「やさしい一匹の獣」谷崎潤一郎│ゆかし日本、猫めぐり#32

連載|2023.8.25
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。
第32回は、谷崎潤一郎の言葉とともに味わう、愛猫とのかえがえのない日々。

「猫との日々」

いつからだろう。

そばにいる、ただそれだけで、
心も身体も、まるごと深い安心感に包まれるようになったのは。

いつからだろう。

じっと見る、ただそれだけで、
何を考え、察しているか、
互いにわかりあえていると思うようになったのは。

気がつけば、
あのときも、

あのときも、

君はいた。

今では家人が気づかないようなことも、
君はしっかり見抜いている。

この「やさしい一匹の獣」と過ごす日々。
それは、ともに生きてきた時間であり、

暮らしであり、

思い出でもある。

そう、
君は私の、大切な過去の一部。 

「此の罪のない、やさしい一匹の獣をさへ愛することが出来ないやうな女だからこそ、夫に嫌はれたのではないか」

――谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のをんな』

 生まれは東京・日本橋。粋で艶めいた江戸の名残をまだとどめていたこの下町界隈で、明治時代中期から大正初期まで暮らし、江戸っ子であることを自負していた谷崎潤一郎が、関西に移住したのは大正12年(1923)、37歳のとき。関東大震災がきっかけだった。

 東京帝国大学の入学時に背水の陣を敷く想いで小説家を志し、当時全盛だった自然主義文学に叛旗を翻そうと、江戸情緒の濃い、生命感あふれる耽美的な作風で一躍文壇の寵児となった谷崎にとって、ほんの一時の避難のつもりだった関西への移住は、大きな転換点となるできごととなった。実は谷崎が愛する生まれ故郷、東京は、明治維新を機に、徐々に建物や文化などの新旧が入り混じる「不愉快な都会」(「鮫人」より)になっていき、その視線は西欧や中国など、外へ向けられることが多くなっていた。だが、古い歴史が色濃く残る関西の地で、日本の伝統文化や古典的世界へ目を向けるうち、作風に変化が現れた。関西移住後一作目となる『卍(まんじ)』では、大阪弁による女性一人語りという文体に挑戦。以後作品の内容に合わせて文体を果敢に変容させ、谷崎文学の魅力の一つである、流麗で巧みな語り口にいっそう磨きをかけていった。私生活でも、創作のミューズとなる松子と出会い、最初の妻との離婚、さらに二番目の妻との結婚、離婚を経て、ようやく松子と祝言をあげるに至っている。

 今月の言葉は、そんな松子との結婚後まもなく発表された『猫と庄造と二人のをんな』からの抜粋。この作品で、猫は「日向臭い獣」とも表現され、重要な役割を果たしている。登場する2人の女性の人物像は、谷崎の先妻や松子と異なるとされているが、先妻の希望で愛猫を譲り、猫恋しさに元夫が彼女の家の周りをうろつくという筋だては、谷崎自身の体験がベースになっているという。

 猫好きだった谷崎は、「女でも猫のやうな顔が好き」(「私の好きな6つの顔」より)と語り、晩年は溺愛した愛猫を剥製にしてずっとそばに置いたほど。それだけに、この作品でも猫の生態や特徴が、愛情を持ってリアルに描かれ、猫好きにはたまらない一作となっている。
 もっとも、それだけで終わらないのが谷崎文学。軽妙な大阪弁の会話で、読者をスルスルと物語の世界に引き込み、徐々に、この「やさしい一匹の獣」を通して、登場人物それぞれの心の奥に潜む本音や孤独、淋しさを浮かび上がらせていく。勝ち気でしっかり者の先妻は、猫と心を通わせることで、これまで人間にさえこんなに細やかな情愛を感じることがなかった我が身を振り返り、対して甲斐性なしの頼りない庄造は、猫だけが、誰にもわかってもらえない淋しい自分の気持ちを見抜き、慰めてくれていたのだと気づくのだ。さらに、猫は自分の「過去の一部」だと。

 慌ただしい幕切れの直前に、庄造が吐露する「自分こそほんたうの宿なしではないか」という言葉が、深い余韻となって心に残る。

今週もお疲れさまでした。
おまけの一枚。
(置物を真似てオスマシ)

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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