(Connoisseurship: Illustrated Book Publishing of the Edo Period)

識者が語る:江戸時代の絵本〜プルヴェラー・コレクションより

別冊太陽|2023.6.30
翻訳・構成=和田京子 協力=National Museum of Asian Art, Smithsonian Institution(米国スミソニアン協会国立アジア美術館)

米国スミソニアン協会国立アジア美術館現名誉シニア・キュレーターの
ジェームズ・ユーラック氏と木版画家の篠原奎次しのはらけいじ氏が、
江戸時代の絵本を手に取り、その魅力を語り合います。

前錦絵時代の絵本:奥村政信と西川祐信

ジェームズ・ユーラック(以下、JU) 17世紀の初め頃、1600年代には、江戸や大坂といった大都市では、遊郭、歌舞伎、相撲などの娯楽を宣伝する“広告”の需要が飛躍的に拡大しました。その広告に使用されたのが、木版画です。遊び心のある描写は人々の記憶に留まりました。その一例が、ここにある小さなアルバム体裁の絵本、奥村政信 [i]による『元禄人物』です。

篠原奎次(以下、SK) この絵師はどこで絵を学んだのでしょう?

JU 政信は、独学で鳥居派の絵を模写して学んだと考えられており、鳥居派に属していたわけではありませんでした。政信が知られるようになるのは1701〜02年頃で、1686年の生まれと考えると、ずいぶんと若くして絵師として活躍しています。初期の政信は主に安価な読み物の挿絵画家として知られていました。それらの読み物にくらべると、この『元禄人物』はずっと上品で、均整が取れた抒情的な絵本ですよね。読み物を手がけていた、ほんの少しあとにつくられた可能性が高いと考えられています。

SK 本当に、本当に美しいですね。描線のクオリティが素晴らしいです。それにとても丁寧に摺られていますね。

JU 身体と衣服が一体となって、まるで巻貝のように肢体を描いているところに、とても惹かれます。ただ、身体表現がまだぎこちなく、この着物の下に生身の肉体があるなんて想像もつきません。でも、実に丁寧につくられていることは確かです。

SK 床の間にある生け花まで神経が行き届いています。ここも見てください。線が細くなったかと思えば、また太くなっています。一方で、鼻や生え際の毛髪は線の太さがまったく変わらず一定に保たれていて、これはかなり難しい技術です。

JU 当時、絵師たちはさまざまな理由から歌舞伎、遊郭や花魁おいらんの世界を描いていましたが、なかでも政信は抜きん出ていました。政信は春画も手がけていますが、この本には、春画のようなエロティックな絵は入っていませんね。ほかの本も見てみましょう。これは西川祐信[ⅱ]『絵本千代美草』です。この本も政信の『元禄人物』と同様に四季折々の美しい女性たちの様子が描かれています。1740年代半ば頃に出版されたと考えられていて、政信の絵本から30年ぐらいあとに出版された本になりますが、あなたの目から見て、この2冊に違いはありますか?

SK そうですね。細かいところを見てみましょう。着物の柄を比べてみると、政信のものより、ずっと多くの極細線で描かれています。しかも描線の密度が濃いですよね。

JU 筆使い、彫りが巧みにコントロールされていますね。おそらく、これらは想像上の場面だと思いますが、描かれた人物はより写実的になっていませんか? さきほどの政信とくらべると、着物が身体にしっくりと馴染んでいて、着物の下の身体に現実感があります。

錦絵時代の到来:鈴木春信と勝川春章

JU 鈴木春信[ⅲ]は、多色摺(錦絵)を確立した人物と言われています。1760年代は春信の最盛期で、その時期にこれらの素晴らしいシリーズ『青楼美人合せいろうびじんあわせ壱編弐編参編四編五編(別冊太陽『日本のブックデザイン一五〇年――装丁とその時代』p. 129掲載)を手がけています。この種の本は、基本的には遊郭の広告を意図してつくられました。

SK これはまた愛らしいですよね。見てください。湯呑みを持った手をふところに入れています。その湯呑みからはちょうど湯気が出ていますよ。右手で着物の襟を引いて、今まさに被せようとしています。彼女は懐にサウナをつくろうとしているようですね。本当に面白い図です。それと、打掛のの紫がかった色も見てください。裾の方は茶色くなっていますが、おそらく露草の青色(顔料)が褪色してしまったのだと思います。それでも、いまだに紫色を残しています。

JU この絵本版行の直後に、この本に触発されて、競うように北尾重政と勝川春章[ⅳ]が同じテーマで『青楼美人合姿鏡』春夏編秋冬編貟外編を手がけています。春信は後進の絵師たちも活躍できるこうした美人風俗画のジャンルを確立したといえます。

