「阿弥陀如来 ―浄土への憧れ―」 根津美術館

アート|2022.6.22
坂本裕子(アートライター)

死後の世界への希求が生み出した聖なる姿

東京・表参道の駅から歩いて10分ほど、閑静な南青山の一角にある根津美術館は、明治期に東武鉄道をはじめとする多くの鉄道敷設や再建事業に携わり、「鉄道王」といわれた初代根津嘉一郎が蒐集した日本・東洋の古美術のコレクションを擁する国内有数の私立美術館である。

実業家として知られる初代嘉一郎は文化にも造詣が深く、現在の武蔵大学および武蔵中学校・高等学校の創設者でもあり、「青山(せいざん)」の号を持つ近代数寄者としてもその名をとどろかせた人物で、彼の蒐集品はその質の高さと幅の広さを特徴とする。
 茶の湯にかかわるコレクションで知られる戦前の実業家は多いが、嘉一郎のそれは、中国青銅器から、仏像・仏画・経典などの仏教関連、近世までの書画、漆工、陶磁器、刀剣と刀装具まで多岐にわたり、いずれも一級品が揃うことで知られている。その旺盛な蒐集ぶりは、「豪快を極めた」と語り草になっているとか。

こうした初代嘉一郎のコレクションを、「衆と共に楽しむ」ことを願った彼の想いとともに現代に伝えるべく、二代嘉一郎が美術館として公開。その遺志は受け継がれ、2009年には、隈研吾の建築による大規模なリニューアル・オープンを果たしていまに至っている。
 同館では、この豊かなコレクションを活かし、都度さまざまなテーマや切り口からアプローチする細やかな企画で、作品の魅力を引き出している。
 それは、日本美術になじみのない人には入門のきっかけとして、ファンには優品をじっくり堪能できる機会として、贅沢な空間を提供してくれる。

現在の企画展のテーマは、「阿弥陀如来」。
 先述の通り、初代嘉一郎のコレクションには、仏教美術の優品が多数含まれている。
 無神論的思想の拡がりを憂いていた嘉一郎は、その晩年、仏教思想の継承のために無宗派寺院の建立を目指していたそうだ。なかでも阿弥陀如来にかかわる蒐集品は豊富で、これらの館蔵品を中心に、日本に広く浸透している阿弥陀信仰の歴史とその造形の変遷をたどる。

西方にある極楽浄土の教主として生あるものすべてを救う阿弥陀如来は、インドで「無限の寿命(無量寿)を持つ者」で、同時に「無限の光(無量光)を持つ者」とされる2つの梵音(サンスクリット)で表され、その音から中国で「阿弥陀」と漢字に写されて日本に伝わった。

会場では、その無量光を視覚化したかのごとく黄金色に輝く阿弥陀如来が、観音・勢至菩薩を脇侍として死者の魂を迎えに来る姿を描いた「来迎図」が阿弥陀如来の世界へと誘ってくれる。

阿弥陀三尊来迎図 日本・鎌倉時代 14世紀 根津美術館蔵
臨終を迎えた者の魂を極楽浄土へ誘うため、阿弥陀如来が、観音・勢至菩薩を従えて、雲に乗って降臨する姿。左斜めからの構図の来迎図は鎌倉時代以降、多く制作された。四方に光を放ち、金色に輝く三尊は、まさに極楽からのお迎えを感じさせる。会場ではまず、このきらびやかな来迎図が阿弥陀信仰への世界へと誘ってくれる。金色の衣も実は精緻に衣文が描き分けられているので、ぜひ近くで!

