山崎佳代子『ダダと詩人たち』 序章

連載|2023.9.1

まず、はじめに

 20世紀初頭にヨーロッパで生まれたアバンギャルド芸術運動は、これまでの芸術の定義を書き換えて、新しい美学をもたらした。未来主義、表現主義、ダダイズム、シュールレアリズムなどの前衛運動がヨーロッパの各都市に起こったが、それぞれの潮流に共通するのは、「否定」の詩学、あるいは破壊、抵抗の美学である。国家や政府などあらゆる権威、学校や教会をも含むあらゆる公共機関、すべての伝統、市民道徳を否定して破壊する。アバンギャルドの詩人たちは、ソネットなどの古典的な詩形式を否定し、自由詩の探求を始めた。若き詩人たちは、従来の均整のとれた詩形式では、混沌として暴力と欺瞞に満ちた20世紀初頭の「世界」を描き出すことは不可能だ、と感じたのだ。
 なかでもダダイズムは、あらゆるものの否定、最後には「意味」の否定さえも唱えたラジカルな運動だった。ダダを生み出したのは、第一次世界大戦である。人類に貢献するはずの文明は殺傷能力の高い武器を生み、大量殺戮が繰り返され、国境が乱暴に書き換えられていくなかで、文明の進歩とは何であったのか、悲劇的な情景を目の前に、詩人たちは自問するほかなかった。それは禅にも通じる「無」の問題へと繋がっていく。原子爆弾が生まれる前のことだ。
 第一次世界大戦は、ヨーロッパの辺境、バルカン半島のセルビアにも深い傷跡を残した。セルビア現代文学を代表する若き日のミロシュ・ツルニャンスキー(Милош Црњански, 1893-1977)は、最も悲惨だと言われたガリツィア戦線に送られて負傷、ユーゴスラビアのノーベル賞作家イボ・アンドリッチ(Ivo Andrić, 1892-1975)も祖国をオースリア帝国から解放しようと、「青年ボスニア党」に参加したため、オーストリア帝国管轄下のマリボル刑務所に投獄されている。二人は過酷な戦争体験を糧として、ドイツ表現主義の影響を多分に受け、重要な詩集を残す。ツルニャンスキーの『イタカの抒情』(Лирика Итаке, Београд, 1919) 、アンドリッチの散文詩集『エクス・ポント(黒海より)』 (Ex Ponto, Zagreb, 1918)と『不安』(Nemiri, Zagreb, 1920) である。いずれもセルビア・クロアチア語の自由詩を完成させることになった詩集だ。自由詩は戦火から芽生え、セルビア・クロアチア語圏の詩的表現を変え、詩に豊穣をもたらしたのだった。
 アバンギャルド詩の振動が日本に伝わり、前衛詩人が創作を始めるのは1920年頃からである。イタリア、ロシアの未来派、ダダイズム、表現主義、構成派などが日本に移入され、若き詩人たちは、これまでの詩歌の定義そのものを否定する作品を生み出す。1921年12月には、平戸廉吉がリーフレット「日本未来派宣言運動 東京=平戸廉吉」を日比谷街頭で撒布している。第一次世界大戦は、日本にとっては遠い世界の出来事だった。大戦は日本に軍需景気をもたらし、都市化が進んだ。だが大戦の終結は、社会的な混乱をもたらす。軍需景気の終焉は、産業と経済に打撃を与え、労働者の権利の問題など社会問題を生み、都市に流れ込んだ人間を不安で孤独な存在とした。さらに1923年の関東大震災は首都圏を物理的に破壊し、伝統的な情景を一度に消去し、無数の犠牲者を出した。ヨーロッパに前衛芸術を生んだ、瓦礫の情景が東京にも生まれたのだ。明治から大正にかけて、キリスト教、社会主義、アナーキズム、共産主義など、様々な思想が次々に日本に広がった後、震災の混乱を機に国家はしだいに言論統制を強めていく。大正デモクラシーと呼ばれた比較的に自由な時代に終止符が打たれ、日本は徐々に戦争に向かいはじめる……。日本のアバンギャルド運動は、激動する1920年代の社会と連動していた。
 アバンギャルド詩運動の母体として生まれたリトルマガジンには、アナーキズム的な要素の強い『赤と黒』、表現主義、ダダなどの要素が混ざり合い総合芸術を目指した『MAVO(マヴォ)』があり、アバンギャルドの詩学を紡ぎ出し、詩そのものの概念を変えていく。平戸廉吉の未来派の詩、高橋新吉のダダ詩、それに誘発されノートに書きつけられた中原中也のダダ詩、表現主義やダダの要素が混在する萩原恭次郎の詩が生まれる。
 とりわけ恭次郎の詩集『死刑宣告』(1925)は、際立っている。世界で軍需産業が肥大化し、大国の情報合戦や工作活動が広がる今日、背筋の寒くなるようなリアリティーをもって読む人の心を揺さぶる。千葉宣一は、「現代詩の疾風怒濤時代を予告する詩的エネルギーの溶鉱炉」だと評した(千葉1978: 136)。明確なコンセプションに基づき、斬新なアバンギャルド美術作品を挿入した総合芸術表現は、熱いエネルギーを放出する。不正義、偽善をあざ笑う、ヒステリックな叫びが聞こえる。伝統的な五音七音の基音は消滅し、文末表現から文語表現は消滅して、言語は新しい。恭次郎の詩は、産業社会がもたらす矛盾、悲惨、人間の内面に持ち込む闇を描き、新しい「世界観」を提示している。日本の口語自由詩は、萩原朔太郎の『月に吠える』と高村光太郎『道程』によって完成されたと言われる。だが恭次郎の『死刑宣告』は、口語自由詩を急速に現代詩へ近づけたのではないか。さらに新吉のダダ詩、初期の中也のダダ詩を読みなおすと、戦後のポスト・モダンの詩との繋がりがはっきりと見えてくるのではないか。
 これから、ダダに接点のあった恭次郎、新吉、中也の前衛詩を読み解き、世界観としての詩、詩精神、詩形式について、考えてみたいと思う。東京から遥か遠く、ベオグラードの町から……。

