「日本の中のマネ 出会い、120年のイメージ」 練馬区立美術館

アート|2022.10.19
坂本裕子(アートライター)

日本におけるエドゥアール・マネとは?
謎めいた魅力に迫る

 エドゥアール・マネ(1832-83)。
 19世紀フランスを代表するこの画家は、当時のアカデミーにおける規範を逸脱した表現で、近代の新しい絵画への端緒を拓いた「近代絵画の父」として知られる。
 逸脱とはなにか? それまでのアカデミーで常識とされていたのは、宗教や神話、あるいは歴史を題材とした作品であり、画面は絵具を感じさせないなめらかな描法で描かれているものだった。
 マネが描いたのは、絵具の質感もそのままに、彼らが生きていた「現代生活」だ。
 サロンに出品された《草上の昼食》や《オランピア》は、発表時には「けしからん作品」として非難を浴び、スキャンダルを巻き起こした。まさに、自分と同時代に生きている人間があからさまな裸体で表されていることに、人びとの拒否反応が起こったのである。
 彼のこうした姿勢は、近代の新しい表現を模索していたクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールらに大きな影響を与え、マネは「印象派の先駆者」ともいわれる。
 しかし、モネとは親しく交流し、彼とともに戸外での制作も経験しながら、マネ自身は彼らの活動からは距離を置き、あくまでもサロンでの入選にこだわった。

 美術に関心のある方にはよく知られるこうしたエピソードによって、あるいは印象派を準備した存在として、マネは日本でもよく知られる画家とされるが、果たして本当に「知られている」のだろうか。

 ほとんど毎年のように国内のどこかで開催される印象派の展覧会。モネやルノワールなどの個展の連日多くの人が訪れる人気ぶりに比して、マネの個展は日本においては現在まででわずか3回にとどまるのだという。
 また、日本で所有される印象派作品は、美術館、企業・個人コレクターを含めて非常に多く、それだけで大規模な展覧会を開催できるほど。モネだけで優に100点を超える。
 一方のマネの作品は、決して多いとはいえない。

 こうした現状から、西洋美術史において重要な位置づけにあるこの画家が、日本ではどのようにとらえられているのかを再検証する、興味深い展覧会が練馬区立美術館で開催中だ。

 「日本の中のマネ」と題された本展は、タイトルから読みとれるように、「日本にあるマネ作品」と「日本におけるマネの受容」というふたつの視点から、日本でのマネ解釈の実態と変遷を追う。
 西洋画が日本にもたらされた明治期より、マネがどのように紹介され、理解されてきたのか、現在国内で所蔵が確認される17点のマネの油彩画(パステル画を含む)のうち、7点のマネ作品を中心に、印象派、日本近代洋画、各種資料に、現代作家の作品まで、約100点で日本におけるマネ・イメージにアプローチする。

 マネが「現代」として近代都市の生活を“ありのまま”に描いたことは、「天使を描かせたいのなら、目の前に連れてこい」と言い、やはりアカデミーの伝統的規範に反旗を翻した写実主義の画家、ギュスターヴ・クールベのスタンスにも通じる。しかし、マネ自身は写実主義を標榜することはなく、その作品も「現代」を反映しながらも必ずしも写実にはとどまらない。
 そして印象派のリーダー的存在でありながらも印象派に属することもなかったのだ。
 クールベのような声高な主張をすることもなく、印象派に対してリーダーシップを発揮することもなく、静かに世に対して挑戦的な作品を発表し、しかもサロンでの入選にこだわる。
 この、独立独歩の立ち位置が、マネという画家とその作品の解釈を困難にしているともいえる。

 「第1章 クールベと印象派のはざまで」では、写実主義のクールベや、モネ、ルノワール、そしてポール・セザンヌといった印象派につらなる作品群と、本展のためにオリジナルで作成されたマネの代表作に関する映像で、その特異な位置づけを改めて確認する。
 当時の若い画家たちに大きな影響を与えた小説家エミール・ゾラがマネを「モダニズムの先駆者」として擁護したことに発するマネ理解にも検討をうながす、印象的な始まりだ。

