名品が集結! 蒔絵からたどる日本の美の系譜
木や紙の土台に、漆で絵を描き、金銀粉を蒔きつけて文様をあらわす「蒔絵」。
漆は、日本においては古く縄文時代から活用されてきたが、なかでもこの「蒔絵」の技法は、独自の発展を遂げ、日本の文化を彩ってきた。
神仏を荘厳する品々に、貴族の邸宅や生活を飾る調度品に、武士の権勢を示すものとして、そして庶民に拡がると豊かさや教養を示すものとして、多様な技術の向上や工夫を重ねながら、連綿と受け継がれ、現代にいたっている。
蒔絵の技術が整っていく平安時代から、伝統を踏襲しながら新しい時代を反映した現代の漆芸家の作品まで、名品を一堂に集めて蒔絵の全貌に迫る展覧会が、MOA美術館で始まった。
本展は、MOA美術館の開館40周年を記念するとともに、徳川美術館(愛知)、三井記念美術館(東京)の3館による共同開催である。
巡回展といいながら、それぞれの会場で展示される作品は、各美術館の特性を活かした異なる構成で、3会場を合わせると、国宝・重文の作品が70件以上も含まれる選りすぐりのセレクトで、まさに「大蒔絵展」のタイトルにふさわしい。
皮切りとなる同館だけでも、全期間(展示替えを含め6期)で、国宝16点、重文32点
を含む約120点の空前の内容だ。
ここには国宝「源氏物語絵巻」をはじめ、名筆と謳われる書を美しい料紙に記した古筆切、古刹に伝来してきた貴重な寺宝、時代を象徴する絵巻や屏風などの逸品も含まれる。
蒔絵の精巧な技術やその美を紹介するにとどまらず、日本の文化のなかで育まれ、生み出されてきた「美」が、どのように蒔絵に活かされ、表されてきたのか、同時にふたたび別の表象へと反映していったのかを感じられるのだ。
全8章の構成は、時代の変遷に蒔絵の発展と展開を追いつつ、文化の諸相にそれらを位置づけていく。
蒔絵装飾が定着する背景には、平安時代、宮廷を中心とする貴族文化の爛熟がもたらした日本的な美の規範の誕生がある。
それまで大陸(中国、朝鮮など)の文化の影響下から生まれていた表現は、日本の風土や生活を反映した国風化が進む。「和様」の成立である。
この和様から生まれた画や書が、同時に当時の調度品などのありようも伝える。
「第1章 源氏物語絵巻と王朝の美」では、国宝「源氏物語絵巻」を中心に、豪華な金銀で装飾された料紙で制作された美麗な絵巻や書の優品で、蒔絵を生む文化的な時代の空気を感じる。
通期で展示される同館所蔵の国宝の手鑑「翰墨城」は必見。
いわずと知れた現存最古の物語絵巻。このたび徳川美術館からの貴重な出品。こちらは帝と薫(女三宮と柏木との不義の子)が碁を打つ場面。室内の様子が調度とともに細やかに表されている。ふたりのいる部屋には火取香炉や泔坏(ゆするつき)などを載せた二階厨子や大床子(だいしょうじ)が、隣の部屋には琴や手箱、巻物などを載せた厨子棚が描かれる。これらには金銀で鳥や折枝、薄があしらわれており、蒔絵の品であったことがわかる。
「源氏物語絵巻 柏木一」とともに、金銀の素材を用いた美しい料紙にしたためられた流麗な書が、「和様」として展開してゆく「日本の美」の成立を伝える。 展示替え後は、田中親美による精巧な「源氏物語絵巻」の模写で、絵に描かれた蒔絵調度の姿を確認できる。
贅を凝らした蒔絵の調度は、貴族や武家の生活のなかで使用されるのみならず、神社の創建や造替、あるいは祈願の際に奉納するものとしても制作される。寺では、貴重な経典や仏具類を納める箱などにその聖性を表すため、蒔絵による装飾がほどこされた。