SK 私はついつい彫りの技術的な点に目が行きます。たとえば「毛割り」です。生え際の髪の毛の細い線です。彫りを見る際にとても大切なポイントで、大抵はこの仕上げは彫師でも師匠(親方)が刻む大変高度なプロセスなんです。

JU 今、私たちはこのような本を“芸術品”として見ていますが、目にしているものは、実は比較的大量に流通した、さまざまな遊郭による高級な広告なのです。ただ、春章は1700年代後半に役者絵で定評がありました。春章によるこの『絵本舞台扇』上編中編下編(同 p. 130掲載)も、言ってみれば、人気の映画スターが載っている今日の雑誌『People』のようなもので、見ているだけで楽しいですよね。数百年後の私たちの目からは架空の戯画に見えるかもしれませんが、当時の読者が見れば、顔立ちや配役から現実のどの役者が描かれているかがわかったと思います。それになんといっても、この本は色の保存状態がすこぶる良いんです。それには目を見張ります。

SK 確かに、さきほどの露草の色が、この本だと完璧ですね。どこにも褐変したところは見当たりません。この本では青色が実に見事に残っていますね。これまで見てきたもののなかには、とっくに色褪せてしまっているものもありましたが、この本はまさにそのままの色彩です。まるで摺りたてのようです。

JU 大判本という造本の観点から見てみたいと思います。この本もほかの多くの絵本と同様に各ページが山折りにされ、袋綴じで製本されています。制作工程では、両面(袋綴じされている表面と裏面)で使用する色数を十分に考えないといけないですよね。

SK 確かにその通りです。摺るときには片面の1図だけではなく、表裏の2つの図を一枚の版木を使って同時に摺っていますから、別々の絵に配色された同じ摺色のことも考慮しなければなりません。

JU おそらく10色あるいはそれ以上の摺数でしょう。実に複雑ですね。

多色摺技術の向上と豪華な加工

JU それでは同時期の別の例として、喜多川歌麿[ⅴ]が海辺の生き物を描いた絵本『潮干のつと』を見てみましょう。歌麿がこのような大変豪華な本を手がけたのは、1790年代前後のことです。これは袋綴じ製本ではなく、左右ページの継ぎ目のない画帖装です。上部には詩歌が列記されており、その下には、形、線、そして貝殻のありとあらゆる信じられないほどの美しさを見ることができます。また、多少、科学的でもありますよね。

SK 本当に美しいですね。淡いグリーンのグラデーションが下から上にかけて消えてゆき、やがて詩歌の文字が浮かび上がってきます。それにここも見てください(右ページのアワビを指差しながら)。このほんの小さな部分だけでも、1、2、3、4、5。なんと5つもの異なる版を使って摺られています! コントラストが生まれて、貝の質感まで表現されています。これは実に巧妙です。もうひとつ注目する点は、ご覧の通り、1回摺り、あるいは2回摺りのほかの貝との対比です。それらの貝は位置的にはこの5色で摺ったアワビの脇を固めて、主役を引き立てています。代わりに主役が飛び出す絵本のように目に飛び込んできます。

JU あと、空摺(エンボス)もありますね。これは制作費が高かったはずです。

SK そうです、そうです。大変高価でした。それに、ここも見てください。光沢を出す雲母も使われています。この雲母うんもはページをめくるときに効果を発揮します。めくるたびにきらきらと輝くのです。本は壁にかけて眺めるのではなく、手に持って、ページをめくる動きをともなうことで、このような絵のディティールや、雲母やエンボスといったさまざまな加工が生きるのです。

西洋の博物学と絵本:勝間竜水

JU 同様に海の生き物をテーマにした勝間竜水[ⅵ]の『海幸うみのさち前編後編(同p. 129掲載)は、歌麿の『潮干のつと』と好対照です。くらべてみると紙、顔料の質は低く、安価なつくりです。そして内容はガイドブック。まさに海の生き物のミニ百科事典といったところでしょうか。当時の人々は、18世紀後半から19世紀にかけて日本に輸入されたオランダの文献に大いに関心を寄せていました。「蘭学」と呼ばれていますが、オランダに限らず、いわゆる西洋の学問ですよね。日本人が西洋の博物学を学んで、そしてこうした百科事典のような本も出版されるようになりました。この分類学的な考え方は、人々が関心を寄せる高尚なものから大衆的なものにいたるまで広範囲に取り入れられていきました。対象の特徴をとらえて、カテゴライズしていくんです。さきほどの春章の『絵本舞台扇』では、春章が歌舞伎役者たちの特徴をとらえて、分類していましたよね。歌麿は極めて高度な描写で、貝の特徴を描き分けています。そして、この本では博物学的に海の生き物の種を提示しています。この本は最後に亀の図で終わるところが魅力的です。というのも、日本では亀は神話の象徴的な生き物でしたから。前のページまでは西洋の影響を受け自然科学的に生き物を描いていたにもかかわらず、最終的には日本の神話的世界で締めくくっているのです。

