空海 祈りの絶景 #7 青年真魚(まお)を追って〜太龍寺 その2〜

連載|2023.6.16
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

#7 密教行者と過ごした時間

 瑠璃色の空の一端が、オレンジ色に染まり始めたその瞬間、どこかでひっそり鳥が鳴いた。
 眼前には、明けの明星。

早朝の太龍寺(たいりゅうじ)、舎心ヶ嶽(しゃしんがたけ)。弘法大師坐像があり、写真の右中ほどに明けの明星が出現している。

 空と海の間を漂う雲が、徐々にオレンジの色味を増し、それに呼応するように鳥の声がにぎやかさを増していく。
 やがて、大地を包む空気がエネルギーに満ち満ちた頃、太陽の先端が顔を出した。

求聞持法は、「東側が開け、明星を拝めるところで修行することが大事」と太龍寺の副住職、島村泰史さんは言う。「お釈迦さまが悟りを開いたとき、東の方に輝く金星が出ていたと伝承されていて、お釈迦さまの成道に関係すると、以前習いました」。

 徳島県の南東に位置する四国八十八ヶ所霊場第二十一番札所の太龍寺は、若き空海が虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を修行した地。特に舎心ヶ嶽と呼ばれる巨岩からは、広々とした空と連なる山々、そして、人々の暮らしが営まれる平野部や、はるか遠くの太平洋まで見渡せる。空海がのちに構築する真言密教の世界観、宇宙観をイメージさせるこの壮大な風景の中で、一つの言葉を思い浮かべた。

 「谷響きを惜しまず」––––。

 空海が初の著書『三教指帰(さんごうしいき)』の中で記した言葉である。自身の唱えた真言が谷にこだまし、大地や自然、ひいては宇宙が、それに呼応するようにとどろいた、という意味だろうか。だとすると、若き空海がそんな境地に至るような求聞持法とは、どんな行法なのだろう。

 「求聞持法を修法しているときは、毎日早朝に、明星を礼拝します。金星は虚空蔵菩薩さんの化身とされています」と話すのは、太龍寺の副住職、島村泰史さん。

 自身も31歳のときに求聞持法を修法したという島村さんは、虚空蔵菩薩をご本尊とし、その真言を百万遍唱えるというこの行法について、「人に言うと、その分功徳が落ちると言われています」。そう前置きをし、「修法することも、師僧と近親者にしか知らせてはいけないので、四国遍路に出ますと周囲には言っていました。真言宗では、求聞持法を修法したからといって位が上がることはありませんし、そもそも自慢するために修法するわけではないですから」と説明を加えた。こちらもそれを肝に銘じ、話を進める。

 「求聞持法は100日と50日、35日で修法する方法があり、それによって1日の行法は変わってきます」
 
 空海の時代は100日間。1日1万遍を毎日唱えたとされている。だが、現在太龍寺では50日間で行うため、百万遍に達するには、1日2万遍唱えなければならない。

 「早朝に明星を拝んだ後は、境内のお堂一つひとつにお参りをして、4時ぐらいから11時頃まで、境内の求聞持堂で虚空蔵菩薩の真言を1万遍唱えます。それから昼食。午後も約7時間かけて、同じように真言を1万遍唱え、掃除などをして1日を終えます」

 食事は1日1食。肉や魚は断ち、昼の12時を過ぎたら固形物は食べてはならないことになっている。加えて、用いる数珠や着る物など、身なりに関することだけでなく、寝るときの頭の方角や、手洗いに行くときの作法などにも細かい決まりがあり、行者はそれを守りながら、通夜堂(求聞持堂の隣にある)で50日間を過ごすのだ。

舎心ヶ嶽の弘法大師坐像の向かいにある丘には、天照皇大神を祀る祠がある。天照皇大神は中世に仏教信仰と結びつき、密教のご本尊、大日如来の垂迹(すいじゃく=仮の姿)として信仰されたという。なお「舎心」は、「心をとどめる」という意味。
太龍寺の舎心ヶ嶽は2つあり、こちらは北舎心ヶ嶽と呼ばれている。仁王門の近くにあり、不動明王に仕える八大童子が祀られている。

 一方、過去には納得のいく成果を得ることができず、何度も挑戦した例もあるという。
 「たとえば和歌山県の根来寺を開創した覚鑁上人(かくばんしょうにん)は、七度やっても納得する成果が得られず、京都、醍醐寺の賢覚法印(けんがくほういん)からヒントを授かり、八度目にようやく成就したという話もあります」
 (その後、覚鑁はもう一度修法し、全部で九度、求聞持法に挑戦している=筆者註)

  ちなみに空海は、高知県の室戸岬でも求聞持法を行い、そのときの体験を

 「明星来影(らいえい)す」

 と記している。

 「どうなったら成就と言えるかは人それぞれ違いますが、必ずどれかのパターンに入っています。ただ、それをどこまで教えていいかは難しい。先に教えてしまったら、必ず行者は、50日目にそれをイメージしてしまいますから」

