仙台から西に約60km、奥羽山脈を越えて山形までをむすぶJRの路線を仙山線という(注)。今回の土木旅は、紅葉深まる仙山線の4つの駅からアクセスできる、土木遺産の「仙山線鉄道施設群」を訪ねる旅である。
(注)正確には仙台から羽前千歳までの区間が仙山線。羽前千歳から山形までの区間は奥羽本線となる。
(記事内の写真は、2020年11月に撮影したものです。)
旅のポイント
💡運行本数の少ない路線は時刻表を活用
💡途中下車が多い旅程はフリー切符の出番
本日の旅程
旅程の組み立て
今回下車するのは、作並、奥新川(おくにっかわ)、面白山高原(おもしろやまこうげん)、山寺の4つの駅だ。仙山線でこれらの駅を通過する列車は、通勤通学の時間帯を除くと2時間に1本程度しかない(2020年11月の場合)。さらに乗降者の少ない駅にはとまらない列車もある。
こうした状況で駅の並び順通りに途中下車していくと、一日で回れる駅の数には限界がある。ところが、上り・下り列車を交互に利用すると、奇跡的に4つの駅をすべて回れることがわかった(次図)。こういった複雑なルート検索する場合、ウェブの乗り換えアプリよりも紙の時刻表のほうが使いやすい。
今回は、まずは山寺駅に向かい、その後、上り・下り交互に乗り換える方式でいくことにしよう。
7:59
やまびこ51号で仙台に到着 東京から東北新幹線に乗り、仙台に到着(map①)。JR仙山線の山形方面に向かう下り列車に乗り、まずは山寺駅に向かう。
※mapは記事の一番下にあります
9:14
転車台が残る山寺駅山寺は、松尾芭蕉が「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」を詠んだ場としても知られる「宝珠山立石寺(通称「山寺」)」の最寄り駅だ。山寺の名にふさわしい寺社造りの外観で、東北の駅百選に認定されている(map②)。
山寺駅を下車したら、駅の東方向にある転車台に向かう。「転車台」とは機関車などの向きを変えるための設備で、山寺駅の線路近くに1968(昭和43)年頃まで現役で使われていた転車台が残っている(map③)。
仙山線は、まず仙台から西に延伸する仙山東線(昭和6年開通)と、山形から東に延伸する仙山西線(昭和8年開通)が開業した(次図)。2つの路線は非電化で蒸気機関車により客車を牽引し、作並と山寺は当時の終点駅だった。このため、機関車の向きを変えて折り返す設備が必要だったのだ。
山寺から作並までの区間は1937(昭和12)年に開業し、仙山線は全線開通となった。理由は後で説明するが、同区間は時代の先駆け的に、電力により走行する方式が採用された。
10:22
もう一つの終点駅、作並へ 本当は山寺の登山口にも足を延ばしたかったが、なにしろ滞在できる時間は45分しかない。転車台を堪能したあと、駅に引き返し仙台行きの上り列車に乗り込む。次の下車駅は作並だ。
温泉やこけしでも知られる作並の駅舎は、山寺とはまた趣を異にする、2008年に完成した木造の駅舎である(map④)。
作並にも駅の北側に転車台があるが、訪問時は立ち入りが制限されていて近寄れず、転車台の様子を確認することができなかった。Google Mapの航空写真で、円形の転車台を確認することができる(map⑤)。また今回は詳しい説明を省くが、作並から東は交流電化の実験路線として選定され、今日につながる鉄道技術の発展に寄与したと言われている。
作並での滞在時間は26分。下り列車に乗り、面白山高原駅へ向かう。こうして乗り降りを繰り返すときは、フリー切符があると本当に移動が楽だ。時期と年齢が限定されるが、JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」は最強だし、土日祝日なら小さな旅ホリデー・パスもいい。
11:03
