「ありのまま」良寛│ゆかし日本、猫めぐり#2

連載|2022.6.3
堀内みさ

猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。第2回は、良寛の言葉とともに、ほっと肩の力が抜ける昼下がりの猫ちゃんをお届け。

前回はこちら

「ありのまま」

目が合っても動じない。
 初対面にもかかわらず、自然体でありのまま。

うらうらとした昼下がり、
 思わずこちらも、あくびをひとつ。

「生涯 身を立つるに懶(ものう)く 
  騰々(とうとう)として天真に任す」   

―私は一生身を立てようという気になれず
 のほほんと天然のありのままの生き方だ―
   『別冊太陽日本のこころ153 良寛』より

*釈文は『良寛詩集』入屋義高訳注(平凡社東洋文庫、2006年)による

「聖にあらず、俗にあらず」良寛の生きざま

懐中には手毬とおはじき。子どもたちが近寄ると、いつ果てるともなく遊び続けたという良寛。人柄にまつわるエピソードは、ほのぼのとしたものも多い。
 もっとも、良寛は曹洞宗の僧侶。厳しい禅修行に励んだ青年時代は、道元禅師の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』に感銘を受け、「身心脱落」、つまり、身体からも心からもとらわれがなくなる境地こそは、ただ一つの真実、と記している。生涯地位や権力に寄りかからず、一乞食(こつじき)として、「聖にあらず、俗にあらず」の生き方を貫いた根っこには、この「身心脱落」を自分なりに極めたいという熱い想いがあったのではないか。
 書も然り。費やした莫大な稽古の跡を微塵も感じさせない力みのなさ。それが良寛の書の魅力でもある。

一方で、良寛はやはり『正法眼蔵』の、慈愛の心を持つ言葉だけを発するという「愛語」にとりわけ関心を持ち、自らも言葉についての戒めを、90箇条にも及ぶ「戒語」として遺した。良寛の庇護者によれば、一晩良寛と語ると、みな清々しい想いに満たされたという。
 今回ご紹介する一節は、良寛の晩年の作。「のほほんと天然のありのままの生き方」は、さまざまな挫折や孤独を経て行き着いた境地と言えるだろう。努力も厳しさも、すべてがとけあった慈愛の心。その境地に嘘がなかったことは、何より無垢な子どもたちが一番わかっていたに違いない。

全文は以下の通り。

「生涯 身を立つるに懶く 
騰々として天真に任す
嚢中 三升の米
炉辺 一束の薪
誰か問わん 迷悟の跡
何ぞ知らん 名利の塵
夜雨 草庵の裡
双脚 等閑に伸ばす」

(私は一生身を立てようという気になれず
のほほんと天然のありのままの生き方だ
頭陀袋には米が三升
炉ばたには薪が一束
悟りだの迷いだの、そんな痕跡なぞどうでもよい
名声だの利益だの、そんな塵芥なぞ我れ関せずだ
雨ふる夜に苫のいおりのなかで
両の足をのんびりと伸ばす)

さ、今日もがんばりましょう。

次回配信日は、6月17日の予定です。

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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