黒船の来航により幕府は鎖国をとき、1858(安政5)年に諸外国(アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランス)と修好通商条約を締結した。横浜港は、その翌年に国際貿易港として開港した歴史ある港である。
開港から2023年の今年で164年経つが、今も港の発展を物語る土木遺構が多く残っている。
今回は、おしゃれでモダンな観光地として有名な横浜港周辺に垣間見える、歴史のオーラを放つ土木たちを見て行こう。
(記事内の写真は、2022年3月に撮影したものです。)
旅のポイント
💡見どころが多い場所は事前に行く場所を選定しルートを考える
💡クルーズ船の出航時間に合わせて予定を組む
💡乗り物からの撮影はシャッターチャンスを逃さない動画もオススメ
本日の旅程
旅程の組み立て
横浜港の新港ふ頭地区を中心に、半径1km圏内に訪問地が固まっている。今回の土木旅では、みなとみらい線の駅からスタートし、新港ふ頭のハンマーヘッドクレーン→新港サークルウォーク→汽車道→灯台発祥の地→氷川丸と白灯台→横浜港大桟橋からクルーズという順番で旅をする。
7:51
みなとみらい駅からスタート みなとみらい線は、横浜から元町・中華街までを結び、東急東横線や東京メトロ副都心線などにつながる路線だ。路線に属するみなとみらい駅(map①)は、巨大ショッピングモールのクイーンズスクエア横浜の地下にある。近未来の雰囲気を醸し出すホームから、エスカレーターで吹き抜けのアトリウムを通り地上に出るのは、アトラクションのようにドキドキする。
駅を出たら、まずは新港ふ頭を目指す。新港ふ頭は明治後期から大正初期にかけて造成された埋め立て地で、数多くの港湾施設が建造された横浜港発展の礎となる場所だ。
当日は快晴。透き通るような青い空を見ながら国際橋を渡ると(map②)、よこはまコスモワールドの大観覧車が見える。観覧車の中央にある時刻表示が、オフィス街の朝の始まりを告げていた。
※mapは記事の一番下にあります
8:38
88年お疲れ様のハンマーヘッドクレーン新港ふ頭の突端には、きれいに塗装されたハンマーヘッドクレーンがあった(map③)。工事現場で見かけるような背の高いクレーンではなく、武骨でがっしりとしたジャイアント・カンチレバークレーンだ。港の荷物の荷揚げに活躍していたクレーンである。金槌のようなフォルムから通称「ハンマーヘッドクレーン」と呼ばれている。
ハンマーヘッドクレーンは、1913(大正2)年に、イギリスのコーワンス・シェルドン社製造のものが輸入・設置された。
クレーンの吊り上げ能力は、50トン。それだけだとピンとこないが、アフリカゾウ(1頭およそ5トン)10頭を一度に吊り上げられる…と考えると、なかなかの能力だと思う。
ハンマーヘッドクレーンのような貴重な土木遺産の近くには案内板が設置され、歴史的な価値を裏付ける文章と当時の活況を示す写真が掲示されているので必見だ。
ハンマーヘッドクレーンは、人々の憩いの場所として整備された「ハンマーヘッドパーク」の中にある。当時、引き込み線として敷かれていた線路のレールも一部、しっかり残されているので、そのあたりもぜひ見ていただきたい。
ちなみに、このようなタイプのクレーンで国内に現存するのは3基しかない。他の2基は、長崎県の三菱重工業長崎造船所と佐世保重工業佐世保造船所において現役で活躍しており、国の登録有形文化財になっている。
8:57
ユニークな環状の歩道橋 新港ふ頭のある新港地区の中央にあるのが、新港サークルウォークだ(map④)。交通量の多い交差点をストレスなく人が行き来できるように1999(平成11)年に建設された歩道橋だ。とはいえ、単なる歩道橋を設置する横浜じゃない。
この歩道橋、主構が楕円形のダブルワーレントラスで、なんともカッコいいのである。
サークルウォークの歩道を歩いてみる。下の写真、右手にあるのが歩道橋を支える主構のダブルワーレントラス。くすんだ深緑がかった青色のような絶妙な色で塗装されている。江戸時代に流行した錆御納戸(さびおなんど)色によく似た、粋な色とでもいえばいいだろうか。
