第7回 有職覚え書き

カルチャー|2021.10.25
八條忠基

季節の有職植物

●フジバカマ

秋の七草の中で、最も目にする機会がないのがフジバカマ(藤袴、学名:Eupatorium japonicum)で、今や準絶滅危惧種です。園芸店で見かける茎に赤みが差すようなものは、実は本当のフジバカマではなく、ヒヨドリバナなどとの交雑種だそうです。

『源氏物語』(藤袴)
「かかるついでにとや思ひ寄りけむ、蘭の花のいとおもしろきを持たまへりけるを、御簾のつまよりさし入れて、『これも御覧ずべきゆゑはありけり』とて、とみにも許さで持たまへれば、うつたへに思ひ寄らで取りたまふ御袖を、引き動かしたり。
 同じ野の 露にやつるる藤袴
  あはれはかけよ かことばかりも
『道の果てなる』とかや、いと心づきなくうたてなりぬれど、見知らぬさまに、やをら引き入りて、
 尋ぬるに はるけき野辺の露ならば
  薄紫や かことならまし
かやうにて聞こゆるより、深きゆゑはいかが……」

『源氏物語』のこのシーンについて室町時代の解説では、

『河海抄』(四辻善成・南北朝時代)
「玉鬘与夕霧共に祖母の服にやつれたる心也」

喪服のことを「藤衣」(藤蔓の繊維で織った素朴な衣類を表す)とも申しますが、「藤」つながりということで、フジバカマが登場しております。ところで、「蘭の花のいとおもしろき」とありますが、この「蘭の花」がフジバカマなのです。

『源氏物語』(匂宮)
「御前の花の木も、はかなく袖触れたまふ梅の香は、春雨の雫にも濡れ、身にしむる人多く、秋の野に主なき藤袴も、もとの薫りは隠れて、なつかしき追風、ことに折なしからなむまさりける。」

フジバカマの葉には、サクラの葉と同じようにクマリンという成分が含まれており、乾燥させると「桜餅の匂い」がします。良い香りの植物ということで、古代中国ではフジバカマを「蘭草」と呼んだのです。

『大戴礼記』(戴徳・前漢)
「(五月五日)是日採蘭以水煮之為湯沐浴、令人辟除刀兵攘却悪鬼、」

フジバカマを入浴剤にして沐浴すると、魔除けになるというのです。

『宋書』
「釁浴、謂以香薫草薬沐浴也、韓詩曰、鄭国之俗、三月上巳、釁両水之上、招魂続魄、秉蘭草払不祥、此則其来甚久、非起郭虞之遺風。」

やはり魔除け。また口臭予防にも用いられ、帝の前に出るときには蘭草を口に含んだ、とも言われ、漢方薬としても用いられています。

『本草神農経』
「蘭草 主利水道、殺蠱毒、辟不祥。久服益気、軽身、不老、通神明。一名水香。生池沢。」

写真はフジバカマと、フジバカマの蜜を好んで集まるアサギマダラ(浅葱斑、学名:Parantica sita)。

フジバカマ

●ムラサキシキブ

ムラサキシキブ(紫式部、学名:Callicarpa japonica)とコムラサキ(小紫、学名:Callicarpa dichotoma)。いずれも秋になると紫色の小さな真珠のような実がなりますが、コムラサキは枝垂れで実が密生します。ムラサキシキブの花言葉は「愛され上手・聡明な女性」、英名が「Japanese beautyberry」、何とも素敵ではありませんか。

コムラサキは山野に自生するムラサキシキブとは別種で、正確にはムラサキシキブではないのです。しかしコムラサキのほうが実の数が多く美しいので、こちらがよく植栽されてメジャーになり、ムラサキシキブの本家?を乗っ取る勢い。今ではコムラサキのほうが一般的に「ムラサキシキブ」と呼ばれます。「コシキブ」とも呼ばれますが、和泉式部の娘の小式部内侍を思い起こさせるので、そちらのほうも風流ですね。

『和漢三才図会』(寺島良安・1712年)
「鼠李 むらさきしきぶ (中略)按鼠李ハ俗云紫志木布。高サ五六尺、葉似柃葉(ヒササキ)。面略団ク、枝柔垂。四月開小花、葉間有花浅紫色。結実紫色。秋落葉ノ後、其子如穂遠視之。」

「枝柔垂」「葉間有花」とありますので、これはコムラサキのようですね。中国における「鼠李」が、日本の「紫志木布(ムラサキシキブ)」のことである、と。 ところで、この植物、本来は「ムラサキシキミ」という名前であった、という説があるのです。

「シキミ」は「重き実」で、たくさん実がなる植物を意味しますが、その「シキミ」が、「シキブ(式部)」に変化したらしいのです。

『物類称呼』(越谷吾山・1775年)
「玉紫 たまむらさき ○京にて、むらさきしきみといふ。筑紫にて、こむらさきと云。」

京都で、ムラサキシキミと呼んでいるというのですが、「ムラサキシキ…」まできたら、「式部」と続けたいのが人情。いつしか「紫式部」になったのは、よく理解できますね。でも、いつからそうなったのかはわかりません。『物類称呼』よりも古い『和漢三才図会』に、「むらさきしきぶ」と表記されていますからね。

なんとも可憐で、高貴な色彩の宝玉のようですから、古くから愛されました。

『続日本後紀』
「嘉祥二年(849)十一月壬申《廿二》。皇太子上表。奉賀天皇宝算。(中略)設献寿之礼。採紫珠之嘉実。用供挿頭之祥。」

病弱な仁明天皇が、無事に40歳を迎えたお祝い。諸臣が紫の実のなる枝を折り取って、冠に挿して「挿頭(かざし)」に用いた、というのです。この記述が、ムラサキシキブの初出である、と言われております。しかし、その後の文献記録には何故か登場しないのですよね。なかなかに謎の多い植物でございます。


次回配信日は、11月5日です。

左:ムラサキシキブ 右:コムラサキ

八條忠基

綺陽装束研究所主宰。古典文献の読解研究に努めるとともに、敷居が高いと思われがちな「有職故実」の知識を広め、ひろく現代人の生活に活用するための研究・普及活動を続けている。全国の大学・図書館・神社等での講演多数。主な著書に『素晴らしい装束の世界』『有職装束大全』『有職文様図鑑』、監修に『和装の描き方』など。日本風俗史学会会員。

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