大奥と”カステラ”の深い関係
よしながふみの『大奥』にはたびたびカステラが描かれる。11代将軍・家斉の時代には、母である治済が孫の暗殺のために毒カステラを贈り、14代将軍・家茂は、和宮と一緒にカステラを味わう姿が登場した。なかでも13代将軍・家定が阿部正弘とカステラを作る姿は印象的だ。
お菓子作りをした将軍・家定
しかし、将軍が厨房に入り、お菓子を作るということは実際にあったのだろうか。
東北大学東北アジア研究センターの野本禎司助教は、このように語る。
――カステラを作っていたというのは史実である。「吹上の薩摩芋や唐茄を煮、まんぢう、かすていらを為御拵候」(*1)、あるいは「豆を烹(に)て之を近臣に賜ひ」(*2)という記録がある。ただ、なぜ家定が菓子作りをしていたかわからない。政敵からはその趣味は暗愚の印とされたが、家定なりの家臣とのコミュニケーションであったのかもしれない。
(太陽の地図帖 よしながふみ『大奥』を旅する P.77より)
はたして本当の家定は?
野本助教によると、13代将軍・家定は、評価が定まっていない歴史上の人物の一人であるという。
同書では、渋沢栄一の著書『徳川慶喜公伝』(藤井貞文解説、平凡社東洋文庫)をはじめ、さまざまな文献資料の家定についての記述から、家定の真の姿に迫っている。
――(よしながふみの)『大奥』では、父・家慶に暗愚の噂を流されたことになっているが、実際には、暗愚どころか聡明である。カステラは、互いに「甘い物好き」である、老中・阿部正弘と親睦を図り、かつ、彼女の「優しさ」を表すアイテムとなっている。
(太陽の地図帖 よしながふみ『大奥』を旅する P.77より)
「お菓子作りが趣味だった将軍」と聞くと親近感が湧くが、本当の家定ははたしてどんな人だったのだろうか。
*1『大日本維新史料 類纂之部 井伊家史料』4(東京大学出版会)
*2 内藤耻叟「安政紀事」(『幕末維新史料叢書』6[人物往来社]所収)