このサークルウォーク、主構から外側に歩行用の床版が張りだしていて、世界的にも珍しい構造をしているとのこと。歩道橋を下から見上げると、その構造が素人目にもなんとなくわかり、斬新なデザインとしっかりとした技術が融合した横浜らしい構造物なのだなと感じる。
サークルウォーク周辺は現在も工事中で、いずれは新港ふ頭方向まで歩行デッキが整備されるらしい。
9:15
人工島をつなぐ「汽車道」にかかる3つの古い橋サークルウォークを渡り、JR桜木町駅のある西方向に進むと、明らかに歴史がありそうな白いトラス橋が現れる(map⑤)。
地図で場所を確認してみよう。下の地図、右側が新港地区で上の写真は新港地区運河パークの西端から写真を撮っている。桜木町方面に行くには、2つの細長い人工島をつなぐ3つの橋を渡っていくのだが、右側(東側)から、港三号橋梁・港二号橋梁・港一号橋梁と名前がついている。
横浜港周辺には、かつていくつもの鉄道が走っており、旧横浜駅(現在のJR桜木町駅付近)と新港ふ頭を結ぶ臨港線の廃線跡を利用して整備されたのが、汽車道である。細長い人工島は、横浜臨港線の列車が通るための築堤だった。
横浜臨港線は1911(明治44)年に開業し、1987(昭和62)年に廃止された。その後、1997(平成9)年に、廃線跡が汽車道として整備され現在に至る。
先ほど目にした背の低いトラス橋、港三号橋梁は、汽車道として整備されたタイミングで、実は別の場所から移設されたものだ。1906(明治39)年、北海道炭礦(たんこう)鉄道の夕張川に架設されたイギリス製の橋が、横浜の別の引込線に転用された後、この場所に再移設されたのだ。
港三号橋梁の西側には、港二号、港一号と2つの橋梁が架けられている(map⑥)。2つとも1907(明治40)年にアメリカン・ブリッジ社で造られた橋で、臨港線開業に合わせて架設された。
9:33
ここが灯台発祥の地 港一号橋梁を渡ったら、みなとみらい線の馬車道駅方向に歩き、北仲橋を渡るとすぐ左手に小さな北仲通北第一公園がある。橋のたもとから階段を下りると、レンガを敷き詰めた多角形のスペースがあり、ここが次の目的地「灯台発祥の地」である(map⑦)。
開国による国際貿易港の整備が急務だった明治政府は、灯台事業を管轄する燈明台(とうみょうだい)局をつくり、灯台建設の実験や灯台守教育などを担う「洋式試験燈台」を設置した。
実務機能は後に東京に移ったが、発祥の地の記念とするため、「洋式試験燈台」の基礎に使用していたレンガを敷き詰めたのが、この場所である。
10:04
現役を引退した白灯台のいま 歩き続けて2時間を超え少し疲れてきたが、次に目指すは今回の土木旅で一番楽しみにしていた白灯台。疲れも忘れるほどふつふつとテンションが上がってくる。
船の航行に灯台は欠かせない。一般的に灯台と言えば、岸壁の上に建ち海を光で照らす背の高い灯台を思い浮かべるだろう。関東で言えば、千葉の犬吠埼灯台や神奈川の観音崎灯台などが有名だ。これらは、沿岸灯台と呼ばれるタイプのものだ。
一方、船が安全に港に出入りするために設置された灯台は、防波堤灯台と呼ばれている。これから訪ねる白灯台は、1896(明治29)年、日本で最初に設置された防波堤灯台なのである。
白灯台は現役を引退し、山下公園横に係留されている氷川丸のそばに設置されていると聞いた。氷川丸もまた引退後に、博物館船として国の重要文化財に指定されている船だ。まずは氷川丸の見学ルートの入口に到着(map⑧)。
氷川丸の方向に歩いていくと、右手に白灯台の案内板が見える。
案内板の先を右に曲がると……、見えた!(map⑨)。
白灯台の正式名称は、「横浜東水堤灯台」。水堤灯台とは防波堤灯台のこと。日本各地の港に数多くの防波堤灯台があるが、これほど風格のあるものはそうはない。数々の苦難を乗り越え役目を終えた後、1963(昭和38)年に当地に移設保存されたのだ。
防波堤灯台の外観は、外洋から港に向かって、左側が白、右側が赤と国際ルールで決まっている。白灯台には、同時期に設置された兄弟の赤灯台があり、なんと今も現役で海上にある(map⑩)。
