「デイヴィッド・ホックニー展」 東京都現代美術館

アート|2023.9.12
坂本裕子(アートライター)

絵画表現の可能性を追い続けるホックニーの世界を堪能

 現代でもっとも革新的な画家のひとりとして知られるデイヴィッド・ホックニー(1937–)。

 イギリスに生まれ、ブリテイッシュ・ポップの影響を受けたホックニーは、アメリカのロサンゼルスに移住し、明るく平明な西海岸の情景を描いて脚光を浴びる。その後もとどまることなく表現を追求して、60年以上にわたり、絵画、ドローイング、版画、写真に舞台芸術まで、多彩な作品を発表し続けている。
 2017年には、生誕80年を記念した回顧展が、テート・ブリテン(イギリス)、ポンピドゥー・センター(フランス)、メトロポリタン美術館(アメリカ)を巡回し、記録的な来場者でその人気を示した。近年はiPadを使って巨大な作品を制作しており、86歳を迎えた現在もその旺盛な制作意欲は衰えをみせない。

 ホックニーの大規模な個展が、東京都現代美術館で開催中だ。日本での大規模な個展は、27年ぶりとのこと。
 その27年前の1996年、「デイヴィッド・ホックニー版画展」を開催したのも彼の作品を150点所蔵する同館だ。
 こうした美術館と作家との関係性が、 イギリス時代の制作からアメリカで名声を獲得して展開していった代表作の数々、近年の傑作〈春の到来〉シリーズの初来日に、コロナ禍のロックダウン中に制作されたiPadによる新作まで、世界初公開の作品も加えた120点以上が集結する、国内においては過去最大級の規模の本展を実現した。

 今もなお現代美術の第一線で活躍するホックニーの60年以上におよぶ画業を追える貴重な空間は、かつて彼の作品に衝撃を受けた世代には近年の大作が新たな感動を、iPadによる作品で彼を知る世代にはそのたゆまぬ創造の軌跡が鮮烈な驚きを与えてくれるかもしれない。

 会場は編年を基本に、それぞれの時期の制作を特徴づける8章、「春が来ることを忘れないで」「自由を求めて」「移りゆく光」「肖像画」「視野の広がり」「戸外制作」「春の到来、イースト・ヨークシャー」「ノルマンディーの12か月」で構成される。
 その特徴は、多様な創作の展開のなかに、引き継がれ、繰り返され、重ねられて、新しい表現へと昇華していく。同時に、彼のまなざしが常に身近な世界に注がれていること、そして「見る」ことをどのように「絵」にするかを追求し続ける結果であることを教えてくれるだろう。

 そこには、イギリスにおけるポップ・アートの影響のほか、パブロ・ピカソの作品との衝撃的な出会いがある。
 自身の表現を次々と変貌させ、多様なメディアを自在に扱ったこの20世紀の巨匠もまた、身近な存在や世界をいかに2次元に表すかを追求した画家だ。
 ピカソを最も敬愛するというホックニーは、「同じことを反復するのではなく新しいなにかを発見したい」と語る。
 その創作スタンスのもと、時代の新しい技術や素材を貪欲に取り込んで「見る」ことを突き詰めるホックニーの作品は、見る者にもその体験を歓びとともに提供する。

「デイヴッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 展示風景から ©David Hockney
「春が来ることを忘れないで」
2020年3月にオンライン上で公開された《No.118、2020年3月16日 「春の到来 ノルマンディー 2020年」より》(右)。未知の感染症による混乱と不安のなかから、ささやかながら生への希望を全世界にメッセージした。本展では、1969年に制作された《花瓶と花》とともに会場への導入となっている

