撮影=薈田純一

写真家・薈田純一インタビュー

乱歩の小説には必ず”モチーフ”がある――写真表現が映し出すもの

別冊太陽|2023.9.22
インタビュー・構成=別冊太陽編集部

 『別冊太陽 江戸川乱歩』の巻頭グラビア・作品世界を撮影した写真家・薈田純一氏インタビュー。
 第2回は、「モチーフ」を鍵に写真による乱歩作品の表現を語る。

(取材・構成=別冊太陽編集部)

クリエイターを刺激する「モチーフの自由度」

 『別冊太陽 江戸川乱歩』で、乱歩の小説を写真でビジュアル化しようとなったときに、乱歩作品の持つ「許容度」に気づきました。これまで多くのクリエイターが、乱歩の世界をもとに新しい作品を生み出している。乱歩を出発点に、ものすごい数の作品が生まれているわけです。これはなぜかと考えると、おそらく、乱歩の作品には「許容度」の幅があるんです。
 それはどういうことか。おそらくですが、乱歩の作品におけるモチーフ、主題とするものは読者にゆだねられているということなのだと思います。プロット(出来事)がもっとも重要で、そこは崩しようがないのだけれど、モチーフに関しては本当に懐が深い。
 そうすると、いろいろなクリエイターにとっては、何をモチーフにするのか自由に選べるということになります。例えば『陰獣』にしても、エロスや変態性をモチーフにする人もいれば、人間の狡さや怖さをモチーフにすることもできる。そうすると、当然クリエイターによって描き方も変わってくるでしょう。

『黒蜥蜴』で選んだモチーフ

 『黒蜥蜴』でいえば、黒蜥蜴の性格をモチーフとしてもいいし、黒蜥蜴と明智小五郎のほのかな恋愛感情的なものを選んでもいいし、猟奇的なところでもいいし、ってことになるわけです。
 そこで私は、黒蜥蜴の性格の、読みようによっては単純にも複雑にも思える部分や、男なのか女なのかわからない両性具有的な部分をモチーフにしようと思いました。そう考えると、そのモチーフをうまく体現できるシーンを選ばなければならない。私が面白いと思ったのは、令嬢をトランクに入れて誘拐する場面でした。黒蜥蜴がアジトで自らトランクに入って「実演」するシーンは、黒蜥蜴のサディスティックなようでマゾヒスティックな側面も垣間見える。そこで、人が入れるトランクを用意したり、イメージを体現できる女優さんにお願いしたりと苦心はしましたが、楽しかったですね。遊ばせてもらえる、というか。モチーフと、それに対するシーンを作ることの自由度を感じました。

 このように、乱歩作品の特徴は、モチーフにすることができる要素が作品中にちりばめられていて、クリエイターたちがそれを自由に選べるというところにあると思います。モチーフが選べるのであれば、やりがいは非常にある。そう思いました。

例外――こだわりぬかれたモチーフの場合

 一方で、それに当てはまらない作品もあります。乱歩作品の中でも、探偵小説の枠を超えて文学として非常に優れた評価を残しているものは、逆に乱歩はモチーフにこだわっていると思います。

 例えば、『押絵と旅する男』。押絵を持っている男の不気味さや、押絵の中に入ってしまう、というのはプロットですが、登場人物の心情や切なさといった部分はモチーフですよね。乱歩がモチーフにこだわって書いている作品というのは、ビジュアルで再現しづらい。モチーフが決まってしまっている分、「浅草十二階」「押絵」「双眼鏡」のようなディテールの方を追求することになるからです。そうすると今度は、当時の時代背景に忠実なものを再現する難しさに突き当たる。『押絵と旅する男』に登場する押絵は、三尺(約90センチ)と言われていて、想像よりも大きいわけです。そんな大きなものを黒繻子に包んで、列車の窓に立てかけて外を見せてやっている、という異様さは、調べてみて初めてわかったことですが、調べれば調べるほど再現するのが難しい。結果的には、『押絵と旅する男』を連想させるアイテムを集めて構成したけれど、改めて、モチーフが定められている作品を写真にするのは難しいと思いました。

 『芋虫』もそうで、新たに自分の手で表現するのに悩みました。これも乱歩がモチーフにこだわっているからだと思います。冒頭で、「茄子のしぎ焼き」が示唆的に描かれますけど、そこからもわかるように、ところどころで妻の心情を描いている。乱歩は、ああいう特殊な状況における女性の心情を書くことにこだわっている。このように乱歩自身がモチーフにこだわっていると、なかなかそこに介入するのは難しいなと思いました。

