「喋る猫」因幡堂 平等寺│ゆかし日本、猫めぐり#46

連載|2024.7.5
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。
第46回は、お寺時間をのんびり過ごすチョビとゴマ、2匹の猫のお話です。

 よく喋る猫である。

 しかも、腹の底からしっかり声を出すから、声量があり、息も長い。
「チョビ」。ご住職の大釜諦順(おおがまたいじゅん)さんが話しかけると、いや、話しかけなくても、そばにいるだけで「にゃあ〜あ〜あ〜」と、よく通る大きな声で何度も鳴く。

 何か喋っている。そう見えるチョビの姿から、長い年月、少しずつ築かれてきた、ご住職との揺るぎない信頼関係が伝わってきた。

 京都市下京区、烏丸通(からすまどおり)から少し入った路地の一角にある平等寺は、因幡堂(いなばどう)、もしくは、因幡薬師の名で親しまれている古刹。

 ご本尊の薬師如来立像は国指定の重要文化財で、古くから病を抱えた人たちの最後の拠り所として、信仰を集めてきた。近年は癌封じの仏様として知られている。

 境内は、もともと平安時代の貴族、橘行平(たちばなのゆきひら)の屋敷があった場所。

 実はこの行平は、天皇の命を受けて因幡国(現在の鳥取県)に赴いた際、夢に現れた異形の僧のお告げにしたがって当地の海中を探り、丈5尺(150cmあまり)ほどの薬師如来像を発見した人物とされている。その後、行平は当地に草堂を建て、薬師如来像を祀って帰京。だが、その尊像が行平を追って屋敷まで飛来したため、屋敷内にお堂を造り、尊像を祀ったことが因幡堂のはじまりという。長保5年(1003)のことである。

 現在も、国内外からの参詣客が後を絶たず、無病にかけた「六猫(むびょう)守」も人気とか。

 この日も何か願いごとがあるのか、長い時間真剣に拝んでいるスーツ姿の男性や、病が治癒した「お礼参り」と言っている女性もいた。

 チョビは、そんな境内のざわめきから距離を置くように、本堂の濡れ縁で寝そべっていた。

 巨大ななめくじ(!?)のごとき寝姿に、思わずクスリ。その後慎重に近寄った。

 実は、チョビの前にも、やはり濡れ縁で澄んだ目をしたハチワレ猫を見かけていた。

 だが、カメラを向けると警戒し、

本堂に逃げ込んでしまったのだ。

 ゴマという名のこの猫は、どうやらとても怖がりらしい。

 一方チョビは、カメラを向けても少しも動じず、ご住職が通りかかるのを寝ながら待ち伏せ。この「寝ながら待ち伏せ」は、猫という生き物の特技の一つだ。

 やがて、おまちかねのご住職が登場すると……、

即座に近寄ってスリスリ。「大好き!!」モードを全開で発散させている。

 そもそもチョビは地域猫。10年ほど前から姿を見せるようになり、不妊手術をして、いわゆる「さくらねこ」になった。当初はご飯をもらうときだけ、寺に立ち寄っていたという。

「当時は喧嘩っ早い性格でね。鳴きもしませんでした」とご住職。今のチョビからは想像できない姿だ。

 変化が現れたのは、3年ほどが経った頃。
「甘えた方が楽だと気がついたんでしょう」
 最初は爪を出したままの攻撃的な猫パンチも、いつしか爪を出さない優しいタッチに変わっていた。

 今では、ご住職の後をついて回る日々を送っている。
 この日も、用事を済ませたご住職が再び境内に姿を見せると、すぐにすり寄って、

話が終わるまで、そばで待機。

「チョビは本堂の屋根に登った唯一の猫なんですよ」
 自分が話題になっていることがわかるのか、時折合いの手のように、「にゃあ〜あ〜あ〜」と大きく鳴く。

 本堂に入るときもいそいそとついてきて、

八の字を描きながら、足下にスリスリ。

 それからやっぱり、「にゃあ〜あ〜あ〜」と立派な声で鳴く。

 ホントにご住職が好きなんだね。

「夕方、境内の後片づけをするときもついてきますよ」
 聞けば、閉門時間の夕方5時前後、ご住職が境内にあるお堂それぞれの片付けをするときにチョビも同行するという。今回は寺のご好意により、閉門後にその様子を見せていただいた。

 こぢんまりとした広さの境内には、本堂を囲むように、十一面観音菩薩や弘法大師の像などを祀る観音堂、

さらに地蔵堂や、ご本尊をお護りするために後白河院の院宣(いんぜん=上皇または法皇の命令を受けて出される公文書)によって勧請されたという、畿内十九所の神々を祀る社などが並んでいる。一時は皇室の勅願所ともなり、歴代天皇から篤い信仰を得ていた因幡堂は、平等寺という寺名も、承安元年(1171)に高倉天皇によって命名されたという。

 さて、夕方。再び本堂のそばに行ってみると……、

2匹が仲良く入り口付近を陣取って、ご住職を「寝ながら待ち伏せ」していた。
 怖がりのゴマもすっかりくつろいで、

カメラを向けても逃げなくなった。

 日中の賑わいが去り、落ち着きを取り戻した境内で、ご住職がお堂を一つひとつ巡りながら片付けをし、拝んでいく。

 すると……、

チョビが現れた。
 尻尾をピンと立てて、ご住職の後をついていく。

 毎日繰り返される、チョビとご住職の大切な時間。1日の終わりのほどけた空気が、境内を穏やかに包んでいる。

 いつしかゴマも姿を見せ、つかず離れずご住職のそばにいた。

 今日はありがとう。
 話しかけると、チョビはやっぱり「にゃあ〜あ〜あ〜」と鳴いた。

 少しは気持ちが伝わったかな?
 このままずっと、幸せにね。

因幡堂 平等寺
〒600-8415 京都市下京区因幡堂町728 
電話 075-351-7724
開門時間 6時〜17時(ただしご祈禱、納経などの対応は16時まで)
https://inabado.jp/

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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