージョ・マエストリが登場し、泉のように果てない美声が圧倒的であった。『ファルスタッフ』などコミカルな役も得意とするマエストリだが、スカルピアも完全に身体に入っていて、「テ・デウム」での毒々しい歌唱も風格があった。
グレギーナのトスカは華があり、1幕ではやや緊張気味だったが、得意とする役を情熱的に演じた。2幕の『歌に生き、恋に生き』は、プッチーニのオペラのハイライトでもあり、グレギーナの40年にわたる歌手人生を集約するようなアリアでもあった。格別の拍手が起こる。アルバレスは1幕でオクターヴを落として歌う箇所もあり本調子ではないのかと心配したが、2幕の拷問シーン以降歌唱が再燃。3幕の『星は光りぬ』では聴衆の心を惹きつけた。
可憐なフレーズも新鮮なリーニフの音作りに好感
リーニフの指揮はドラマティックだが無駄に大袈裟なところがなく、ふだん聴こえてこないパートの可憐なフレーズがたくさん聴こえてきた。歌手に寄り添う呼吸感があり、2幕のファルネーゼ宮のグロテスクなシーンでは、オーケストラから巨大なパワーを引き出していた。木管の不気味な響きが、銃口から立ち上る硝煙のように聴こえたのが印象的。ジョヴァンニ・スカンデッラの演出は伝統的で、1幕では美術が殺風景に感じられたが、絵画を背景に投影した2幕は美しく、歌手を当惑させるような解釈もなかった。
ベッリーニの最高傑作『ノルマ』を上演
今回のボローニャ歌劇場の最大の収穫は、翌日に上演された『ノルマ』のほうだったかもしれない。高度な技術を求められるベッリーニのこのオペラが実演で観られることもそう頻繁ではなく、歌手たちの切っ先鋭い仕事ぶりが如実に伝わってきた。
ベルカント・オペラの真髄を感じさせる見事な舞台
主役のノルマを歌ったフランチェスカ・ドットは、2018年のローマ歌劇場の来日公演で『椿姫』のヴィオレッタを演じていたソプラノ歌手だが、ソフィア・コッポラの大人しい演出のせいか「うまいけどお嬢様然としていた」椿姫の印象から一転して、超絶的な演技力と歌唱力を見せつけた。我が国が誇るオペラ歌手、脇園彩のアダルジーザも鮮やかで、ベルカントの細やかなフレーズを一音も外さず、完全なるドラマの表現として伝えてくる。優柔不断なボッリオーネは、テノール歌手のラモン・ヴァルガスが好演。この歌手も大スターだが、実際の舞台で観るのは久しぶりのような気がする。歌唱にまったく衰えがなく、本人が誠実な人物であることも影響してか、愛に関して非道な役であるにも関わらず、感情移入してしまう場面が多かった。指揮は大ベテランの風貌のファブリツィオ・マリア・カルミナーティがピットに入り、イタリアのオーケストラ特有の豊穣なサウンドを聴かせた。どのパートからも歌心が感じられ、歌詞に寄り添うような饒舌さがあった。
演出は、コスチュームこそ現代的(ノルマたちは巫女の姿ではなく女戦士のような装束をしている)だが、ギリシア悲劇を彷彿させる静謐なドラマ作りで、誰が作っているのだろうとプログラムを見て驚愕。2000年代に頻繁に来日していたソプラノ歌手のステファニア・ボンファデッリが演出家に転向し、自身がよく知るベッリーニのオペラを制作していた。本人は来日していなかったようだが、この事実に嬉しさを感じた。ユニークで愛らしいキャラクターだったが、歌手として伸び悩んでいたのを見ていたので、こうした形で才能を生かしてオペラに関わっているのは喜ばしい。
イタリア・オペラの新たな情熱を実感
ボローニャ歌劇場の合唱は重厚で、一人一人が圧倒的な存在感を放っていた。2013年にボローニャ歌劇場を現地で取材したとき、取材した奏者の一人が「今やイタリアでもオペラは不人気で、人々の関心は別のところにある」と痛切な表情で語っていた。オペラはイタリアのものであり、世界のものでもある。引っ越し公演という骨の折れる催しの中でこそ、新たな情熱が生まれることを実感した。日本という鏡に映ったイタリア・オペラの感動を、劇場にもお返ししたい想いだった。