伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?
第12回 お気に入りのバター型
談=堀内花子
家には父の思い出の品がたくさん残っています。ですが、本人もときどき言っていたように、けして収集家ではありませんでした。蚤の市や旅先で土産物屋をのぞくのが好きでしたし、画集や仕事のための資料はしっかり集めていました。だからいつのまにかものが増えていったのだと思います。
そんな中で、このバター型はとても気に入っていました。1975年11月15日付の石井桃子さん宛のアエログラム(航空書簡)に、瀬田貞二さんと蚤の市に行った際に買ったと報告しています。久しぶりに戦利品を持ち帰ったように喜ぶ父を覚えています。本当はもっとほしいものがあったのだけれど手が出なかったと言っていました。
この年、「おもちゃ絵展」の開催に合わせてフランスに見えた瀬田さんを父はあちこち案内していました。錫のカップも、この時ベルナール・ベローさんの案内でパリの下町ベルヴィルの鋳物工房を瀬田さんと訪ねて親方から直々に頂いたらしいです。使うことはなかったのですが、ずっと我が家のどこかに飾られていました。父は暮しの中で息づくものや、職人の仕事には興味があったと思います。
堀内家の棚には人形や石、灰皿や瓶など、古いものがいくつも並んでいます。木製でちょっと無骨なこのバターの型もその一つ。真ん中の部分にバターを入れ、冷やし固めてから、左右の型枠を外し成形する道具ですが、使い込まれた感じがいい風合いです。花子さんが回想されている石井桃子さんへの書簡には、水彩で描いたバター型の絵を添えて、「油がしみていい光沢になっていて置物になります」と綴っています。
翌1976年の「装苑」3月号掲載の《パリの手紙》でも堀内さんは、このバターの型を紹介しています。「モノ集める趣味なんかない、でもしぜんとタマってくる」とうたったコーナーで、このバター型をはじめ、カラスの顔のついたドイツの指人形、ミッキーマウスの懐中時計などそれまで堀内さんが、縁があって買ってきたものがイラストとともに紹介されています。その中に錫のカップの姿もありました。「ベルヴィルの親方からゆずってもらった」とあり、持ち手は「イルカの形」とあります。よく見ると確かにそんな形をしています。
バター型も錫のカップも「置物」としてどちらも堀内家の棚の上を飾っていました。バター型は日本で見ることのないフランスならではの道具で、堀内さんにとっても驚きや発見があったのではないでしょうか。けして収集家ではなかったという堀内さん。そうやって見ると堀内家に今も並ぶ品々はどれも、どこか人々の暮らしや時代の痕跡を感じさせてくれるモノばかりです。
(文=林綾野)
次回配信日は、3月15日です。
・ここで触れた書籍・雑誌
《パリからの手紙》 堀内誠一 1981年 日本エディタースクール出版
《堀内誠一 発 パリの手紙》 堀内誠一 「装苑」1976年3月号(文化出版局)
・堀内誠一さんの展覧会が開催されます。
「堀内誠一 絵の世界」展
<巡回会期情報>
「堀内誠一 絵の世界」
2022年3月19日(土)~7月25日(月) ベルナール・ビュフェ美術館 (静岡・長泉)
2022年7月30日(土)~9月25日(日) 県立神奈川近代文学館 (神奈川・横浜)
その後も各地を巡回する予定です。
堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。