[i] おくむら・まさのぶ[貞享3(1686)年-宝暦14(1764)年]江戸中期の浮世絵師。錦絵が誕生する以前に活躍。また、自ら版元を営んだ。縦長構図の柱絵や西洋の遠近法を用いた浮絵といった新たな形式に取り組んだ。
[ⅱ] にしかわ・すけのぶ[寛文11(1671)年-寛延3(1750)年]江戸中期の京都の浮世絵師で、美人風俗画を得意とした。1699年ごろから挿絵絵師として活躍し、絵本を数多く手がけ、上方においてこの分野の第一人者と目された。
[ⅲ] すずき・はるのぶ[享保10(1725 )年ごろ−明和7(1770)年]江戸中期の浮世絵師。奥村政信や西川祐信などの影響を受けつつも、情感豊かでかつ可憐な美人画や理知的な見立絵などで独自の画風を確立。明和年間、裕福な好事家こうずかたちのあいだで流行した絵暦の競作は、木版の技術を飛躍的に発展させた。春信はその中心的な役割を担い、錦絵誕生に大きく貢献した。
[ⅳ] かつかわ・しゅんしょう[享保11(1726)−寛政4(1793)年]江戸中期の浮世絵師。宮川春水に師事し、のちに勝川派を興す。錦絵誕生期の明和年間に絵師として活動しはじめ、従来の形式的な役者絵を革新し、歌舞伎役者の表情や所作を的確にとらえた役者似顔絵は高い支持を得た。こうした春章の画風は同時代、弟子であった葛飾北斎など後進の絵師にも影響を与えた。
[ⅴ] きたがわ・うたまろ[宝暦3(1753)年ごろ−文化3(1806)年]江戸後期の浮世絵師。錦絵発展期に活躍。幼少期に鳥山石燕せきえんに学び、天明期には鳥居清長の影響を受け、美人画で人気を博す。版元・蔦屋重三郎に見出され、錦絵、写実的な描写による多色摺狂歌絵本を多数手がける。歌麿の代名詞でもある美人画においては、女性の顔貌に焦点を絞った「大首絵」を創案。機微を如実に描写し、美人画にとどまらず肖像画としても評価が高い。
[ⅵ] かつま・りゅうすい[元禄10(1697)年ごろ−安永2(1773)年ごろ]江戸中期の書家。俳諧にも名を成し、俳書に挿絵を描くこともあった。錦絵誕生に3年ほど先行して多色摺で版行された『海幸』では、魚介類を形態学的に忠実に描写している。

本編の動画は下記よりご覧いただけます。

https://pulverer.si.edu/node/188

ジェームズ・ユーラック(James T. Ulak)
米国スミソニアン協会国立アジア美術館現名誉シニア・キュレーター
日本の中世(14~15世紀)の物語絵画の歴史が専門。1994年、ケース・ウェスタン・リザーブ大学にて博士号を取得。翌年、フリーア美術館とアーサー・M・サックラーギャラリーの日本美術キュレーターに就任。チーフ・キュレーター、副館長を経て、現職。クリーブランド美術館研究員、エール大学美術館アジア美術アソシエイト・キュレーター、シカゴ美術館日本美術アソシエイト・キュレーターなどを歴任。専門である中世の日本物語絵画に関する著作のほか、18世紀の「奇想」絵師たちや、19世紀後期から20世紀初期における日本美術の近代との接触についても執筆多数。アメリカ、ヨーロッパ、日本の数多くの美術館、個人コレクション、基金などで顧問・アドバイザーを務める。全米最大の芸術支援組織である全米芸術基金による、美術品の国家補償制度検討プログラムにも委員として参加、2015年からは議長。2019年から22年にかけて米日財団の理事を務めた。

篠原奎次(しのはらけいじ)
版画家
大阪生まれ。20歳で京都の著名な木版画摺師・上杉猛に師事し、10年の修行を経たのち、1985年にアメリカに渡る。国際交流基金と全米芸術基金から助成を受けて活動。伝統的な木版技術を用いて水性顔料で和紙に摺られた抽象版画作品を発表する傍ら、摺師としても活動している。現在はコネチカット州ウェズリアン大学で版画を教えている。サンフランシスコ美術館、クリーブランド美術館、ミルウォーキー美術館、ハーバード大学美術館、米国議会図書館などで作品が所蔵されている。

別冊太陽スペシャル
『日本のブックデザイン150年――装丁とその時代』

詳細はこちら

RELATED ARTICLE