「但只喫菓子、誰管樹曲彔」白隠│ゆかし日本、猫めぐり#12

連載|2022.10.21
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。第12回は、愛くるしい子猫たちが登場!成長を見守りたくなる小さな命に、白隠慧鶴の言葉が重なる。

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「チビ猫たちの一日」

カメラを向けると、興味津々で寄ってくる。

水飲みも、いろいろな場所で試してみる。

この日は、先輩に倣って木登りに挑戦。

木登り大会が始まった。

だが……。


あれ?
どうやって下りるんだっけ?

途中でカタまってしまう猫も。

こちらでは木の味見。

お味は?

まずは行動。
それから考え、学んでいく。

チビ猫たちの一日は、小さな冒険でできている。

「但只喫菓子、誰管樹曲彔」
但だ只だ菓子を喫せよ、誰か樹の曲彔(きょくろく)を管せん

―とにかく果実を食べよ、果樹の曲がりぐあいはどうでもよい
         参考:別冊太陽 日本のこころ203 「白隠―衆生本来仏なり」

 江戸中期を生きた白隠慧鶴(はくいんえかく)は、日本の臨済宗を再興した禅僧。500年に一人の名僧と称され、膨大な書画を遺したことでも知られている。迫力あふれる達磨像やユーモラスな布袋様、さらに七福神といった民間信仰の流行神……と、禅画の域を超えるバリエーション豊かな作品群や、グラフィックな魅力も備えた書。その一つひとつから、気迫あるメッセージがダイレクトに伝わってくる。
 幼い頃、地獄の説法に戦慄し、自ら出家を望んだという白隠は、24歳で悟りを得るものの慢心し、それを見抜いた老僧のもとで、心身を病むほど修行を積んだ経験を持つ。後に故郷駿河(現在の静岡県)の小さな寺の住職となったときも、そこを拠点に日本各地を行脚し、当時衰退しつつあった禅の教えを広め歩いている。著述活動も旺盛で、生前に多くの著作を刊行。優れた弟子を数多く輩出した。常に実践を続けた人だったのだろう。

 白隠が目指したのは、この世のすべての人々を救うこと。そのためには仏の教えを説かなければならず、その教えを説くには、経典はもちろん、あらゆることを学んでいなければならない。ゆえに煩悩に惑わされている暇はなく、永遠に自己を向上させ、それによって無上の仏道が実現していくと説いている。不立文字の禅にあって、白隠が身分の上下に関係なく、請われるまま書画を表し、与え続けたのは、すべての人々を救いたいという強い想いがあってこそ。自身が学んだすべてを書画や著作に託したと言える。
 
 今月紹介する言葉は、そんな白隠が生涯を通じてたびたび用いた言葉の一つ。もとは中国・宋代の禅僧、法演禅師の言葉で、禅の修行のあり方を果実と樹に喩え、「とにかくひたすら見性(自己に本来備わっている本性を見究める)し、悟道せよ、教理のことはどうでもよい」という意味になる。もっとも、この言葉には続きがある。「だが、その樹の曲がりぐあいを知らねば、ほんとうにいい果実を食うことはできぬ」と。おいしい果実は、樹の良し悪しを判断できる知識や経験を積んでこそ出会えるように、人を救うには、いくら悟っても満足せず、仏教経典のさらなる研究に励み、一方で、仏教以外の書物や世界を広く知ってこそ実現できるということだろう。

さて、チビ猫たちはいい果実に出会えるだろうか?

今週もお疲れさまでした。
おまけの一枚。
「今日は何をしようかな?」

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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