“阿弥陀さま”と呼ばれるように、現代でも身近な印象のあるこのほとけは、浄土信仰が隆盛する平安時代後期に、極楽浄土へと死者を導く救済の仏として、貴族たちに大いに信仰され、多くの表象が生み出された。

しかし、その信仰は仏教が伝来した飛鳥時代からすでにあり、奈良時代を通じて重視されていったことが、さまざまな寺院に遺された仏像や資料からうかがえる。

空海や最澄が日本に本格的にもたらした密教がさかんになる平安時代前期でも、信仰は変わらず、密教における金剛界五仏のうちの宝冠阿弥陀は、天台宗で常行三昧(じょうぎょうざんまい・念仏修行)の本尊として崇められ、そこから多くの祖師たちが輩出し、天台浄土教の母体となっていく。

左:菩薩立像 日本・平安時代 12世紀 根津美術館蔵
右:展示風景から
腰がくびれたゆったりとした細身の肢体の本像は、柔和な顔立ちとともに、平安時代後期に仏師・定朝が確立したとされる和様の作風を示し、整った造形から12世紀中頃の中央(近畿地方)での制作とみられている。その体勢から、阿弥陀三尊などの左脇侍だった可能性を指摘されている。
右:広弘明集 巻第十四(中尊寺経/清衡願経) 日本・平安時代 12世紀 植村和堂氏寄贈
左:阿弥陀如来像印仏(浄瑠璃寺印仏) 日本・平安時代 11~12世紀
ともに根津美術館蔵(展示から)
右は、奥州藤原氏の清衡が中尊寺に奉納した一切経の一巻。造寺や造仏、写経の奉納は、極楽浄土へ往生するための功徳のひとつとされ、平安の貴族や豪族たちは熱心に行った。金銀泥の阿弥陀三尊像の見返しに、1行ごとに金銀泥を入れ替えて書写された経典は多く遺されているが、一切経では他に類をみないのだそう。金色堂と並び、平泉の藤原氏の栄華を感じさせる。
左は、九体の阿弥陀如来坐像が並ぶ九体阿弥陀堂が、唯一の平安時代の遺構としても知られる名刹浄瑠璃寺の、中尊の像内に収められていた印仏の一葉。印仏とは字のごとく、仏のハンコ。今ならスタンプといえるだろうか。こちらは12体を一組とした版を捺し並べたもので、ヘタウマな感じの阿弥陀さまがずらりと並ぶさまは楽しげで、身近に感じられる。
左:重要文化財 金剛界八十一尊曼荼羅 日本・鎌倉時代 13世紀 根津美術館蔵
右:図像の解説パネル(展示から)
空海や最澄らが本格的に日本にもたらした密教では、大日如来を中心とした悟りの境地やその宇宙観を表す曼荼羅(まんだら)が多く制作された。特に日本特有の呼び方として、「金剛界」と「胎蔵界」のふたつをあわせた「両界曼荼羅」が知られるが、こちらは金剛界曼荼羅の中心部をなす成身会(じょうじんね)のみで一図としたもの。大日五尊の上部に、宝冠をいただく阿弥陀と脇侍の菩薩が描かれている。これは天台宗の修行の場である常行堂の本尊として祀られる姿に通じるのだそうだ。

そして比叡山の僧・源信が985年に『往生要集』を著し、極楽往生のためにはひたすら阿弥陀に祈り、念仏をとなえるしかない、と説き、日本の浄土教の基礎を築く。
 この信仰は、平安貴族たちにも広がり、極楽浄土への往生を願い、大規模な造寺や造仏が行われ、彼らの邸宅にも祈りのための絵画が多く作られ、祀られていく。
 ここには、釈迦入滅から二千年後にはその教えの力がなくなるとされた末法思想において、その年が1052年にあたると考えられたことも大きく関わっている。

この思想は、後世にも大きな影響を与え、鎌倉時代初期には、唐時代の僧・善導(ぜんどう)の浄土思想に触れてさらにこれを進化させた法然が浄土宗を興し、その弟子・親鸞が浄土真宗を開くにあたり、阿弥陀信仰は貴族・武士階級を超えて、庶民にも伝わり、全国へと波及していく。