「覗く」から着想を得た『鏡地獄』

 『鏡地獄』の場合は、もはやプロットにストーリー性も意味もなく、何が言いたいかもどうでもよかったんじゃないか、と勝手な意見で思っています。乱歩はレンズと鏡の世界がとても好きだったわけですよね。加えて、「覗く」という行為がすごく好きでもある。あれを書いたのはそのためである、というような。だから逆に、『鏡地獄』は、全然違うビジュアルが作れる可能性があると思いました。これらの要素を使って、何か全然違うものを作れる。でも、着想は『鏡地獄』から得ているんだな、ということが明白です。その強さに乱歩のモチーフへの執念を感じます。

 『別冊太陽 江戸川乱歩』の『鏡地獄』の写真は、「覗く」というキーワードから着想を得て、いろいろと調べました。おおもとになっているのはアーヴィング・ペンの鍵穴を覗く写真です。これは穴の向こうに目が見えている写真で、小説ではその逆ですが、「覗く」ときの眼球の動きや、向きや、見えない表情など試行錯誤した、やりがいのある撮影でした。

固定されたイメージからの脱却――『怪人二十面相』

 『怪人二十面相』の写真を撮るときにもっとも怖かったのは「これは二十面相じゃないよ」と言われることでした。そこで、モチーフの部分を「二十面相自身も自分の顔がわからない」と設定しました。そしておそらく、顔がわからないということは、自分の心情もわからないだろうと。

 そういう「顔」ってどうやったら表現できるだろう、と、特殊メイクを施したり、役者さんに演技してもらったりと試行錯誤したんですが、結果としては、水滴の向こうに仮面を持った二十面相、というのができあがりました。拡大してよく見ると、水滴の中に二十面相が写り込んでいます。だから二十面どころか水滴の数だけ二十面相がある写真になりました。偶然にも、『鏡地獄』で描かれたような、乱歩の好きなレンズと鏡の世界にも通じました。

「壊れた信頼」から『D坂』を再解釈する

 棒縞の浴衣というディテールに縛られた『D坂の殺人事件』は非常に大変でした。結果的に棒縞の浴衣が手に入って、ある程度許してもらえるものがあるだろうと思ったんですが、「ではどうやってシーンを作ろう」と思ったときに、私論ですが、サディスティックとマゾヒスティックの、痛みと快楽を追うことって、基本的には信頼がないとできない世界だと思ったんです。そして、その信頼が損なわれて悲劇が起こった、という話が『D坂』だと。『陰獣』もそうですね。
 その信頼が壊れたときの恐怖や絶望、悔恨めいたものを表したい、と思ったときに、ああいう写真になりました。暗くてうっすらとしかわかりませんが、モデルさんもそれを表現してくれました。

探偵小説との共通項――タイポグラフィカルな撮り方

 前回の記事で、書棚をタイポグラフィカルに撮影するという話をしましたが、タイポグラフィカルを言いかえると、カテゴライズしていく、ということになるんですよね。ただ、カテゴライズしたものを並べるだけでは、単なる整理整頓になる。それをどう並べるか、どう提示するかによって、テーマが出てくる。

 ただある程度理路整然と状況を並べていかないと物語が展開しない。そういう点で探偵小説にも通じるものがあると思いました。特に「本格」とつく探偵小説は、後から突っ込みどころがないように書かなければいけないという面もあるので、証拠やトリックといった客観的な部分を並べていく。そうやって並べていくうちに、自然とテーマが見えてくる、というやり方なのでしょう。『D坂』において、信頼関係の破綻が深く描かれなかったにもかかわらず、そういう読み取り方ができたように。

 モチーフ、という話を繰り返してきましたが、モチーフは英語で”motive(動機)”ですよね。殺人事件には、必ず動機がある。
 乱歩作品にモチーフがちりばめられているというのは、そういうことなのではないか、と思います。

薈田純一

大学卒業後、外国通信社の写真記者として海外主要報道媒体の取材に従事する。
のちに写真家として独立。官公庁の広報誌や雑誌、海外招聘ミュージカルの広告写真などを手がける。
近年は小説、書籍、書棚をメインテーマとし多くの著名人の書棚や書店、図書館の書棚を撮影。
最近は書斎空間を飛び出し、景観や雪舟作庭の庭をテーマにタイポロジカルに多視点の写真に取り組んでいる。

別冊太陽『江戸川乱歩 日本探偵小説の父』詳細はこちら

監修=戸川安宣
平凡社刊行 定価2,970円(本体2,700円+税)

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