「池田亮司展」 弘前れんが倉庫美術館

ピックアップ|2022.7.19
坂本裕子(アートライター)

「知覚」への自由な認識をうながす圧倒的空間

フランス・パリと日本の京都を拠点に活躍するアーティスト/作曲家の池田亮司(1966-)。
 電子音楽の作曲を起点として、テクノロジーを駆使した光や音によるライブ・パフォーマンスやインスタレーションなどを発表し、「体験としてのアート」を提示して、東京都現代美術館(2009)をはじめ、パーク・アベニュー・アーモリー(ニューヨーク、2011)、ポンピドゥー・センター(パリ、2018)、台北市立美術館(2019)、180 The Strand(ロンドン、2021)など世界各地で個展が開催され、国際的な評価を得ている。
 あいちトリエンナーレ(2010)や、第58回ヴェネチア・ビエンナーレ(2019)での展示や、ダムタイプへの参加でご存知の方も多いだろう。

彼の、2009年以来13年ぶりとなる国内での大規模個展が、青森・弘前れんが倉庫美術館で開催中だ。
 国内初展示である《data-verse 3》をはじめ、新作を含む近年の池田の活動を展覧できる嬉しい機会だ。

池田亮司展 エントランスから展示室を望む

弘前れんが倉庫美術館は、明治・大正期に酒造工場として建てられ、弘前の近代産業を支え、戦後もこの地の酒造産業とともに歩んできた歴史的建築である煉瓦倉庫を改修し、2020年に開館した。

改修を手がけたのは、国際的に活躍し、注目されている建築家・田根剛。「記憶の継承」と「風景の創生」をコンセプトに、築100年におよぶ煉瓦造の耐震性能を高めつつ、内部の鉄骨やコールタールの壁などをそのままに、可能な限り倉庫の構造や素材を残して、やわらかく過去と現在が共存する空間を造り上げた。

弘前れんが倉庫美術館 裏手から
「記憶の継承」をコンセプトに、倉庫のれんがをそのまま活かしながら、寒冷地でも耐久性と耐食性にすぐれたチタン材を使用した屋根は、倉庫の歴史にちなんだシードル・ゴールド。季節、時間、天候でさまざまな光を放つ。建築家・田根剛の工夫がよく感じられる。
弘前れんが倉庫美術館 入り口
美術館の入り口には、倉庫の壁と同色の煉瓦を互い違いに組み合せる田根オリジナルの「弘前積みレンガ工法」が、リズミカルで目に心地よいリズムのアーチを作り、訪問者を館内へと導く。

以後、同館では、現代作家を招聘し、地元弘前の歴史や文化をテーマにこの建築に合わせた作品を新たに制作してもらうコミッション・ワークを主体として、「創ること」「見せること」「収蔵して歴史に残すこと」という一連の流れの中で展覧会を企画している。

それは、場所性(サイト・スペシフィック)と時間性(タイム・スペシフィック)を強く打ち出した同館の特色となって、まさに空間と作品が一体化し、過去、現在、未来が連なっていく、印象的な鑑賞体験を得られる場所として機能してきた。

しかし、今回の池田の展覧会では、特にテーマは設けられていない。

自らを「何ものでもない」と言う池田は、既定の “何か”に固定されることを厭う。音楽も、映像も、インスタレーションも、表現される場も、表現する内容も、あらゆる規定や境界を無化し、自由であることを創作に追求する。だからこそ、従来の“表現”とは異なる発想で作品を生み出してきた。

「すべてはコンポジション(構成)」だとする彼が、この独特の空間をどのようにとらえ、コンポーズするのか。池田作品の持つ「体験」の空間性に、建築の特性との共演を期した、美術館としても新たな試みでもあるのだ。

会場の第一印象で作品の方向性を決める池田は、パリではご近所さんだという田根のリノベーション空間に「余計なことを何もしていない」ことを感じ、それに呼応するために「シンプルさ」を心がけたという。
 通常は場の音を先鋭化させるために必ず敷くカーペットをやめ、剥き出しのコンクリートの床に敢えて音を反射させ、コールタールの壁もそのままに、「完全制御の美学ではない空間」が最適解となった。