そしてこれから、実際にクルーズ船に乗り、赤い灯台に会いに行くのだ。
10:36
横浜港発祥の地、象の鼻防波堤 氷川丸から西方向に引き返し、横浜港大さん橋に向かう。国際客船ターミナルとしても利用されている大さん橋から、横浜港内をめぐるクルーズ船に乗るためだ。
大さん橋の付け根西側の一角は、2009(平成21)年、横浜開港150周年記念のタイミングで、明治中期頃の象の鼻のようにカーブした突堤を復元するなど、象の鼻パークとして整備された。
1859(安政6)年、幕府は横浜港の開港に伴い、海に向かってまっすぐのびる2本の突堤を建造した。その後、波止場としての機能を強化するため東側の突堤を弓なりにのばし、その形状が象の鼻のようであることから、象の鼻防波堤と名前が付いた。
大さん橋への道を行くと、左手に復元された象の鼻防波堤が見えてくる(map⑪)。
また、その復元工事中に、関東大震災で沈下した防波堤の石積みが発見された。石積みの一部はそのまま海中で保存し、発見された石を使って当時の石積みを復元したものが展示されている。
10:44
大さん橋からクルーズ船へ 赤灯台を間近で見るためには、横浜港内を航行する船に乗らなければならない。当時調べたところ、ロイヤルウイングというクルーズ船が、赤灯台の比較的近くを通るコースを航行していた。このロイヤルウイングの発着場所が大さん橋だ。
チケットセンターで予約していた切符を買い、屋上デッキに向かう。くじらのせなかと名付けられた屋上に向かう途中、複雑な角度で造られた木張りの床や壁が、独特の雰囲気を漂わせている(map⑫)。
屋上デッキに出ると、大さん橋の東側にこれから乗船するロイヤルウイングが見える。
出航時刻が過ぎ、船のエンジンがかかる。
最初に見えてきたのは、緑色のブイ、灯浮標(とうふひょう)だ。かつて白灯台があった場所に浮かび、同じように緑の光を放っている。「東すいてい」と書いてあるのが、白灯台の意志を継いでいるようでじんとくる。
そして対になる赤灯台「横浜北水堤灯台」が、少し離れた場所に見えてくる(map⑩)。本当はもう少し近づいて見たかったけれど、贅沢はいえない。自宅で撮影した写真を拡大して見るだけでも、十分にその貫禄が伝わってくる。
設置から150年以上経った今でも、船の安全を守り赤い光を放っている。なんとかこのまま頑張ってほしい。
横浜港内には、他にも古い灯台などがあり、クルーズ船の旅はとても有意義なものになった。
残念ながら、私が乗船したロイヤルウイングは老朽化のため、2023年5月14日のファイナルクルーズで引退となった。
(※今回乗船したクルーズも現在は中止となっています)
13:57
航海を終えて帰途に就く大さん橋からの帰り道、行きは気がつかなかった土木遺産が左手に見えてきた。長年大さん橋を支えた螺旋杭(らせんぐい)である。この巨大な杭を人力で海底にねじ込んだとは、驚くばかりだ。
さらに歩くと、山下臨港線プロムナードの下をくぐる(map⑬)。このプロムナードもかつてあった鉄道の廃線跡を歩行者用に整備した道だ。交差する橋の下の壁には、古の横浜港の絵図が描かれている。
横浜は古くから観光地としても栄えてきた。古いものと新しいものをシームレスに融合させて、人々を楽しませる仕掛けがそこここにある。
土木遺構という、下手をすると負の遺産になりかねないものを利用し、何度でも訪れたくなる街を作り上げる、そんなエネルギーに満ちた場所のように感じた。
※掲載しているタイムスケジュールは探訪時のものです。
牧村あきこ
高度経済成長期のさなか、東京都大田区に生まれる。フォトライター。千葉大学薬学部卒。ソフト開発を経てIT系ライターとして活動し、日経BP社IT系雑誌の連載ほか書籍執筆多数。2008年より新たなステージへ舵を切り、現在は古いインフラ系の土木撮影を中心に情報発信をしている。ビジネス系webメディアのJBpressに不定期で寄稿するほか、webサイト「Discover Doboku日本の土木再発見」に土木ウォッチャーとして第2・4土曜日に記事を配信。ひとり旅にフォーカスしたサイト「探検ウォークしてみない?」を運営中。https://soloppo.com/