太陽の地図帖『矢沢あい『NANA』の世界』に掲載しきれなかったこぼれ話を、本誌の内容を交えて再編集したweb太陽特別編。全5回の第1回目。
『NANA』の主人公の一人、大崎ナナは、バンドでの成功を夢見て単身上京する。そのナナを追って、ギターを抱えて上京してきたのが、地元のバンド仲間であったノブだ。
二人は新たなバンドを結成しようと、ドラムとベースのメンバーを募集する。その貼り紙を見て応募してきたシンの「実力」を知るためにセッションをすることになった時、ナナは「ピストルズは?」と問い、シンは即座に「好きです!」と答える。
そう、ナナたちが目指すバンドは「パンク」なのだ。

パンクは1970年代半ばにニューヨークで生まれた音楽で、ロンドンに飛び火して、一気に燃え広がった。当時のイギリスは、「英国病」と呼ばれる経済不況のどん底にあり、失業者が溢れ、ドラッグが蔓延していた。未来が見えない閉塞感が漂い、職もお金もない若者たちの怒りや不満が爆発し、パンク・ムーブメントが巻き起こった。
その象徴的なバンドが「セックス・ピストルズ」だ。

ヴィヴィアン・ウエストウッドのブティックから生まれたバンド
「セックス・ピストルズ」は、ロンドン・キングスロードにあるブティック「SEX」で生まれた。「SEX」は、デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドが、パートナーのマルコム・マクラーレンとともに、SMスタイルを取り入れたり、過激なメッセージをプリントしたりした服を実験的に作り販売していた店で、アーティストやミュージシャンなどが多数出入りしていた。
マルコム・マクラーレンは、店の常連で、アマチュアバンドを組んでいたスティーヴ・ジョーンズ(ギター)とポール・クック(ドラム)に目を付け、店員のグレン・マトロック(ベース)、オーディションで選んだジョニー・ロットン(ボーカル)を加えて、1975年にピストルズを結成した(マルコムはマネージャーとなった)。
グレン・マトロックはのちに脱退し、2代目ベーシストとして迎えられたのが、破天荒な生き様でパンク・シーンのアイコンとなった、シド・ヴィシャスだ。
イギリスの閉塞感を打ち破る!
短く逆立てた髪、引き裂かれたTシャツに安全ピンを身に着けたピストルズの面々は、当時の社会や政治に対する反抗心を、攻撃的な歌詞とサウンドで、暴力的なまでにストレートに表現した。
1976年11月に発売されたデビューシングル「アナーキー・イン・ザ・U. K.」では、「無政府主義」(アナーキー)を宣言し、既存の権威を徹底的に否定し、保守的な大人たちを挑発した。
セカンドシングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」は、イギリス国歌と同名の異曲で、エリザベス2世在位25周年祝典の時期に合わせてリリース。階級社会を「no future」と鋭く批判し、イギリスの国営放送BBCが放送禁止曲に認定したにもかかわらず、全英チャートの2位まで昇り詰めている。
「セックス・ピストルズ」の活動期間はわずか3年と短く、オリジナル・アルバムは『Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols(勝手にしやがれ!!)』1枚に過ぎない。それでも、後世のミュージック・シーンやファッション界に与えた影響の大きさは計り知れず、半世紀を経た今も、その功績は燦然と輝き続けている。
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音楽とファッションの両面から「パンク」の魅力に迫る『NANA』の世界
『NANA』の作者・矢沢あいは、
「(音楽が好きなので、)ずっと“バンドもの”がやりたくて、(ナナを)バンドのボーカリストという設定にしました」
と語っている(*1)。
では、なぜ、パンクをテーマに選んだのか。そう質問すると、
「どんな音楽をやるバンドにするか迷ってロカビリーも候補に挙げたのですが、またリーゼントのヒーローを描くのはどうかと思い、パンクにしました」
と答えてくれた。
自身の「パンク」との出会いは、「中学生の時、大阪のミナミですれ違った、顔に安全ピンをつけたライダースの兄ちゃん」(*2)だという。音楽よりファッションから入ったと話してくれた。
『NANA』は、パンク・ファッションの魅力も伝えてくれる。
「パンクの女王」と呼ばれたヴィヴィアン・ウエストウッドの服をスタイリッシュに着こなすナナ、逆立つスパイキーヘアに革のライダース姿と、あたかもシド・ヴィシャスが生き返ったかのようなレン、そして、ジョニー・ロットンのような華奢なスタイルを生かし、タイトなダメージパンツや引き裂かれたTシャツを身にまとうノブ……。
愛読者を公言する俳優・中田クルミが、「ファッションも音楽も『NANA』から学んだ」と話す(*3)、読めば誰もが憧れずにはいられない、そんな世界が広がっている。
*1〜3はいずれも太陽の地図帖『矢沢あい『NANA』の世界』より
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