猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。
第25回は、寺務所を自由に出入りする、気ままな猫ちゃんをご紹介。
トンネルを抜けると、深山幽谷の世界が広がっていた。
愛媛県四国中央市にある遍照(へんじょう)院・仙龍寺。
四国八十八ヶ所霊場の総奥の院と言われるこの寺は、渓谷の上に建っている。
心洗われる水音を聞きながら、急坂を上ると、
趣ある本坊が現れた。
この寺を訪れるのは、約1年ぶり。
実は前回、寺務所で猫が寝ているのを発見! 普段は外に出ていることも多く、出たり入ったり自由に過ごしていると聞いた。かつて弘法大師空海が修行したという、この霊気あふれる境内を、猫と一緒に歩けたら……。そんな淡い期待を抱いての再訪だった。
だが……。
今日はいっこうに動く気配がない。
聞けば最近すっかり外に出なくなり、日がな一日寺務所で過ごしているという。もともと野良猫で、ご住職の家猫たちと反りが合わず、寺務所を拠点に自由に暮らしてきたというが、高齢で気弱になったのだろうか。外にいる雄猫を避けているのかも、という話も出た。
そんな猫の一番のお気に入りは、ご住職の膝の上。
「猫は生きるために最善のことをしているだけ」。その言葉に深く納得。
一方、本坊の一室にある本堂では、副住職による護摩焚きが始まった。
寺伝によれば、かつて空海は、この寺の岩窟に籠り、虫除けと厄除けを祈願して、21日間にわたり護摩の修行を行ったという。
以来、脈々と護摩壇は受け継がれ、現在は毎月28日に護摩焚きが行われている。
岩窟の奥に祀られているのは、空海が勧請したと伝わるこの地の鎮守、瀧沢大権現と不動明王。護摩焚きが行われる28日は、不動明王のご縁日に当たるという。
「明治の神仏分離まで、神様と仏様は、車の両輪のような存在でした」とご住職。
この寺のご本尊、弘法大師像は、護摩修行を終えた空海が、自身の姿を自ら彫ったと伝わり、「虫除け大師」「厄除け大師」と呼ばれている。
「昔はお百姓さんが種まきの前に、まず種をここへ持ってきて拝み、持ち帰ってそれを撒いていました。実ったら穂を刈って、感謝の気持ちでお供えするんです。今も自分の生業にしているものがよくできたら、それをお供えされています」
本来祈りとは、神様仏様に感謝して手を合わせる、そんな理屈抜きの行為なのだろう。
話している間に、猫は用を足しに出かけたよう。ご飯とトイレは、ご住職家族の住居スペースに置いてあるという。戻ってきたところを撮影、と思ったが、ときすでに遅し。
猫は駆け足で通り過ぎ、
一瞬のうちに寺務所に戻ってしまった。
気分を変え、境内を歩くことに。
山肌に沿うように、細い道が続き、
途中には窟(いわや)もあった。
戻ってくると、「さっきご飯を食べていたから、もうすぐ戻ってくるはず」との情報をキャッチ。早速カメラを構え、待機したが……。
猫が出てきたその瞬間、参拝客がにぎやかに入ってきて、
猫は一目散に寺務所へ。
そんな様子を見かねた職員の男性が、猫を抱っこして連れ出してくれた。
だが、もはや逃げるように、足早に去る。
どうやら嫌われてしまったよう。
これにて本日の撮影は終了か!?
大ピンチの事態に、家猫が登場した。
さらに、そのうちの1匹を、ご家族が誘い出しに成功。
普段、寺内に出たことがないという家猫は、「なぜここへ?」と、しばしキョトン。
やがて、はじめての冒険が始まった。
近づいては立ち止まり、ためらいながらまた近づく。そうやって少しずつ未知の世界へ。
最後はしっかりポーズを決めてくれた。
帰り際、再び寺務所に寄ってみた。
実はこの猫、寺務所に腰を据えるようになってほどなく、朝のお勤めのときにねずみをくわえて現れ、ご本尊の前に置いたことがあったとか。「これからお世話になります」。そんな気持ちでお供えしたのだろうか。
話を聞いていじらしくなり、猫にそっと触れてみた。
本当は、甘えん坊なんだね。
今日は追いかけ回して、ごめん。
やわらかな感触が、手に残った。
金光山(きんこうざん)遍照院 仙龍寺
〒799-0301 愛媛県四国中央市新宮町馬立1200
℡ (0896)72-2033
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。