池田亮司《point of no return》2018年 撮影:浅野豪 ©Ryoji Ikeda
会場最初のインパクトは絶大だ。黒い円は壁に描かれた絵。そこにプロジェクターから激しい白光の明滅が照射される。これにより円はまるで生きているかのように円周をふるわせ、収縮と拡張を繰り返して見える。描かれた図と映される光、その境界もあいまいにして、圧倒的なパワーを放つ。
池田亮司《point of no return》2018年 展示から
黒い円の背面をやはり強烈な光が照らす。表裏で、黒白の円、動と静の対照的な様相を呈しながら、まるで背後のライトから表の黒円が浮かび上がっているようにも見えてくる。さらには、展示室のコールタールの壁の黒光りする質感までを強く感じさせ、空間そのものへの意識も喚起する。

これにより、各作品の置かれる空間は言うに及ばず、それぞれの空間の映像や光、そして音が重なり合い、館全体が不思議な共鳴の場として立ち現れる。
 こうした映像作品では大音響でインパクトをとる作品が多いなか、池田の音は、とても繊細で、自然であることも大きい。

みる者は、作品そのものや音響の重層だけではなく、床の反響や壁の黒光りする質感、そして部屋に屹立する鉄骨の柱や通路、吹き抜けのスケールなどの建築の構造を改めて意識することになる。
 まさに池田のコンポジションは、田根とのコラボレーションとなって、「ここ」ならではの、「ここ」でなければ体感できない経験を提供する。

池田亮司《data.flux [n°1]》2020年 展示から
数字と英字の羅列が重なった膨大なデータが天井を走り、この先はどこか異空間につながっているのではないかと、怖いような期待感が湧き起こる通路が現れる。コールタールの壁が部屋と部屋をつなぐちょっとした空間を活かして、思索的な世界を現前させる。
池田亮司《grid system [n°2-a-d]》2022年 展示から
一見、なにも描かれていない白いキャンバスにみえるが、近寄ると多様な間隔の線が浮かび上がる。映像の投射を期待する、その裏をかくような軽やかな“ズレ”は、みる者の意識を覚醒させるとともに、向かい合う、赤いレーザーが明滅する作品《exp #1-#4》と呼応する。
池田亮司《exp #1-#4》2020-2022年 展示から
レコード製作の最終調整の際に「オシロスコープ」が描き出す、微小な音波の調和振動の複雑な軌跡に魅せられた池田は、それを作品に発展させてきた。こちらはそれらを動的レーザーにより視覚化したもの。緩急を持つ美しい赤光の動きは、黒いボックスの中で立体と平面の境界を曖昧にして、みる者の「視覚」への信頼を揺さぶる。

見どころは、高さ15mの吹き抜けの空間に設置されたプロジェクション、《data-verse 3》だろう。

池田は、2000年以降、量子力学や遺伝学、素粒子・天体物理学や宇宙論などの科学領域に関するデータを自身の表現に展開している。
 ここでは、CERN(欧州原子核研究機構)やNASA(アメリカ宇宙航空局)などのオープンデータなどを組み合わせ、加工した高精細の映像が、巨大なスクリーンに刻々と映し出される。

池田亮司《data-verse 3》 2020年 撮影:浅野豪 ©︎Ryoji Ikeda
2019年の第58回ヴェネチア・ビエンナーレで発表された映像と音響による3部作「data-verse」の最終作で、2021年のアート・バーゼルでも展示された作品。国内では初展示となる。4Kの高解像度の巨大なプロジェクションは、弘前れんが倉庫美術館の吹き抜けの展示室に合わせて調整され、本展の見どころとなっている。
池田亮司《data-verse 3》2020年 展示から
断片の集積は、壮大な物語のようにも見えてきて、時間を忘れさせる。

まずはそのスケールに圧倒される。
 そして、次々と現前するのは膨大なデータの集積から生み出されたイメージ。
 データは事実の羅列であり、それ自体は具体的であるのに、読みとれない抽象的なものとして提示されるとき、視覚も認識も追いつかないなかで、人はそこに畏怖とともに何かしらの意味や物語などの具象性をとらえようとする。