 私と前衛詩の出会いは世紀末、つまり1990年代初頭に遡る。ベオグラード大学文学部で、博士論文"Razvoj japanske avangardne poezije 1920-ih godina u poređenju sa srpskom"(「1920年代における日本前衛詩の発展: セルビア文学との比較考察」)を書き始めたのは1991年のことだ。ユーゴスラビアの内戦が始まり、東欧圏で最も自由で物質的にも豊かだったはずの多民族国家が解体し、じきに国連の経済・文化・交通・スポーツ制裁が始まった。ユーゴスラビアの商業、産業、金融、通信のネットワークは破壊され、移動の自由が極度にはばまれ、国際文学祭やシンポジウムには外国からの参加者がほとんど見られない時代が到来した。日本の大学からベオグラード大学に送られていた数々の学術雑誌も届かなくなった。大企業が次々に倒産し、優良銀行も倒産して、街に失業者があふれた。首都ベオグラードには、戦火を逃れて難民となった人々がやってきた。戦争という暴力の時代を背景に、奇しくも私はベオグラードで日本のアバンギャルド詩を読むことになった。

 論文の指導教官は、ロシア・フォルマリズムを中心とした文学理論の研究家であり、セルビア・アバンギャルド文学研究の権威だったノビツァ・ペトコビッチ教授だった。私が日本語からセルビア語に訳した日本の前衛詩を、テーマ、モティーフに分解して、集団の深層心理と結びつけ先生が読み解いていく。破壊された意味の向こうから、見えない世界が立ち上がる。「センテンスの切れ目と詩句の切れ目に注目なさい。切れ目が重なれば緊張が高まりリズムが生まれ、切れ目が異なれば旋律は緩やかだ」という教授の言葉は、私の詩の読み方を変えた。国が閉ざされても、国が消滅しても、戦争の中でもベオグラードで日本の詩を読むことはできる、と知ったのは、幸福だった。博士論文をもとに、セルビア語の研究書Japanska avangardna poezija: u poređenju sa srpskom ( Filip Višnjić, Beograd, 2004:『日本のアバンギャルド詩-セルビア文学と比較して』)がベオグラードで刊行されたのは2004年のこと。インターネットのない時代に、千葉宣一先生、剣持武彦先生、古俣裕介先生、長崎健先生、江頭彦三先生をはじめ、優れた研究者にお世話になった。いつか日本語で書き直さなくては、と思ううちに、長い歳月が流れていた。

 今日、世界に硝煙の臭いが拡散し、ハイブリッド戦争の名のもとに、携帯電話やインターネットを通して、言葉が乱暴に人々に配られていく。不安と恐怖と死と統制をもたらしたコロナ禍が収束しようとするころに、武装という言葉が堂々と地球を徘徊する。今、言葉の意味について、考え直したい、と私は思った。それは、けっして無駄ではないだろう、と。「アバンギャルド詩とは、言葉によって言葉では表せない世界を表現すること」。博士論文の最終章の原稿を書き終えた日に、ペトコビッチ教授がおっしゃった。この言葉に出会うために、日本から長い旅を続けて、私はアバンギャルド詩の森に迷いこんだのに違いない。
 そんなわけで、久しぶりにダダの森を彷徨しようと思う。そして、森へあなたを誘いたい。

山崎佳代子 (やまさき・かよこ)
詩人、翻訳家。1956年生まれ、静岡市に育つ。北海道大学文学部露文科卒業。サラエボ大学文学部、リュブリャナ民謡研究所留学を経て、1981年よりセルビア共和国ベオグラード市在住。ベオグラード大学文学部にて博士号取得(比較文学)。著書に『ドナウ、小さな水の旅 ベオグラード発』(左右社)、『パンと野いちご』(勁草書房)、『ベオグラード日誌』(書肆山田)、『戦争と子ども』(西田書店)、『そこから青い闇がささやき ベオグラード、戦争と言葉』(ちくま文庫)など、詩集に『黙然をりて』『みをはやみ』(書肆山田)、『海にいったらいい』(思潮社)など、翻訳書にダニロ・キシュ『若き日の哀しみ』『死者の百科事典』(創元ライブラリ)など。 

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