第1章 クールベと印象派のはざまで 展示風景から
手前にあるのは、19世紀後半にフランスで活躍した、あらゆる分野の人びとの肖像写真をおさめた写真集。全13巻のうち、マネは第1巻に掲載されている。
クロード・モネ《アンティーブ岬》1888年 愛媛県美術館
モネが連作の制作に入る前、2度目の南仏旅行の際に描かれた一作。手前の中央に1本の木を配した大胆な構図には、浮世絵からの影響が指摘されている。
モネはともに屋外での制作をするなど、マネと深く交友していた。マネの死後、その作品をフランス国家が買い上げるよう尽力したのもモネだった。
第1章 クールベと印象派のはざまで 展示風景から

 先にも述べたように、マネの国内所蔵の油彩作品数は決して多いとはいえない。
 50代前半で没した彼の作品そのものが少ないこともあるが、そこには日本におけるマネの紹介のあり方も関わってくるだろう。

 「第2章 日本所在のマネ作品」では、まず国内にあるマネの作品を、初めて日本にもたらされた作品から晩年の名品までを版画とともに追う。

 数は少ないものの、マネの画業の初期におけるスペイン趣味を感じさせるもの、都市のブルジョワジーの女性を最新のファッションとともに描いた美しい人物像の数々、日本美術の影響がうかがえる扇面図など、秀作が多い。

第2章 日本所在のマネ作品 展示風景から
左が国内で確認できる、早い時期でスペイン趣味の反映がみられるマネの代表的な一作《サラマンカの学生たち》(1860年)だ。奥には、版画作品が並ぶ。
マネは黒の使い方がとてもうまい。基本的にモノクロの版画はその魅力を強く感じられるので注目だ。同時に、彼がベラスケスに私淑していたことも確認したい。
エドゥアール・マネ《散歩(ガンビー夫人)》1880-81年頃 東京富士美術館
国内にあるマネの油彩画のうち、晩年の名品のひとつ。彼が没する3年前に描かれた肖像は、印象派から影響を受け屋外での制作を試みて以降、明るい色彩がみられるようになっていたことを伝える。豊かな緑の中、シックで都会的な装いの女性は、凛として美しい。印象派が敢えて使用しなかった黒を効果的に使用し、彼らとは異なる華やかさを獲得している。
第2章 日本所在のマネ作品 前期展示風景から
左の《裸婦》(制作年不詳:前期展示)が日本に初めてもたらされたマネ作品とされるもので、マネの死の8年後である1891年に、パリで商いをしていた林忠正により購入されたそうだ。

 また、版画作品は注目だ。
 輝くような明るい画面を求めて極力黒を使用しなかった印象派の画家たちとは異なり、マネは実に巧みに黒を使う。そんな彼は、版画にも多く取り組んでいる。これらのほとんどは自身の油彩画を起こしたもので、余技ではなく、油彩とは別の表現における実験的な挑戦であったことが感じられる。

 本展では、限定刷りの版画集から全点が紹介されている。油彩作品とは異なり、保存上からも頻繁に展示されることが少ない版画をまとめて見られるのは貴重な機会。小さくて、一見地味に思えるかもしれないが、テーマともに、その線や面、刷りがもたらす豊かな黒の表現をじっくり堪能してほしい。

第2章 日本所在のマネ作品 展示風景から
第2章 日本所在のマネ作品 前期展示風景から
この版画集は、マネの死から22年後の1905年に、パリで100部限定で刊行されたもの。全30点からなり、国内では東京富士美術館と兵庫県立美術館の2館が揃いで所蔵している。本展では、両館から前後期に分け、全点が展示される。これは貴重な機会。
エドゥアール・マネ《大鴉(エドガー・アラン・ポーの詩『大鴉』)、ステファン・マラルメ訳》(1875年) 第2章 展示風景から
もうひとつのおススメがこちら。アメリカの作家ポーの詩集をフランスの詩人マラルメが翻訳し、マネが挿絵を描いた、大変豪華な1冊から。国内では国立西洋美術館と神奈川県立近代美術館が所蔵する。前後期それぞれから展示され、通期で見ることができる。まさに黒の使い手マネの真骨頂ともいうべきすばらしい版画には、日本美術に影響を受けたマネが、筆や墨の表現を熱心に習得したことが指摘されている。

 日本において、文献上ではじめてマネの名が現れるのが、医師で小説家、評論家、翻訳家でもあった森鴎外の著述だという。1889年に、ゾラ自身と彼の美術批評について述べた一節だった。
 国内では、こうした美術批評や芸術論などの文字による概念的な紹介が先行する。このため、日本のマネの受容については、作品における視覚的、具体的な影響関係が見えにくいそうだ。