「第2章 神々と仏の荘厳」では、神社仏閣に伝来する蒔絵の作品に、聖なるものを荘厳する表象と技をみていく。
空海が唐から持ち帰った袈裟を納めるために造られた国宝「海賦蒔絵袈裟箱」(4~6期展示)や北条政子が三嶋大社に寄進したとされる国宝「梅蒔絵手箱」(4~6期展示)など、貴重な名品たちは、人びとの神仏への想いも伝えるだろう。
高野山金剛峰寺に伝わる櫃には、寺伝によると仏具類が収められていたそうだ。平塵地(黒漆地に不整形の金粉をまばらに蒔く)に、燕子花と沢瀉(おもだか)、岩に流水の風景が、舞い飛ぶ千鳥とともに、金と青金の研出蒔絵と螺鈿で華やかに表されている。浄土の姿を思わせるものとして平安貴族にも好まれた意匠であり、同時にその背景には『大日経』の影響が指摘されている。
花蝶蒔絵念珠箱 平安時代(12世紀) 和歌山・金剛峯寺(展示期間:4/1~4/20)
空海が唐の順宗皇帝より下賜されたと伝えられる念珠を納める小箱は、和紙と麻布を交互に貼り重ねて造られたものだそう。十二弁の花を象り、黒漆を重ねた地に蒔絵で可憐な花と蝶が表されている。今回の貴重な出品は、二連のガラスの念珠とともに楽しめる。
ここに描かれた海獣の姿が、「海賦蒔絵袈裟箱」(4~6期展示)に表されている。荒海に棲む巨大な海獣とされる「摩羯(マカラ)魚」は、古代インドの伝説上の空想魚が中国で神仙思想と融合して日本にもたらされたものなのだそうだ。仏教思想に基づくモティーフであるとともに、当時流行した意匠であったことが確認できる。
貴族社会から武家社会へと移行した鎌倉時代、それまでの研出蒔絵、平蒔絵に加えて、高蒔絵の技術が完成し、金粉の精製技術の発達により金地が生まれるなど、蒔絵の技術が出揃って、多様な表現が花開く。特に、大型で内容品も付属する手箱の名品が多く生み出された。
「第3章 鎌倉の手箱」では、手箱の数々で、鎌倉期の蒔絵の多様な表現を楽しむ。
平安時代からの有職文様をあしらったもの、中国の理想郷を表したもの、和歌などに詠まれる季節の風景を表したものなど、技術とともに多彩な意匠にも注目。
東京・サントリー美術館蔵 展示期間:4/1~4/20
金色に輝く箱は、金粉を密に蒔いた沃懸地(いかけじ)。そこに有職文様のひとつである浮線綾が螺鈿で配される。浮線綾は、それぞれ4種類13個のパーツが組み合わされており、精緻な文様は卓越した技術と膨大な労力から生み出された。江戸時代、下総国古河藩主土井家が所蔵していたことがわかっており、その後、実業家で茶人の原三渓を経て、サントリー美術館に収まったもの。
貴族文化と武家文化の融合が図られた室町時代には、庶民から拡がった御伽草子や能、狂言などの文学が支配者層にも受容され、文学的意匠が蒔絵にも用いられるようになる。
同時に、仏教では武家に支持された禅宗が台頭、そこから「わび・さび」の表現も生み出されていく。
蒔絵の技法もさまざまな手法を組み合わせてさらに高度化する。
「第4章 東山文化―蒔絵と文学意匠」では、足利義政を中心に興った東山文化に、文学的な要素や“冷え枯れ”といわれる豪華ながら渋い意匠を読みとる。
硯箱の名品とともに、室町期に造られた能面も展示される趣向が嬉しい。
室町時代、東山文化の中で生み出された硯箱が並ぶ。和漢の混交と、茶の湯や能の成立を背景に、蒔絵にも、和歌や説話などの文学的な意匠と、“わび・さび”のエッセンスが活かされていく。蒔絵の技法も出揃い、凝った造りにも注目!
