話題の朝ドラ「虎に翼」の主人公・三淵嘉子さん。 「家庭裁判所は愛の裁判所ということができませう」

ピックアップ|2024.6.19
文=佐藤暁子(編集者)

戦争が終わり、裁判官を目指す

 現在放送中で、日々話題のNHK連続テレビ小説「虎に翼」。
 伊藤沙莉演じる、主人公・佐田寅子(さだ・ともこ)は、弁護士を目指して法律事務所に就職するも、男女の壁にぶつかりやむなく退職、また戦争や病気で相次いで家族を失う。そして終戦後、残された家族を養うために再び法律の世界へと立ち上がる寅子が選んだのは、裁判官を目指すことでした。

 寅子のモデルとなったのが、日本初の女性弁護士となり、その後裁判官に、そして日本初の女性裁判所長となった三淵嘉子(みぶち・よしこ/1914〜84)です。
 ドラマでも語られているように、戦前の日本では、裁判官や検事・判事の仕事に女性が就くことはできませんでした。しかし、男女平等を基本原理とする日本国憲法が施行されたことから、女性も裁判官に採用されるべきだと嘉子は一念発起、1947(昭和22)年、3月裁判官採用願を司法省人事課に提出。裁判官としては採用されませんでしたが、最高裁事務総局で民事局や家庭局に勤務し、戦後の司法制度づくりに携わることになりました。
 そうした仕事の中のひとつが1949(昭和24)年に創設された家庭裁判所でした。
 戦後の法改正とともに、裁判所の機構改革もなされ、女性や少年の権利擁護などを目的に、GHQの指導によって、家庭裁判所は創設されました。ドラマでは、寅子は家庭裁判所設立準備室に配属され、新設されたばかりの司法機関、家事審判所と大正時代から続く行政機関の少年審判所を合併させて家庭裁判所を設立するという事業を、様々な立場の人々と意見を交わしながら、取り組んでいきます。

1949年に設立された東京家庭裁判所の庁舎。写真提供=毎日新聞社
昭和24年の家庭裁判所創設を機につくられた宣伝ポスター。水谷八重子(初代)が起用されている。写真提供=最高裁判所事務総局

社会が欲した“愛の裁判所”

 戦後の日本は、満洲や樺太など外地から引き揚げてくる人々で溢れかえっていて、家族が離れ離れ、夫の生死が不明の女性も数多くいました。そうした人々の申し立て(多くは女性)に応対し、失踪宣告や養子縁組、戸籍を新たにつくることも家庭裁判所の役割でした。また、親を失った浮浪児の親戚や引き取り先を探すのも家庭裁判所の仕事でした。
 後年、嘉子は40代で家庭裁判所の判事、裁判官となり本格的に家庭裁判所の仕事に携わることになります。ドラマでは、滝藤賢一演じる家庭裁判所設立準備室長の多岐川幸四郎(モデルは「家庭裁判所の父」と呼ばれる裁判官の宇田川潤四郎)が、家庭裁判所のことを「愛の裁判所」と称していますが、嘉子の発言からもこの言葉を見ることができます。裁判所設立に際し法務省が発行した雑誌で、嘉子は家庭裁判所についてこう語ります。

「その目的は法律の擁護以上により建設的な社会的なものをもっています。いま、地方裁判所を正義の裁判所とすれば、家庭裁判所は愛の裁判所ということができませう」(「法律のひろば」1949年4月号「愛の裁判所」)と宣言しています。

 ドラマはすでに中盤に差しかかり、家庭裁判所も無事に設立され、寅子の法曹人生の第2幕が始まりました。さて裁判官となり、家庭裁判所に人生を捧げた寅子の物語がどう描かれるのか、いよいよ目が離せません。

 別冊太陽『日本初の女性裁判所長 三淵嘉子』では、その生い立ちから学生時代、弁護士、裁判官になってからの法曹人としての人生、私生活までを、数多くの写真や資料、本人を実際に知る人々への取材などをもとに追っています。史実がわかれば、ドラマがもっと面白くなることでしょう。

嘉子が設立されたばかりの家庭裁判所に関して「愛の裁判所」という記事を寄稿した「法律の広場」1949年4月号(ぎょうせい編)
1972年、嘉子は新潟家庭裁判所で、女性として日本初の裁判所所長となった。当時の新潟家庭裁判所。 写真提供=新潟家庭裁判所

日本初の女性裁判所長 三淵嘉子

2024年春のNHK連続テレビ小説「虎に翼」のヒロインのモデル・三淵嘉子(1914〜84)。日本初の女性裁判所長の果敢な生涯をたどる。
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