左:往生要集と融通念仏縁起絵巻 巻下
右:重要美術品 融通念仏縁起絵巻 巻下 日本・南北朝時代 永徳3年(1383)根津美術館蔵(ともに展示から)
浄土信仰が拡まるきっかけとなった『往生要集』は、平安時代後期に源信が著したもの。以後、時代を超えて多くの写本や版本がつくられた。展示(左)は、江戸初期、元禄10年(1697)のもの(個人蔵)。
ひとりの往生が衆人の往生に通じると説く融通念仏宗を開いた天台宗の僧・良忍の事跡や念仏の功徳を描いた絵巻(右)は、原本は失われたが、勧進のための多くの写しが遺っている。こちらは勧進僧の良鎮による写し。画面はまさに死者のもとへ阿弥陀如来が来迎するシーン。

こうして、臨終の際に迎えに来る阿弥陀如来を描いた来迎図とともに、その阿弥陀がおわす極楽浄土の世界を描いた図像がさかんに制作されていく。
 金銀彩や鮮やかな絵具で描かれる荘厳できらびやかなイメージには、当時のひとびとの不安や救いへの切なる願いを感じることができるだろう。

左:当麻曼荼羅 日本・南北朝時代 14世紀 根津美術館蔵
右:同 部分
奈良県・当麻寺に伝わる、極楽浄土の様子を表した約4m四方の綴織りで、奈良または唐時代に遡るとされる曼荼羅は、浄土教の興隆とともに鎌倉時代以降、多くの写本が制作され、「当麻曼荼羅」として伝わっている。こちらもその一作で、観無量寿経が説く阿弥陀浄土を、金泥や鮮やかな絵具で表している。阿弥陀三尊を中心に、たくさんの菩薩の姿やみごとな楼閣、多彩な色を放つ宝樹がつくり出すきらびやかで豪華な世界は、同時に厳かで、仏教でいう「荘厳(しょうごん)」を体現している。ぜひ細部もじっくりと!
左:展示風景から
さまざまな阿弥陀さまが並ぶ空間は、お寺の堂内とはまた異なる荘厳さをたたえて……。
右:山越阿弥陀図 日本・南北朝時代 14世紀 栃木・現聲寺蔵(展示から)
山の向こうからのぞく巨大な阿弥陀仏の顔が真正面に描かれる、ちょっとギョッとする図もまた、臨終に際し、脇侍を従えて浄土へ導くためにやってきた来迎図のバリエーションで、鎌倉時代に多く作られた。顔の前で広げる手にやや傷みがみられるのは、死にゆく者の手綱として、そこに五色の糸が付けられていたことによるものと見られている。

鎌倉時代には、日本の神々と仏教との融合である神仏習合も進み、阿弥陀如来は、さまざまな神社で本地仏(神の本来の姿)として尊崇されていく。
 また、信濃(長野)の善光寺の本尊である阿弥陀三尊像への信仰が、この時期全国に拡がり、秘仏である本尊を模した仏像が各地で造像される。「善光寺式阿弥陀像」とよばれるこれらは、現在までに600件以上の作例が確認されているそうだ。
 熊野神宮の本地仏として現れる阿弥陀如来を描いた「熊野権現影向図」のような本地垂迹図や善光寺の阿弥陀信仰に関わる作品に、その拡がりと現代までの継承を感じる。

右:重要文化財 善光寺如来縁起絵(中幅) 日本・鎌倉時代 13~14世紀 根津美術館蔵
左:展示風景
「牛に牽かれて……」で知られる長野県・善光寺は、7世紀後半頃に起源を持つ古刹で、本尊の一光三尊阿弥陀如来は、百済から日本に伝来した日本最古の仏像とされる。平安時代後期に確立した善光寺信仰は、鎌倉時代に浄土信仰がさかんになると、急速に全国へと拡がったという。その縁起を三幅の画にしたもの。中幅には、“善光寺式阿弥陀三尊像”ともいわれる、観音・勢至菩薩を脇侍とした阿弥陀如来が大きく描かれている。今年はその御開帳の機会でもあり、併せて拝観したいところだ。
左:勢至菩薩立像 日本・鎌倉時代 13世紀 根津美術館蔵
右:展示風景
少し体をかしげ、両手を胸のところで上下に合わせた、美しくも愛らしい小さな勢至菩薩は、その方形の宝冠とともに、やはり“善光寺式”の特徴を示す。調査によって神奈川県立歴史博物館が所蔵する観音菩薩立像と対を成していることが確定し、中尊の阿弥陀如来像は所在不明ながら、両像が並んで展示されるのは、初めてとのこと。数世紀ぶりの再会の貴重な空間を楽しめる。