 日本の作家による、最初のマネへのオマージュ作品は、版画家・洋画家であった石井柏亭の《草上の小憩》(1904年)とされる。

石井柏亭《草上の小憩》1904(明治37)年 東京国立近代美術館
明治から昭和にかけて活躍した版画家で洋画家である石井は、美術評論家としても知られている。彼の最大にして代表作であるのが本作。タイトルからもわかる通り、マネの《草上の昼食》からの強い影響を感じさせる。細やかな筆で描き出される風景のなか、配置される人物はどこかわざとらしい。それは、彼らのいる情景を描くでもなく、何らかの物語を紡ぐでもなく、画面上にいかに配置するか、という「構成」を試みた作品であることを示す。

 「第3章 日本におけるマネ受容」では、遺された言説と具体的な作品に、明治から昭和初期までのマネ受容の姿をたどる。
 そこには、画家本人のことばや作品のタイトルなどから関連を見出せるもの、作品そのものに読みとれるもの、そして感覚的に影響をとらえられるもの、それぞれの作例が紹介される。
 なかには、「えっ、これに?」と感じられる作品もあるが、新しい作品解釈の可能性もはらんだセレクトが興味深い。
 日本人の作品から逆照射されることで、マネへのアプローチが広がるかもしれない。

第3章 日本におけるマネ受容 展示風景から
右奥の大きな作品は夭折の画家村山槐多による《日曜の遊び》(1915年)。そばには、村山とは従兄弟にあたる版画家で画家の山本鼎による《日曜の遊び(下絵)》(1913年)が並ぶ。村山は年長の山本を慕っていたという。何らかの形で入手したこの下絵を元に、村山の代表作となるこの大作を描いたと指摘されている。彼が傾倒していたセザンヌとともに、着衣の男性と裸体の女性、帽子やピクニックの小物などからマネの《草上の昼食》との関連が見出せる。
安井曾太郎《水浴裸婦》1914(大正3)年 石橋財団アーティゾン美術館
安井の渡欧末期に描かれた作品。彼が彼の地で制作して持ち帰った45点の作品の中で最大のものだ。水浴の画題、奥行きを積み上げたように構成された背景、そして青みを帯びた裸婦の肉感豊かな描写にはセザンヌやルノワールの影響が感じられるが、右下に置かれた衣装や帽子に注目。まさに現代の装いのものであるところにマネの影響をみることができる。
第3章 日本におけるマネ受容 展示風景から

 では、現代の作家は、この西洋近代美術の巨匠をどのようにとらえているのか。
 「第4章 現代のマネ解釈―森村泰昌と福田美蘭」では、過去の名作をモチーフに自身の作品を制作することで知られるふたりの美術家の作品から、現代の日本でのマネ受容をみていく。

第4章 現代のマネ解釈 展示風景から
福田美蘭 立体複製名画 マネ《オランピア》(2022年:左)と《一富士二鷹三茄子》(2022年:右)
福田の作品には、作家による解説が付されている。ぜひ会場で、どこかシニカルでコミカルさを持ちながら、「見る」ことを問う作品を楽しんで!

 モネやセザンヌがマネへのオマージュを手がけたことは言うまでもなく、マネの作品は、20世紀最大の芸術家パブロ・ピカソや、シュルレアリスムの代表的な画家ポール・デルヴォーなどをはじめ、多くの芸術家たちのインスピレーションの源泉となっている。それは現代でも途切れることなく、美術にとどまらない世界にも波及している。
 しかし、いずれも熱狂的な動向としてではなく、どちらかというとそれぞれの作家や表現者たちの内省的なまなざしに読みとれることが多い。

 森村は、西洋美術史という流れのなかで、その固定化した評価に揺さぶりをかけつつ、人種、ジェンダー、描く/描かれること、見る/見られることといった、あらゆる規定を越境し、問いかける。