仙山トンネルを抜けるとそこは面白山高原駅 面白山高原駅の標高は440mで、仙山線で最も標高の高い駅だ(map⑥)。面白山高原での滞在時間は15分。駅から階段を上り、線路やホームの頭上を横切る道路に出る。紅葉まっ盛りで紅に染まる山々が美しい。
道路から仙台方面を見ると、仙山トンネル(通称、面白山トンネル)がぽっかり口を開けている(map⑦)。
次の図はWikipediaに掲載されていた仙山線各駅の標高を示したものだが、奥新川と面白山高原の間に全長5361mの仙山トンネルがあり、路線としての最高地点は仙山トンネル内にある。仙山トンネルも、仙山線鉄道施設群の一つとして土木遺産に選奨されている。
1893(明治26)年に開通した横川から軽井沢を運行する碓氷線(信越本線)では、連続するトンネルによる蒸気機関車の煤煙が乗務員に深刻な健康被害をもたらした。仙山線においても約5kmにおよぶ仙山トンネル内の煤煙問題を避けるため、当初から仙山トンネルを含む山寺と作並の区間が電化されたという背景がある。
ちなみに、面白山高原駅は積雪のある冬季は道路の通行が困難になり、鉄道路のみが唯一のアクセスとなる秘境駅である。
11:26
残された骨組みが渋い直流変電所跡 わずか15分ほどの滞在で面白山高原駅を後にし、最後の目的地、奥新川駅に到着した(map⑧)。小さな駅舎の壁には「奥新川旧国鉄時代の写真」が飾られていて、当時の情熱と苦労が胸に迫る写真は必見だ。
駅からゆっくり歩いて15分ほどのところに、奥新川直流変電所がある。本日の土木旅、最後の目的地だ。
駅を出て左手側(西側)に案内板がある(map⑨)。変電所へは、沢をいくつか越えて山の中の散策路を歩いていく。熊に注意の看板があったので、訪問の際は必要な装備を準備したい。
散策路は仙山線の下をくぐり、すぐUターンして再び線路の下を通る。
それほど歩いてはいないのだろうが、初めての道は少し不安になる。まだかな? と思っていると、神社が見えてきた(map⑨)。
ついに、奥新川直流変電所に到着!(map⑪)。
作並から山寺までの直流電化区間へ電力を供給するためにつくられた奥新川直流変電所は、仙山線全線が交流電化に切り替わった1968(昭和43)年にその役目を終えている。建物は長い間、荒廃するにまかせていたが、2008(平成20)年、骨組みを残し外壁などは撤去。新しく敷地内に建設された資料館に、交流を直流に変換する回転変流機などの設備の一部が保存されることになった。
土木遺産として貴重な構造物であっても、その管理・維持は難しい。安全性を確保しながら、インフラツーリズムとしての魅力もあわせもたなければならないからだ。もちろん、一定の人手も費用もかかる。
奥新川直流変電所は、外壁などを撤去しつつも骨組みが残されたことで、白い碍子(がいし:電気を絶縁するための器具)がよく見え、一つのまとまったオブジェクトとして存在感を放っている。
すぐ横には仙山線の線路があり、走行中の列車からも見える位置にある。奥新川で途中下車しないまでも、この区間を通ることがあれば、ぜひ車窓に流れゆく変電所を見ていただきたいと思う。
本日の土木旅はこれで終了だ。晩秋の散策路を、落ち葉を踏みしめながら帰途に就くことにしよう。
牧村あきこ
高度経済成長期のさなか、東京都大田区に生まれる。フォトライター。千葉大学薬学部卒。ソフト開発を経てIT系ライターとして活動し、日経BP社IT系雑誌の連載ほか書籍執筆多数。2008年より新たなステージへ舵を切り、現在は古いインフラ系の土木撮影を中心に情報発信をしている。ビジネス系webメディアのJBpressに不定期で寄稿するほか、webサイト「Discover Doboku日本の土木再発見」に土木ウォッチャーとして第2・4土曜日に記事を配信。ひとり旅にフォーカスしたサイト「探検ウォークしてみない?」を運営中。https://soloppo.com/