 いずれにしても、この地の大いなる自然の中で、青年真魚(まお)は何かを摑んだのだろう。

樹齢数百年の巨木が境内を護る。

 そんな空海を語るうえで欠かせないこの寺で、今年も正御影供(しょうみえく)が行われた。

正御影供当日の本坊玄関のしつらい。いつも花が生けられている。

 正御影供は、真言宗の宗祖である弘法大師に感謝を捧げる法会。空海が入定(にゅうじょう)した835年(承和2)年3月21日にちなんで、毎年この日に、真言宗の各寺院で法会が行われている。現在は新暦で行う寺も多いが、太龍寺は毎年旧暦で行っているという。

 当日は、通常中に入れない大師堂の拝殿が、参拝者のために公開され、

 拝殿奥の御廟(ごびょう)も開扉される。

 午前10時50分。大師堂での法会に先立ち、本坊を出発した僧侶たちが境内を練り歩く。先導者が鳴らす鈴(りん)の音が、周囲のざわついた空気を鎮め、境内に居合わせた人々の意識を弘法大師へと向かわせる。

 午前11時。厳かに法会が始まった。

 正御影供は、もとを辿れば、空海の入定後、大師号の下賜を奏上した僧、観賢(かんげん)によって創始されたという。お堂に響く声明(しょうみょう=節が付いたお経)や読経の声、導師の住職・島村泰人さんが鳴らす金剛鈴の音。今も永遠の瞑想の中に生きる祖師、弘法大師への感謝の祈りが、供物やさまざまな所作とともに捧げられ、法会は粛々と進んでいく。

儀礼の中心である導師の島村泰人さんは、793年(延暦12)の太龍寺創建から数えて50世の住職。

 密教にとって、儀礼は重要な要素。歴史を繙(ひもと)けば、そもそも密教は、紀元1世紀ごろに始まった大乗仏教、つまり、自分一人の悟りではなく、この世に生きるすべての者たちの成仏も、ともに考えていくという宗派の一派として生まれた。やがて、仏教の衰退とともに、インドのさまざまな地で古くから行われてきた儀礼や、聖なるものに供物を捧げる行為が取り入れられ、宗教として体系化されていったという。教義と儀礼が整い、盛んになるのは7世紀ごろ。その後、唐時代の中国に伝わり、空海によって、完全な形で日本にもたらされるのだ。

法会では、導師は真言を唱え、両手で印を結び、心にご本尊である弘法大師を観想する。

 以来1200年あまり。空海のひたむきな情熱によって持ち帰られた密教は、時間をかけて熟成、再構築されて真言密教となり、今なお脈々と受け継がれている。法会の静かな余韻の中で、改めて、そのことの重みを感じた。

法会を終え、大師堂前の御廟(みみょう)の橋を渡って本坊へ帰る僧侶たち。 太龍寺が「西の高野」と呼ばれるのは、この御廟の橋、大師堂、御廟という配列が高野山の奥の院と同じことも理由の一つにある。

 午後からは、副住職の島村さんが日々行っているお勤めの儀礼に参列。許可を得て、準備から同行させていただいた。
 まず樒(しきみ)の葉を摘み、山からの湧水を汲んだ後、

 鎮守社で、二礼二拍手一礼の参拝。

 「樒は仏様を供養し、お送りするために用意します」

 その後、「水神さん」を祀る小さなお社で、般若心経と水天の真言を唱え、「お水をいただきます」と、感謝の祈りを捧げる。

 本堂のご本尊は、虚空蔵菩薩。

 「香りの良い香集(こうしゅう)という世界にお住まいの菩薩さんなので、香りには特に気を遣っています」。

 そう言って、島村さんはお勤めに先立ち、まず手や身体全体を、塗香(ずこう)と呼ばれる香で清めた。
 ちなみに、虚空蔵菩薩のテーマカラーは黄色。儀礼の際は、数珠も含めて法衣一式を黄色にすることを心がけるという。

 密教の儀礼は、おおまかに次のような流れで進んでいく。

 「鈴を鳴らしてご本尊をお迎えし、お米などの供物を捧げて接待した後、しばらく一緒に過ごします。そして、再び鈴の音とともにお帰りいただくのです」

供物は少しの洗米と、榧(かや)の実。榧の木が虚空蔵菩薩と関わりが深いことから、その実を捧げるという。

 儀礼中は、ときに両手で印を結び、ときに心中でご本尊を観想。

 水を捧げるのは、前半と後半の2回で、前半ではご本尊の御足を洗い、後半では御口を嗽(すす)ぐという。

 そして、再び金剛鈴を鳴らし、お帰りになるご本尊を見送るのだ。

 儀礼は終始淡々と進められる。だが、島村さんが、真言を畳みかけるように繰り返し唱え始めた瞬間、堂内の空気に変化が起きた。気力みなぎる声の波動に呼応するように、空気の密度が増し、お堂全体が時空を超越した真空状態になったかのような、不思議な感覚に陥ったのだ。

 真言に表れる声の力、音の力を、ほんの少し垣間見た気がした。

 その後、多宝塔へ移動。堂内には、虚空蔵菩薩の功徳をわかりやすく五つに分けたという五大虚空蔵菩薩が祀られている。

 「祈りの内容は、すべて萬邦泰平(まんぽうたいへい)。江戸初期の文献に書いてある言葉ですが、つまり世界平和です。個人の病気平癒やこまごまとしたことは、すべてその中に組み込まれているということなのでしょう」

 自分が知らないところで、いつもと変わらない日常が送れることを、日々祈っている人たちがいる。そのことを忘れずにいようと思う。

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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