戦国期、各地で台頭した戦国大名は、自らの権勢を誇って城や広大な屋敷を建て、その内部を飾るために障壁画やさまざまな調度品も発注する。その造形には、彼らの好みを反映した豪放な表現が求められた。
その嗜好に合う簡易的に蒔絵をほどこす高台寺蒔絵が流行し、秋草や桐などを大胆にデザインしたものが生み出される。
また、オランダ人を中心としたヨーロッパとの交易を受け、輸出用の蒔絵作品も多く生産された。
「第5章 桃山期の蒔絵―黄金と南蛮」では、全国覇者として名を残した豊臣秀吉の所用とされる高台寺蒔絵の名品や、輸出品のため国内にはほとんど残っていない「南蛮文化」を反映した作品をみていく。
現代にも通じるモダンさも感じさせる高台寺蒔絵や、螺鈿も多用された南蛮漆器のキッチュなデザインなどが、当時の風俗を描いた屏風絵とともに、新たな時代の到来を感じさせる。
右:同部分
豊臣秀吉と正室祢(ね/ねね)の菩提寺、京都・高台寺に伝来するこの歌書箪笥は、いわゆる“高台寺蒔絵”の代表作とされる名品。十口の引き出しには、菊、萩、薄などの秋草がそれぞれに描かれ、各引き出しの側面までにもあしらわれているという凝りようだ。シンプルな平蒔絵に絵梨子地や針描(蒔絵粉が固まらないうちに引っ掻いて線を表す)などを組み合わせた意匠は、桃山期の大胆でおおらかな気風のなかに、繊細な美を添える。
秀吉が後陽成天皇に献上したとされる硯箱は、仁和寺に伝来するもの。梨子地の箱の蓋表には金の金貝で日輪を、蓋裏には銀の金貝で下弦の月を大胆に配し、それぞれに金銀の切金で雲を添える。身の側面と見込には三つ爪の龍が配され、蓋をしても側面の龍は見えるように蓋にもあしらわれている。まさに天皇に贈るにふさわしい意匠の一品。
江戸時代に入ると、徳川幕府を中心とした支配制度のなかで、各地の大名が蒔絵を求めるようになる。同時に平和な社会には商人が台頭、富裕層を中心に庶民にも受容が拡がっていく。
大名たちの間では、伝統的な技法を踏襲した贅沢な作品が彼らの威光と教養を示すものとして作られ、庶民からは、財力を誇示しつつ機知に富んだ自由な意匠が好まれて、本阿弥光悦や尾形光琳らが斬新なデザインを考案し、人気を博していく。
「第6章 江戸蒔絵の諸相」では、徳川将軍家の発注による豪華絢爛の極み、国宝「初音蒔絵婚礼調度」から、琳派に連なる作品で、為政者から庶民まで、広く愛好されていく江戸蒔絵の姿を追う。
ため息しか出ない「初音の調度」もやはり今回徳川美術館からの嬉しい出品。鉛や貝といった異素材も使用した洒脱な琳派の硯箱との対比は、その楽しさと同時に、いずれも文学的なエッセンスが込められていることにも注目したい。
展示期間:4/1~4/20
こちらも「源氏物語絵巻」とならび徳川美術館が誇る、江戸時代最高峰の蒔絵調度の一部。徳川三代将軍家光の長女・千代姫の尾張徳川家への嫁入りに整えられた婚礼調度は、全部で70件にもおよぶ。このうち、「初音の調度」は、『源氏物語』の「初音」の帖を題材として意匠化したもの。数だけではなく、そこに込められた文学的素養、当時の蒔絵の素材、技法すべてが集結した、ゴージャスこの上ない圧倒的な調度品。このとき、千代姫わずか3歳(!)。千代姫誕生の年に注文され、2年半を費やして制作されたそうだ……。
