Bunkamuraシアターコクーン 演劇の熱を生み出す制作集団

第1回【継続】
演劇の熱を絶やさない

カルチャー|2024.9.13
文=新川貴詩
PR:株式会社東急文化村

シアターコクーンとは、劇場の名前である。だが、それだけではない。
シアターコクーンとは、演劇の制作集団でもあるのだ。

シアターコクーンプロデュース『ふくすけ』再演

 1989年に開館したBunkamuraシアターコクーンは、2023年から隣接する土地の開発に伴い休館となっている。だが、劇場を閉じている間にも、外部の劇場で数々のプロデュース公演を手がけている。
 その一例が、『ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-』である。2024年7〜8月の東京・新宿歌舞伎町のTHEATER MILANO-Za(シアターミラノ座)を皮切りに、ロームシアター京都メインホール、博多のキャナルシティ劇場と巡演。作・演出は、シアターコクーンの芸術監督を務める松尾スズキ氏が担い、1991年に下北沢のザ・スズナリで初演されて以来、今回で4度目の上演となる。

『ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-』のメインビジュアル。歌舞伎町の街と登場人物がコラージュされカオティックな雰囲気を醸し出している。

 では、なぜいま『ふくすけ』を再演したのか。この公演でチーフ・プロデューサーを務めたシアターコクーンの森田智子は語る。

「はじめは、松尾さんに新作を書いていただくことも考えながら『THEATER MILANO-Za』でやるならどんなものがいいでしょうかね?」と相談したところ、なかなか一筋縄ではいかない立地のことも考慮して松尾さんが『ふくすけ』の再演しかないのでは、と挙げてくださったんです。劇場がある歌舞伎町にふさわしい作品であり、アクの強い場所で、そのアクの強さに勝てる作品だと私たちも考えました」

 この『ふくすけ』は、2012年にシアターコクーンで上演されたこともある。それから12年が経ち、松尾氏の代表作がこの間に遂げた変化や発展を森田は次のように見る。

「新しいシーンが加わったりしながらも大きな流れは変えずに、見事にコオロギ(阿部サダヲさん)とサカエ(黒木華さん)を軸にした物語に生まれ変わり、作品にさらに深みとリアリティが増しました。すべての登場人物に物語があり、さすが松尾さんだなと改めて尊敬しました。キャスティングが変わったことによる変化も大きく感じました。台詞やシチュエーションが同じであっても、演じる俳優によってこうも作品の印象が変わるものかと思いました。とくに、フクスケを演じた岸井ゆきのさんは、よくぞ引き受けてくださったと思っています。ドキドキしながらオファーに行ったことを覚えてます」

併走しながら作り上げていくコクーンの演劇

 というのも、フクスケの役は、初演では温水洋一氏、2度目と3度目は阿部サダヲ氏が演じたからだ。つまり、女性が演じるのは今回が初となる。岸井氏は出演依頼を聞いた際、「衝撃でしばらく悶々としました」と公演パンフレットで語っている。

 本作の出演者については、コクーンからリストを出したり、オーディションがあったりもしたが、松尾氏からの提案、第一希望が奇跡的ともいえるくらいスムーズに叶い、キャスティングが決まった。主軸となる夫婦の妻サカエ役を務めた黒木華氏も真っ先にリストに挙がった一人だ。なお、森田が黒木氏と出会ったのは10年以上前のことになる。

改編された脚本では、コオロギ(阿部サダヲ)とサカエ(黒木華)が物語の中心となり、舞台のはじめから終わりまで重要な役回りとなった。
©︎細野晋司

「初めて黒木さんの演技を見たのは、野田地図番外公演の『表に出ろいっ!』(2010年、東京芸術劇場 シアターイースト)です。(十八代目)中村勘三郎さんと野田秀樹さんが夫婦を演じ、その娘が黒木さんという三人芝居。声も表情も輝いていて、とてつもなく惹きつけられたのをよく覚えています。それで、翌年、寺山修司さん原作、蜷川幸雄さん演出の『あゝ、荒野』(2011年、彩の国さいたま芸術劇場/青山劇場)の公演で、ヒロインを黒木さんに演じていただきたいと考えました。当時、蜷川さんと稽古場でお引き合わせして一目で決定となったように記憶しています……。以来、黒木さんには五つの作品に出演いただきました。かわいらしいし控えめなところもありますが、肝が据わっているし、地に足が着いたところが素晴らしいなと思っています」

