注目の展覧会を、あの人ならどう鑑賞する? そんな視点でお送りするエッセイ企画「あの人と展覧会」がスタート。
第1回は、小説家の高山羽根子さんが登場。アーティゾン美術館で7月10日(日)まで開催されている「Transformation 越境から生まれるアート」を鑑賞していただきました。
高山羽根子
作家。多摩美術大学美術学部日本画専攻卒。2009年、「うどん、キツネつきの」が第1回創元SF短編賞佳作となりデビュー。2016年に「太陽の側の島」で第2回林芙美子文学賞、2020年に「首里の馬」で第163回芥川龍之介賞。新聞や各種雑誌などに展評や美術エッセイなども執筆する。ほかの著書に『オブジェクタム』、『暗闇にレンズ』など。
接頭辞・トランスから見える「境界」
トランスフォーメーション、越境。そのふたつの言葉を美術、とりわけドローイングをはじめとした平面作品の表現とのつながりで考えてみると、そこには「線」という概念が思い浮かぶ。
トランス、という言葉はラテン語の接頭辞で「反対側」「超えて」といった意味を持つ。今でもトランスという単語だけなら、精神的な超越を起こすような音楽のジャンルやその周囲の文化をあらわすし、そういった超越状態自体を指しても言う。トランスレーションは翻訳を指し、トランスペアレントは透明な、透きとおった状態を指す。また、今の社会でトランス女性、トランス男性、というと、それはトランスジェンダー、つまり性別の境界に対してそれを超越している存在であるという考え方をあらわす。詰まるところトランスというのは、そういった越境行為全般のイメージをはらんだ言葉なのだろう。
超越する、という言葉について考えると、そこには境界の存在が対になって現れてくる。言語翻訳という行為には国境あるいは文化的境界が不可分であるように、超えるという行為においてもあらゆる境界の存在を意識しないわけにはいかない。
この展覧会は、第1章のルノワールから始まり、第2章、藤島武二、藤田嗣治、小杉未醒(放庵)といった日本人画家、第3章のパウル・クレーを軸として見た「青騎士」、第4章のザオ・ウーキーまで、エスニシティを超越した流動感のあるものになっている。
絵画を描くとき、これは最初期の絵画が恐らくそうであったように、多くの人はまず線を引くだろう。ただ、自然界のあらゆる物体にアウトラインというものは存在せず、厳密には別の物質と物質のあいだの細密な情報のせめぎあいを、人間が便宜上、記号化してそう見ているというだけだ。ルノワールの円熟期、主に女性像を中心とした人物像にはっきりしたアウトラインが感じられないのを観ながら、そんなことを思った。
Ⓒ東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
また併せて会場では、ルノワールがルーヴル美術館のグランドギャラリーで行なったとみられる、ルーベンスの模写作品も展示されている。作家の表現が時代や国、文化の境界を超えるのに、模写というのは重要な行為となる。
国立西洋美術館蔵(梅原龍三郎氏より寄贈)
そして、厳密にいえば「国境」なるものは肉眼で見ることができない。風景画というのはナショナリズムの高揚に用いられるにもかかわらず、その風景画には国境線など描かれないのだ。
藤島武二が風景画を主題とした制作に力を注ぐようになったのは1928年、昭和天皇の即位を祝う油彩画に《日の出》を選んだことから始まったのだという。同じ年に安田講堂の壁画制作が中止になったことも含め、個人的に興味深い流れだと感じた。
第3章のパウル・クレーから第4章のザオ・ウーキーまでの流れが、この展示のここまでを踏まえた出色、というかハイライトであることはまちがいがなかった。ドイツのバウハウスや青騎士の流れ、戦中はナチスの時代なので、退廃芸術の排斥もあっただろう。それらの動きから、戦後の作家であるザオ・ウーキーが影響を受けていたことについて、年表などの資料と、作品自体が並列に展示されている。なかでも過去展のパンフレットやバウハウスの機関紙などの実物といったものがとても印象的で、これらにより作品の印象がとても豊かになるのを感じた。模写を行い影響を受けあいながら、フランスから日本、ドイツから中国へと作家は越境していく。ザオの大型作品には、クレーの影響が強くありながら、その中に水墨のインプレッションが強く残る。
©2022 by ProLitteris, Zurich & JASPAR, Tokyo C3760
Transformation――境界を超えて
私個人がもつ経験のなかでもたびたび、それぞれの文化や要素の境界というものは不確定で、明確に可視化されることはないと感じてきた。
大学では日本画を専攻していたけれど、日本画とその他の平面作品との境界、あるいは文字と絵画の境界、純文学とSFの境界など、実際そのようなものははっきりと目に見えず、絶えず流動する。
言葉や文化というものの境界を超えることでこそ生まれる文化というものがある。
そういった特殊な変化を進化としていいのか、それとも強要された不自由な変形と考えていいのかはわからないけれど、これらは大きな境界があるからこそ、大きな変形というスペクタクルを起こすのだろう。
展覧会概要
「Transformation 越境から生まれるアート」
アーティゾン美術館
会 期:2022年4月29日(金)~7月10日(日)
開館時間:10時から18時(4月29日を除く金曜日は20時まで)
*入館は閉館の30分前まで
休 館 日:月曜日
入 館 料:ウェブ予約チケット1,200 円、当日チケット(窓口販売)1,500円
大学生、専門学校生、高校生 無料(要予約)
中学生以下 無料(予約不要)
障がい者手帳をお持ちの方と付き添いの方1名 無料
*入館時に障がい者手帳をご提示ください。
WEBサイト https://www.artizon.museum/exhibition/detail/540
同時開催:ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策
石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 ピカソとミロの版画 —教育普及企画—