猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。
第24回は、春の陽気に眠気をおさえられない猫ちゃんと、夢二の詩の世界をご紹介。
「春」
モリモリ食べて、
思いっきり遊んで、
お日さまの下でゴロゴロ。
でも、一番の楽しみは、お・ひ・る・ね。
途中、視線に気づいても、
すぐにうっとり、夢の中。
ささやかで、
でもけっして当たり前ではない、春の幸せ。
今月の言葉
「うつら春の日 夢心地
ヘチマコロンの にほやかさ
肌はほのぼの 小麦いろ
とてもイツトが なやましい
コロン コロン ヘチマコロン」
竹久夢二 「ヘチマコロンの唄」より「春」
(参考 別冊太陽 日本のこころ221 『竹久夢二の世界』)
「竹久夢二」と聞いてまず浮かぶのは、情感豊かな女性の絵。ほっそりした身体、喜怒哀楽が曖昧な、ちょっと気だるそうな表情。ときに美しいうなじを見せ、壁に寄りかかるなど、しなやかなしぐさも魅力的な女性像は、「夢二式美人」と呼ばれ、当時の女性たちの憧れになった。
もっとも、画家・夢二にはさまざまな顔がある。手がけた分野や題材も多岐にわたり、日本画や油彩画、水彩画、パステル画といった肉筆画はもちろん、版画の絵師としても500点を超える作品を遺している。加えて、雑誌の表紙や挿絵でも活躍し、自著以外の本の装幀も250冊以上手がけた。今でいうイラストレーター、ブックデザイナーでもあったのだ。さらに、千代紙や絵封筒などの紙小物の図案や、帯や浴衣の意匠を考え、企業広告にも携わるなど、グラフィックデザイナーとしての顔も持っていた。もちろん、詩人としても多くの作品を発表している。
夢二、本名竹久茂次郎(もじろう)が生まれたのは、明治17年(1884)。岡山県邑久(おく)郡本庄村で育ち、18歳で上京した。当初は詩人志望だったが、「文字の代わりに絵の形式で詩を画」くようになり、やがて挿絵や絵はがきの図案を、新聞や雑誌に投稿。22歳のときに投稿雑誌に送った作品が1等に入選し、まず挿絵画家として画業をスタートさせた。売れっ子作家になるのは、初の著作『夢二画集 春の巻』(1909)が爆発的にヒットしてから。その後は自著、自装本の出版が相次いだ。
多彩ながら、どれを見ても夢二らしさを感じさせる独特の画風を支えたのは、膨大なスケッチ。実は画業をスタートさせてまもなく、夢二は本格的に絵を学ぼうとした時期がある。だが、官展の審査員を務める人物から、美術学校で学ぶことは、かえって夢二の才能をつぶすことになる、「自分で自分を育ててゆかなくちゃいけない」と助言され、独学を覚悟。スケッチに次ぐスケッチの日々が始まったという。
指針となったのは、最新の西洋絵画と浮世絵の複製。夢二が活躍した明治後期から大正時代は、西洋絵画の知識や技法が、日本に流入してまもない頃。国内では雑誌や画集が次々に発刊され、当時隆盛していた印象派の作品や、それ以降のゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなどの作品も、いち早く紹介されていた。夢二は刺激を受けた国内外の作品をノートにスクラップし、試行錯誤を経て、独自の画風に昇華させていったのだ。
今月の言葉は、ヘチマコロン(化粧水)の広告のために夢二が作った詩。本来は春夏秋冬、それぞれの季節に合わせてヘチマコロンが詠まれ、昭和5年の「東京朝日新聞」の広告欄には、絵とともに掲載されたという。音読すると、リズミカルな節回しに、気分が一気に弾んでくる。「うつら春の日 夢心地」──。ようやく迎えた春の喜びは、猫も人も同じようだ。
今週もお疲れさまでした。
おまけの1匹。
春はあくびも長め?
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。