ヒトの脳から気象変動まで、あるいは原子核から宇宙空間までを感じさせる映像は、ミクロからマクロへの往還とともに、みる者のなかで具象と抽象の間を揺れ動くことになる。

池田亮司《data.tecture [n°1]》2018年 撮影:浅野豪 ©Ryoji Ikeda
右:同 展示から
床に映される作品には入ることができる。ヒトゲノムや天球座標、たんぱく質の分子構造といった科学データが美しい光とともに流れ、足もとすらなくなったような浮遊感のなか、みる者は自身もミクロからマクロへのデータのなかに溶け込んでいく一体感を得られるだろう。
池田亮司
奥:《data-verse 3》2020年
手前:《data.tecture [n°1]》2018年
ともに撮影:浅野豪 ©Ryoji Ikeda
《data.tecture [n°1]》のある2階からは、吹き抜けの空間に展示された《data-verse 3》が望める。階下の音とともに、互いの映像の共鳴もまた、改めてこの美術館の構造へと意識をうながす。
2階の《data.tecture [n°1]》より《data-verse 3》を望む
ときに対照的に、ときに深くシンクロするふたつの映像は、時空を超え、みる者に自身の存在すら忘れさせる。ぜひ好きなところに座って(あるいは寝て)みてほしい。この空間ならではのすばらしい体験を与えてくれるだろう。個人的にはいちばんのオススメ空間だ。

この知覚の撹拌と認識の往還は、池田の作品に通底している。
 その時、そこに作用するのは、各自の経験や記憶だ。
 SF映画のシーンを思い出すかもしれない。生物の神秘を感じるかもしれない。子どもの頃に憧れた天体への夢が再起されるかもしれない。あるいはデジタルな世界にダイブしている自分を想像するかもしれない……。
 それは世代や生きてきた環境で異なるはずだ。

池田が提示する空間は、こうしてみる者それぞれが受け取り、感じ、飲み込んで、解釈する、その多様性を付与されて、作品として完成される。

池田亮司
左:《data.scape [DNA]》2019年
右:《data.scan [n°1b-9b]》2011年/2022年
ともに撮影:浅野豪 ©Ryoji Ikeda
同館で唯一のホワイトキューブである最後の部屋では、一切の照明を落としたなかに、ふたつの映像作品が呼応する。
池田亮司《data.scape [DNA]》 展示から
DNA情報をはじめとした科学的データを加工した映像が音とともに横長のモニター画面の上を流れていく。意識がその流れに惹きこまれていくようにも、情報が自身から流れ出る、あるいは自身に流れ込んでくるような感覚にもなる。
池田亮司《data.scan [n°1b-9b]》2011年/2022年 展示から
数学的なものから宇宙まで、世界を観測し認識するためのさまざまなデータが9つのディスプレイに表示されるインスタレーション。ミクロからマクロへ、ふたたびマクロからミクロへ。その円環のなかで抽出され、表示される画面は、異なる表情をみせながら、意識の中になにか大きな世界を紡ぎ出していく。

「数学や音楽同様に、アートにも目的はないと思っている。とにかく(コンサートのように)自由にみてほしい」という池田のメッセージ通り、空間に心身をゆだねてみてほしい。

自分の中に作品が流れ込んでくる、あるいは空間に自分の意識が溶け込んでいく、そんな「体験」を味わえた時、それこそが池田の作品の醍醐味であり、同館のサイト・スペシフィックの新たな魅力の発見となるはずだ。

夏休み、弘前で特別な視聴覚の楽しみをぜひ!

展覧会概要

「池田亮司展」 弘前れんが倉庫美術館

新型コロナウイルス感染症の状況により会期、開館時間等が
変更になる場合がありますので、必ず事前に展覧会ホームページでご確認ください。

本展は強いストロボ効果を使用しているため、
心臓の弱い方やペースメーカをご使用の方などはご注意ください。

会  期:2022年4月16日(土)~8月28日(日)
開館時間:9:00-17:00 (入館は閉館の30分前まで)
休 館 日:火曜(8/2は開館)
入 館 料:一般1,300円、大学生・専門学校生1,000円
     高校生以下は無料
     障がいのある方と付添者1名は無料
問 合 せ:0172-32-8950

展覧会サイト www.hirosaki-moca.jp

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