猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。第14回は、気ままに見える猫の姿から学ぶ、夏目漱石の言葉。
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「処世術」
食べたいときにご飯を食べ、
不満があればこっそり発散。
人の目が気になるときは、
相手の好奇心を尊重しつつ、
視線を逸らしてやり過ごす。
腹が満ちたらゴロリと寝て、
気がすむまでひなたぼっこ。
やりたいことを、正直に。
自分も自由、他人も自由。
猫が教える、「ご機嫌」を保つ処世術。
「自を尊しと思はぬものは奴隷なり」
夏目漱石「断片」より
参考:別冊太陽 日本のこころ231 『夏目漱石の世界』
東京帝国大学の英文学科を卒業後、教師として生計を立てていた夏目金之助が、漱石というペンネームで小説『吾輩は猫である』第1章を書いたのは、明治38年(1905)、38歳のとき。後世に名を残す小説家・夏目漱石の誕生を、自身は「時機が達して居た」と後年語っている。
出身は現在の東京・新宿区。明治維新の前年、1867年に生まれた漱石は、いわゆる文明開花で制度や習慣が大きく変わり、人々の暮らしにさまざまな変化が強いられる中、新設されたばかりの近代的な教育制度のもとで学校生活を送った。元来の漢学好きで、第一高等中学校時代は同級生の正岡子規と、文学をめぐって親交を深めたにもかかわらず、漱石が大学で英文学科を選んだのは、近代化=西洋化という時代の波と、自身の文学概念を形成した漢籍のような世界が、英文学にも存在するだろうと期待してのことだったと思われる。だが、結局英文学はもとより、文学がどういうものかもわからないまま大学を卒業。のちに『坊っちゃん』の舞台となる四国・松山の中学校や、熊本の高等学校で教師生活を送った。
転機が訪れたのは、33歳のとき。文部省から英語研究のため2年間の英国留学を命ぜられた漱石は、ロンドンという異文化の中で違和感を募らせ、何のために書物を読むのか、その意味さえわからなくなっていく。そんな日々で見出したのが、「自己本位」という言葉だった。漱石は、今までの自分は「他人本位」、つまり西洋人が西洋文学に対して行う論評を、当否を考えることなく鵜呑みにし、我が物顔で触れ回っていたにすぎないと気づき、これからは、「独立した一個の日本人」である自分が確信した意見を主張していこうと心に決めるのだ。よりどころとするのは、「世界に共通な正直といふ徳義」。以後漱石は、借り物ではない自分の意見を述べるため、文学以外の書物もさまざま読み、見聞を広めて思索を深め、幅広いジャンルで独自の見解を築いていく。そんな長年の蓄積が、『吾輩は猫である』で一気にあふれ出たのだろう。
今月の言葉も、「自己本位」の境地を表している。大切なのは、「自己本位」の「自己」は、自分だけでなく、他者の自己でもあるということだ。猫にとっては、ある意味あたりまえのこの言葉が、今を生き抜く処世術に思える。
今週もお疲れさまでした。
おまけの1匹。
「我輩の名も漱石」
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。