猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。第6回は前回に続き、大阪府和泉市の施福寺境内を闊歩する気ままな猫、ふくちゃんが登場。
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ふくちゃんの「食事の流儀」
食事にお招きいただいたら、
満腹でも
半分は義理堅く食べる。
たとえ見慣れない物を出されても、
心を汲んで興味を示す。
(もしくはそういうフリをする)
それが、寺猫ふくちゃんの流儀。
本日もお招きあり。
では「頂戴します」。
我を忘れた食べっぷりに、一同和み、
主客ともに至福のときを過ごす。
猫に「美味しい?」は、愚問のようだ。
余情残心
――茶会が終わった後、主客ともにその余情、名残りを惜しむこと。
参考:別冊太陽 日本のこころ251 『茶の湯』
一服の茶を点て、喫する。その背景に、どれほど広大で奥深い世界が潜んでいるのだろう。
抹茶を点てる、つまり点茶と呼ばれる喫茶法は、中世に中国から伝わった習慣。かつて禅宗の寺院では、居並ぶ僧侶が、全員で点茶を喫する「禅院茶礼(されい)」と呼ばれる儀礼が行われていたという。
日本では、室町時代に茶が庶民へ広まり、やがて上質の抹茶を薄茶の2倍以上の濃さで喫する濃茶が誕生。この日本独特の濃茶と、従来の薄茶、二種の茶を喫する「茶の湯」が、寄合の場として成立した。
以来「茶の湯」は、日本人の自然観と暮らしに調和して発展、洗練され、時代とともに変容しながら、日本の伝統文化として受け継がれてきた。
そもそも茶の湯は、亭主が客を招いて行う飲食儀礼。原則として6畳敷以下の小座敷で、中立(なかだち)を挟み、初座(しょざ)と後座(ござ)の2部から構成されている。時間にして4時間弱。初座では料理を、後座では亭主が客の前で点前を行い、茶をふるまう。
すべては心づくしの一服のため。だが、釜や茶入れなどの茶道具や軸、花、さらに茶室や庭と、愛でる対象が多岐にわたり、戦国時代は経済力や政治力を誇示する装置として、茶の湯が利用されることもあったという。その一方、世俗性とは異なる価値を茶の湯に見出した、「侘数寄(わびすき)」と呼ばれる人たちも現れた。
「余情残心」は、幕末の大老で、将軍家の茶の湯師範だった片桐石州(せきしゅう)の流れを汲む茶人、井伊直弼が著した『茶湯一会(ちゃのゆいちえ)集』に登場する言葉。茶の湯における亭主と客の心得を、会の順を追って詳細に記したこの書の中で、直弼は、亭主は客を見送った後、心静かに茶席に戻り、独り炉の釜の前で、今日の茶会は一生に一度の会であったことを観念し、茶を点てて飲むことが茶の湯の真意であると説いている。
茶の楽しみ方は人それぞれ。だが「余情残心」に集約される主客の真心こもった交わりこそ、茶の湯の精神であることを直弼は伝えている。
今週もお疲れさまでした。
おまけの一枚。
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。