森村泰昌《肖像(少年1,2,3)》1988年 東京都現代美術館
美術史上で名作とされる作品や、大衆に広く流布しているイメージに自ら扮し、その写真を撮ることで、価値や評価、視覚に対する振り返りをうながし、信頼に揺さぶりをかける森村は、マネの代表作のひとつ、《笛を吹く少年》(オルセー美術館)もモチーフにしている。彼が若い頃にはわからなかったという、マネの魅力への関心と挑戦には、西洋絵画のトリプティクへのまなざしも感じられるが、3点を読み解くヒントは、やはりマネの作品《オランピア》にある。それを確認しつつ、同時に本作が日本人作家の作品であることを考えながら読み解いてみたい。
第4章 現代のマネ解釈 展示風景から
森村泰昌の作品。
左はマネの《オランピア》をテーマとした《肖像(双子)》(1989年)と《モデルヌ・オランピア》(2017-18年)の2点。右奥はマネの晩年の傑作《フォリー=ベルジェールのバー》を転じた《美術史の娘(劇場A)、(劇場B)》(1989年)。今回は、写真作品のために制作した小物たちとともに展示されている。どこにそれが使用されているのか、探しながら、オリジナルのマネ作品との差異、タイトルと併せてそれが意味するもの、そこから見出せるものを感じて。

 福田は、「見る」とはどういうことかを問いながら、現代の社会、制度、世相の要素を盛り込んで、「絵画」の持つ可能性を提示する。

福田美蘭《帽子を被った男性から見た草上の二人》1992年 高松市美術館
《草上の昼食》を絵の中の人物から見たら……。現代ならばコンピュータ・グラフィックでサクッとできそうな試みを、福田は敢えて想像力を駆使し、自身の手で「描いて」みる。自身の作家性を限りなく排除し、マネの筆致に徹したその作品は、絵画という平面性について、人間の「みる」という認識について、どこか楽しい「たくらみ」をまといながら、強烈に訴えてくる。
第4章 現代のマネ解釈 展示風景から
福田美蘭の作品。
左は、東京都内のミュージアムショップにおけるマネのグッズを集めて描いた《ミュージアムショップのマネ》(2022年)。モネやゴッホなどに比べて圧倒的に少ないマネの商品に、改めてマネの絵画作品が持つどこか理解しがたい印象と、日本人が土産として求めるもののズレを「静物画」として提示する。
右は、《テュイルリー公園の音楽会》(2022年)。同タイトルの、すばやく近代都市の情景を写し取ったマネ作品に、常にうつろうような完成への拒絶感を感じた福田は、YouTubeで際限なく流されている現代の東京渋谷のスクランブル交差点の様子を重ねる。賑わいをもちながら、どこか空疎な印象の現代生活の姿は、マネが描き出した近代都市のそれと共鳴する。

 両者ともに「笑い」という(実は)もっとも強烈なカウンターパンチをはらみながら、現代の認識を鮮やかに批評する、その発想源としてマネを解釈し、援用する。

 そこには、なにか、どこか、とらえきれないマネの作品が持つ謎めいたものに惹かれる芸術家の眼が感じられるはずだ。

 美術史上の「近代絵画の父」という一見分かりやすい評価をひとまず置いて、まずはマネの作品に対峙してみたい。
 とらえられそうなのに、スルリと逃れていくような、曖昧で不思議な魅力。それは、もしかするととても難解なのかもしれない。しかし、その謎にこそ、マネの本当の意味での革新性と愉しみが秘められているはずだ。


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展覧会概要

「日本の中のマネ 出会い、120年のイメージ」 練馬区立美術館

新型コロナウイルス感染症の状況により会期、開館時間等が
変更になる場合がありますので、必ず事前に美術館ホームページで確認ください。

会  期:2022年9月4日(日)~11月3日(木・祝)
開館時間:10:00‐18:00 (入館は閉館の30分前まで)
休 室 日:月曜
入 館 料:一般1,000円、高校・大学生および65-74歳800円
    中学生以下および75歳以上は無料
    障害者手帳等提示者と介添者1名は一般500円/高校・大学生400円
問 合 せ:03-3577-1821

美術館サイト https://www.neribun.or.jp/museum.html

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『日本の中のマネ 出会い、120年のイメージ』(平凡社) 
企画・監修=小野寛子
定価=2860円(10%税込)

展覧会公式図録
すべての展示作品に詳細な解説が付され、コラムも読みごたえたっぷり。
国内で確認されているマネの全油彩作品が所蔵者の変遷ともに紹介され、巻末にはマネの主要作品も掲載。福田美蘭は作家自身による作品解説、森村泰昌は作品解釈を補強するエッセイがそれぞれ収録される。この1冊でマネの画業と国内での受容がたどれる豪華な内容。

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