最後に、日本で阿弥陀信仰が普及していく鎌倉時代と同時期の朝鮮半島(高麗)における阿弥陀信仰の造形が紹介される。
 仏教を国教とした高麗では、仏教美術も全盛期を迎え、大量の仏像や仏画が制作される。
 なかでも、「高麗仏画」として知られるこの時代の仏画は、極彩色の精緻で華麗な作例が多く、朝鮮半島の仏教美術を代表するものとされる。
 最も多く現存するのが阿弥陀如来に関わる作例なのだそうで、本展では、名だたる優品を含め、高麗時代を通じてその表現の変遷が追える空間になっている。
 高麗仏画における阿弥陀如来の作例をこれほどに集め、概観できる機会はあまりない。
 日本における阿弥陀如来の表現との共通点や違いとともにそれぞれの美を堪能したい。

右手前:褐紙大方広仏華厳経 巻第十二 朝鮮・高麗時代 14世紀
右奥:紺紙銀字妙法蓮華経 第六巻 朝鮮・高麗時代 1353年 ともに根津美術館蔵(展示から)
左:部分拡大(展示から)
いずれも高麗時代の写経。高麗写経は紺紙に金銀泥を用いるものが多く、クヌギの実を煎じた染料で染めた褐紙のものは珍しいそうだ。紺紙の写経ともに、みっしりと描かれた金泥の細密画が圧巻だが、写された経の文字も大変美しい。状態もよく、魅せられる作品。
重要文化財 阿弥陀如来像 朝鮮・高麗時代 大徳10年・忠烈王32年(1306) 根津美術館蔵
精緻で華麗な画で知られる高麗仏画の優品。鮮やかな朱と緑の衣に、金泥で繊細な文様を描き込み、台座の意匠も美しく、当時の高麗宮廷画壇の高い技量を示す作品として知られているもの。元の都にいた忠烈王の、速やかな高麗への帰還を願って制作されたという、歴史的にも貴重な一作なのだそう。高麗王として即位後は、元に従って日本への進攻(元寇)に参加した王のエピソードとともに想いをはせてみたい。
阿弥陀三尊像 朝鮮・高麗時代 14世紀 根津美術館蔵
こちらも高麗仏画の優品のひとつ。色彩、金彩ともに「阿弥陀如来像」にも並ぶ優品だが、こちらで印象的なのは、脇侍の観音と勢至菩薩のヴェールの細やかな装飾と透ける白衣の表現。勢至菩薩が左手に持つ火焔宝珠は、本来ならば『華厳経』に依拠する脇侍の持仏とされるもので、天台浄土教の阿弥陀三尊像ながら、華厳思想が融合した図様であることを示すのだそう。日本ではみられない阿弥陀如来の胸の卍の金彩も特徴的だ。
高麗仏画の展示室から
翡翠のような美しい淡い青緑から「翡色(ひしょく)」と称される、高麗青磁の逸品とともに、 高麗仏画の画風の変遷をたどれる貴重な空間。高麗仏画展ではないところで、ここまでの数を観られる機会はあまりないので、オススメ!

同館では、企画展のほか、常設の展示室でも、季節やテーマに合わせた丁寧なミニ企画により、毎回異なるアプローチで所蔵品を紹介している。

展示室5では、「注文された舶来物」として、16世紀後半から17世紀前半、室町時代後期から桃山時代を経て江戸初期までに日本に輸入された「舶来物」の陶器が紹介される。

