安西水丸
いつも食事はキッチンで食べている
文=金丸裕子 写真=武藤奈緒美 イラスト提供=安西水丸事務所
別冊太陽7月刊行の『日本の台所一〇〇年』。
日本の台所の歴史を振り返りながら、現在、未来の暮らしをも差し示そうというこの特集のコンテンツの一つが、特集「作家たちの愛した台所」だ。
楽しみながら食べ、料理を追求した作家たちにとって、台所は好奇心を掘り下げる場であり、創造の場だった。本誌では、画家・香月泰男、イラストレーター・安西水丸、ファッションプロデューサー・石津謙介、建築家・宮脇檀という四人の台所を訪問している。
今回は、その中から安西水丸と台所について紹介してみよう。
「フリーのイラストレーターになった父の仕事場は港区青山にあった。その青山のなかでも何度か場所を移っている。南に行ったり北に戻ったりしながらも、仕事ができるスペースの他にキッチンの存在が欠けることはなかった。イラストレーションや執筆の合間にキッチンに立つのは大切な時間だった」
安西水丸さんの長女でエッセイストの安西カオリさんが、寄稿した「仕事場の料理の時間」の冒頭でそう綴っているように、水丸さんにとって台所に立つ時間は仕事の息抜きであり、日々の楽しみだった。
取材でうかがった港区北青山の事務所は、水丸さんが仕事をしていた時そのままの雰囲気で残されている。「ぼくは仕事場の小さな台所が一番好きだ」と『a day in the life』(風土社)に書いてあるお気に入りの台所は、水まわりを新しくしたもののレイアウトはそのまま。ガス台の上には愛用していたル・クルーゼの鍋が二つ。どちらもマルセイユブルーだ。隣に並ぶグリーンの薬缶もホーロー製だ。水丸さんは料理を作ると、漆の器に盛り付けて一人用の栗の木のお盆に並べ、台所のカウンターで食べることが多かったという。
キッチンカウンターの反対側にあるシェルフには、愛用の食器が並んでいる。小さな頃に生家で使っていた益子焼きやブルーウィローの皿などの記憶が影響しているのだろう、鳥取や島根の窯元で買い求めた民芸やブルーウィローの器が目についた。
料理のなかでもカレーは食べるのも作るのも好きだったという。ギーというバターオイルを使ったり、ルーではなくカレー粉を使ったりすることが多かった。とりわけ大好物だったのがサザエカレー。幼い頃に住んでいた千葉県南房総の千倉ではサザエは身近な食材で、母がよく作ってくれたのだ。カレーにつけ合わせるラッキョウも自分で漬けたもの。ぬか漬けや梅干し、ワサビ漬けも自家製で揃っていた。カレーライスを食べるのに使っていたのは、鳥取県の山根窯で焼かれたスリップウェア風の中皿だった。
撮影の時に、この山根窯の皿にカレーを盛り付けさせてもらった。「これにスイカが一切れあれば大満足ね」というご家族の言葉は、すぐ近くにいる人に向けられたもののようだった。