工芸王国 金沢・能登・加賀への旅

暮らし|2021.10.22

工芸王国を生んだ、加賀藩前田家の名宝

石川という土地には、今なお、日本人の「工芸の魂(スピリッツ)」が強烈に脈打っている。加賀藩前田家の光彩きらめく金沢の町なかへ、そして豊かな里山が息づく、能登・加賀の地へ――。類まれなる「ものづくりの王国」の美の秘密に迫る。

石川の工芸を語る上で、「加賀藩主前田家」が行った文化政策の話を欠かすことはできない。江戸時代、「加賀百万石」ともいわれた加賀藩は、その豊富な財を惜しみなく工芸の振興に費やした。本書では、前田家の名宝「百工比照(ひゃっこうひしょう)」や、江戸時代最後の大名建築「成巽閣(せいそんかく)」を紹介。石川県立博物館学芸員の村瀬博春氏の解説で、加賀藩主前田家が生んだ工芸王国の源流に迫っている。

百工比照は、加賀藩五代藩主・前田綱紀が収集し、自ら名付けた工芸標本だ。10個の本箱と付属箱1つからなり、釘隠や引手といった建築金具類、色漆類、紙類、革類、織物類などに分類されている。工芸の各分野にわたる資料の収集整理は、綱紀の没後も続き、総点数は2000点に及ぶ。江戸工芸のタイムカプセルであり、そこには工芸王国石川の礎(いしずえ)であるだけにとどまらない、壮大な理想と秘められた情熱が見える。

成巽閣は、文久3(1863)年、加賀藩十三代藩主・前田斉泰(なりやす)が、母、真龍院のために隠居所「巽御殿」を造営したことにはじまる。父、斉広(なりなが)が築いた壮麗な竹沢御殿の一部も生かした巽御殿は、脈々と受け継がれた加賀藩前田家の美意識を、幕末という時代ゆえの新奇な素材を取り入れ、江戸時代を通じて培われた加賀藩の建築、工芸の技をもって具現している。

成巽閣の群青の間(撮影=三木麻奈)

加賀藩の歴代藩主をはじめ、藩士や細工人によって発展を遂げた工芸王国。その美しい手仕事には、長きにわたり受け継がれてきた魂が宿っているに違いない。

別冊太陽スペシャル『工芸王国 金沢・能登・加賀への旅』


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