本阿弥光悦の影響下に造られたものを指す「光悦蒔絵」の特徴を色濃く持つ硯箱。蓋をこんもりと山形にした造りと、鉛や貝などの素材を大胆に用いた意匠が斬新で、新時代の蒔絵の息吹を感じさせる。同時に琳派のデザインには、文学や歴史などの文化的素養が遊び心とともに込められている。ここでは、謡曲「志賀」に取材した大伴黒主を、山路をゆく樵夫(きこり)の姿に表す。
こうして受け継がれてきた蒔絵の技と表象は、明治期の近代化を迎えた日本にとっては、世界に文化の高さを示す重要な要素として活用されていく。
日本の「美術」としてデビューした蒔絵は、改めて伝統的な技法が見直され、時代に即した表現を加味しながら、漆芸師の名とともに「工芸」として世界に認知されて現代にいたる。
「第7章 近代の蒔絵―伝統様式」と「第8章 現代の蒔絵―人間国宝」では、近代に活躍し、その伝統をいまにつなげた蒔絵師たちの作品と、それらを現代的な感覚とともにみごとな作品に昇華させている無形文化財保持者(人間国宝)の代表作で、未来へと拓かれる蒔絵の可能性を感じる。
蒔絵八角菓子器 白山松哉作 明治44年(1911) 静岡・MOA美術館蔵 通期展示
明治期に蒔絵の技法を極め、起立工商会社を経て、東京美術学校教授、帝室技芸員として近代の蒔絵を支えた松哉(しょうさい)の代表作。八角形、五段重ねのそれぞれの面には、色、素材、技法の異なる蒔絵をあしらい、その精緻な美しさとともに蒔絵技法の見本のような作品。ぜひ360度から堪能あれ!
右:会場展示から
昭和30年に人間国宝に指定された松田は、仏壇職人であった兄から蒔絵の技術を学び、その後、上京して東京美術学校で六角紫水に師事した。昭和2年からは同校の助教授として後進を育てつつ、欧州各国に出張、日本工芸会創立に際しては、理事長に就任し、自作の創作とともに、昭和期の日本の漆芸を牽引した。こちらは彼の代表作。薄の間を飛ぶ赤とんぼの秋の意匠は、風にそよぐ金の薄の穂の揺らぎやとんぼの螺鈿の羽の震えまでも感じさせる。
そもそも「美術」とは、明治期に近代西洋から入ってきた概念だ。「絵画」や「彫刻」「工芸」というジャンルもしかり。
江戸以前の日本では、季節や儀礼とともに、生活のなかで使用されるものに「美」を追求してきた。それらは、互いに呼応し、融合して、生活を、感性を彩ってきたのだ。
そこにジャンルという区別は存在しなかった。
生活に美を求めた日本人が、「漆」と「金」で紡いできた千年の歴史。
精緻できらびやかな蒔絵の空間は、いま、「美術」ならぬ、この「日本の美」の在り方を改めて提示する。
3館ともに制覇したい展覧会だ。
展覧会概要
MOA美術館開館40周年記念特別展
『大蒔絵展 ―漆と金の千年物語』 MOA美術館
新型コロナウイルス感染症の状況により会期、開館時間等が
変更になる場合がありますので、必ず事前に展覧会ホームページでご確認ください。
各期の展示作品リストも美術館サイトで確認できます。
会 期:2022年4月1日(金)~5月8日(日)
開館時間:9:30‐16:30(入館は閉館の30分前まで)
休 館 日:木曜日 ただし5/5は開館
入 館 料:一般1,600円、高大生1,000円(要学生証提示)、中学生以下無料
65歳以上1,400円(要身分証明提示)
障がい者手帳提示者と付添者1名は半額
問 合 せ:0557-84-2511
美術館サイト http://www.moaart.or.jp
展覧会サイト https://maki-e.exhibit.jp
巡回:三井記念美術館 10月1日(土)~11月13日(日)
徳川美術館 2023年春