茶の湯が本格化し、千利休によりわび茶が完成されると、唐物とは異なる新しいタイプの茶道具が登場する。「南蛮」と称された陶器で、中国南部や東南アジアから香辛料や砂糖などの容器としてもたらされた器が、茶壺や水指に転用されていく。
 江戸時代に入ると、茶人たちは、積極的にそうした好みの器を海外に注文するようになる。中国からは古染付や祥瑞の水指や向付を、安南(ベトナム)や暹羅(タイ)からは水指や茶碗を、さらには遠くヨーロッパから、オランダの水指や向付まで。
 知られざる近世の茶器のワールドワイドな交流を楽しんでほしい。

阿蘭陀色絵煙草葉文水指 フランスまたはオランダ 17世紀 根津美術館蔵
オランダとの交易によって、薬などを入れていた壺などがもたらされ、やがてそれらを日本人は茶道具として個別に注文するようになる。こちらもヨーロッパでは薬壺として薬店に置かれていたものを水指として輸入したようだ。おおらかな唐草文が素朴な味わいを出すこうした色絵のほか、藍絵や白釉、青釉の水指もあり、現地では実用品としてそれほど注目されていなかったものが、日本の茶人たちには愛されたようだ。会場ではこうした多様なオランダ陶器が楽しめる。
展示室5 注文された舶来物(展示から)
カラフルなオランダ陶器のほか、ベトナムの素朴なやきものから、中国景徳鎮の染付の逸品まで、いかに豊かに世界のやきものが日本の茶の世界で愛されていたのかを感じられる。

展示室6では、茶人・青山にちなみ、年間を通じて季節の茶席とそのテーマに合わせた茶道具が紹介される。

6月のテーマは「雨中の茶会」。
 梅雨の季節、長雨と湿気で過ごしにくい気候も、茶の湯では取り合わせる道具の工夫で、季節を風情あふれるものにして楽しむ。
 長年の使用により雨漏りのような沁みがあらわれたことから名づけられた「雨漏茶碗」や、節の下にある小さな孔を梅雨の晴れ間に顔を出した星に見立てて銘された茶杓「五月雨」など、機知とセンスに富んだ茶道具が、空間をしっとりと彩りながらも、この季節のうっとうしさをしばし忘れさせる清涼な愉しみをもたらしてくれる。

展示室6 雨中の茶会 展示から
季節ごとに合わせた道具を配した茶席の情趣が、テーマに関連あるいは連想させる茶道具とともに紹介される空間。現在は、しっとりとした空気と、処々に配された茶目っ気あふれる作品たちが、梅雨の湿り気を楽しむ茶人たちの粋を感じさせてくれる。
茶杓 銘 五月雨 共筒 小堀遠州作 日本・江戸時代 17世紀 根津美術館蔵
江戸初期の大茶人・小堀遠州の手による茶杓には、切り止めより3㎝ほど上に小さな孔が空いている。これを五月雨(梅雨)の空の星に見立て、「星ひとつ見つけたる夜のうれしさハ/ 月にもまさるさみだれのそら」の歌銘を付したという。おそらくは虫喰いであろう小さな孔を、敢えて茶杓にそのまま活用し、梅雨の晴れ間の星に見立てるあたり、江戸人の風流と粋にうならされる。小さな、しかしみごとな一品。

離れのカフェ「NEZUCAFÉ」からは、同館のもうひとつの楽しみである庭園を望める。
 雨天に散策は少々困難かもしれないが、水を得て青々と息づく木々たちを眺めながらの一服もまた、充実したひとときを提供してくれるはず。


※展示・会場風景は特別な許可を得て撮影しています

展覧会概要

企画展「阿弥陀如来 ―浄土への憧れ―」 
根津美術館

オンラインでの日時予約制となっています。
新型コロナウイルス感染症の状況により会期、開館時間等が
変更になる場合がありますので、必ず事前に展覧会ホームページでご確認ください。

会  期:2022年5月28日(土)~7月3日(日)
開館時間:午前10時~午後5時(入館は閉館30分前まで)
休 館 日:月曜日
入 館 料:一般1300円、学生1000円、中学生以下無料
    ※障害者手帳提示者および同伴者は200円引き
問 合 せ:03-3400-2536

展覧会サイト https://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/

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