 スタッフ選びも、松尾氏とともに取り組んだ。音楽を担当したのは国広和毅氏である。

「国広さんと松尾さんは、今回が初顔合わせです。これまで何度か国広さんとコクーンで仕事をしたことがあり、松尾さんに推薦しました。事前に書いていただいたテーマ曲みたいなものを聴いた松尾さんから『音楽最高だね』と即答いただき、良い出会いになったと思っています。今回の公演には、松尾さんの要望で三味線の生演奏があるんですが、国広さんが三味線の山中信人さんとご一緒に活動されていたことも大きいですね」

いま問われるコクーンらしさ

 このように、コクーンで出会った俳優やスタッフとの関係が、外部の劇場での公演でも続いている。

「最近、俳優さんに出演依頼をするとき、『コクーンはずっと出たいと思っていた劇場でした』と言われると、うれしいですね。同時に、コクーンじゃなくてすみませんとも思いますけど」

 つまり、劇場が休館している現在も、演劇人の間ではコクーンは揺るぎない存在なのである。

「他の劇場で公演をする際に、コクーンらしさをどう表現していくかというのは簡単ではないことですし、より明確に考えなくてはいけない問題だと思っています。コクーンという劇場を知らない人たちとも出会っていきたいという考えもありますし。ただ、マインドとしては、コクーンで手がけてきたことをそのまま他の劇場でも実践しているつもりです。現在、劇場が使えない中でコクーンの名前をどのように継承していくかは大きな課題です。私たち、演劇を制作するセクションは私を除いて、20代~40代まで10名の社員が公演に携わっています。社内でも話し合っていますが、まだ答えは出てはいません」

 なお、森田がBunkamuraに入社したのも、シアターコクーンがきっかけだ。初めてこの劇場に足を踏み入れたときのことを森田は振り返る。

シアターコクーンのフランチャイズ劇団だった、串田和美率いるオンシアター自由劇場の音楽劇『上海バンスキング』はシアターコクーンの歴史の中で、今でも語り草になる人気作品。
©︎細野晋司

「演劇好きなOLだった頃、コクーンでオンシアター自由劇場の『上海バンスキング』を見たんです。変な言い方ですが、すごく信頼のできる劇団だなと思いました。コクーンという劇場も、新しいけれども、ふわふわしていない感じで、落ち着きがあって集中して演劇が見られる劇場だと感じました」

座長・串田和美(右)と看板俳優の笹野高史(左)
©︎細野晋司

 オンシアター自由劇場は当時、シアターコクーンのフランチャイズ劇団であり、演出の串田和美氏はコクーンの芸術監督でもあった。この公演が、森田のその後を変えた。勤めていた会社を辞め、オンシアター自由劇場のスタッフへと転身したのである。そしてオンシアター自由劇場の解散後はフリーランスの制作助手として数々の舞台に関わり、その後、コクーンの専属契約となり、やがて入社に至る。

未来の演劇人が育つ場づくり

 演劇公演のプロデュース以外にも、シアターコクーンの取り組みについて紹介したい。2024年4月に開講した「コクーン アクターズ スタジオ」は、松尾氏を筆頭に、コクーンゆかりの演出家や劇作家らが指導を担う俳優養成機関である。

2020年よりシアターコクーン芸術監督に就任した松尾スズキ氏。「コクーン アクターズ スタジオ」は松尾の熱心な働きかけではじまった。
©︎宮川舞子

「松尾さんが芸術監督に就任したときから、取り組みたいことのひとつでした。どう実現しようかと構想を練りながら、ようやく今年の春にスタートしました。かなり力が入ってますね。受講生は24人。次代を担ってくれる人たちを、待つだけではなく、学び成長できる場所を作ろうと考えています」

「コクーン アクターズ スタジオ」のレッスン風景。第一線で活躍する演劇関係者から日々演技について指南される。

 レッスン期間は1年、来年3月には受講生による発表公演を実施する予定。
「贅沢なことにこの公演のための松尾さんの書き下ろし作品となります」

なお、その運営は、Bunkamuraの若手社員たちが率先して担う。つまり、俳優に加え、スタッフが育つ場でもある。「コクーン アクターズ スタジオ」から次世代のスターが登場するかもしれない楽しみなプログラムである。

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