 1959年にロンドンの王立美術学校に入学したホックニーは、戦後の反権威的な若者のカルチャーのなかで、アメリカ抽象表現主義や、リチャード・ハミルトン率いるイギリスのポップ・アートの影響を受ける。
 しかし特定の動向に与(くみ)することなく、自身の表現を切り拓こうとしたホックニーが主題としたのは、当時は違法とされていた同性愛を含む、自己の内面の告白だ。
 そして、1960年にテート・ギャラリーで開催されたピカソ展で、自在に画風を変えていく彼の創造性に衝撃を受けたホックニーは、変型カンヴァスやひとつの画面上に複数の表現様式、作風を合わせるなど、自由な試みで注目を集めていく。

「デイヴッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 展示風景から ©David Hockney
デイヴィッド・ホックニー《イリュージョニズム風のティー・ペインティング》1961年 テート
イギリスのポップ・アートなどの影響のなかで、ピカソの作品に衝撃を受けてから、ホックニーの創作はより自由に展開する。市販の紅茶のパッケージを再現した変型カンヴァスの作品に描かれる男性の裸体は、同性愛を含む自身の内面が象徴される。

 1964年、アメリカ、カリフォルニアに移住したホックニーは、西海岸の明るく開放的な環境で、澄んだ日射しのなかのプールの水面や芝生のスプリンクラーの水しぶきを描いていく。
 それは、大量消費大国の中産階級の豊かな生活の象徴であり、同時にあらゆるものが人工的である世界へのシニカルな視線を含みながら、絶えず動く水や空気、そこに反射し、影をつくる光の表現の追求であった。形なく、変化する光の推移を表現するために、版を重ねることができるリトグラフによる表現が選ばれ、ホックニーの画業のうちでも主要な手法となる版画作品の魅力的な数々が生まれる。

雲ひとつない晴れた日、青々とした芝生のスプリンクラーの水しぶきが描かれる。緻密ながら、平坦な表現とアクリル絵具の鮮やかさは、無人の風景に非現実的なシュールさをたたえる。

 この光や水の追求は、以後の彼の創作の重要なテーマのひとつとなっていく。
 2010年にiPadを入手したホックニーは、毎朝寝室の窓に差し込む陽光や窓辺のガラスの花瓶などをiPadで描くようになる。画面を照らすバックライトの効果は、画家に光の新たな表現の可能性を気づかせた。軽やかで素早い筆致のそれらは、アニメーション作品にも結実する。

 同時に、ホックニーは多くの肖像画も手がけている。いずれも家族や恋人、友人といった近しい人物たちで、温かく静かなまなざしが感じられる。
 1960年代末には、室内にふたりの人物を配する「ダブル・ポートレート」の制作を始め、ホックニーの肖像画の代表作となっていくが、あるとき、現実を目に見えるままに描こうとすればするほど、作品は迫真性から遠ざかっていくことに気づき、1970年代半ばころからは、彼らのありのままの姿を精緻に写し取ることで、絵画制作の原点への立ち返りを試みている。
 それは、最新作《2022年6月25日、(額に入った)花を見る》では、 ダブル・“セルフ”ポートレートとなって、彼がたどりついた肖像画の境地を伝える。
 リトグラフと、木炭、クレヨン、アクリルによる親しい人物の肖像画の展示は、1970年代から現代までを追える豪華なラインナップだ。世界に先駆けて初公開となる自画像にも注目!

「ダブル・ポートレート」制作のうちの一作。友人のデザイナーを彼らの自宅に描くが、背景は自宅のドローイングや写真から、人物はスタジオでポーズをとるふたりを描き、画面に組み合わせたという。窓から注ぐ光が室内および人物にもたらす効果を丁寧にとらえている。

 「目に見えるまま」への懐疑は、1980年代の画家に大きな転機をもたらした。
 西洋美術の伝統である一点透視図法の限界を感じたホックニーは、「見る」ことと、現実の空間を「絵画」という平面にどう再現するかのさまざまな実験を試みていく。
 その背景には、1973年に没したピカソの最晩年の版画を手がけた刷師と出会い、敬愛する画家との間接的な対話を通じてキュビスム的なモノの見方を再発見したことがあるという。また、このころより関わった舞台芸術の仕事から、鑑賞者がいる「作品空間」に意識を向けるようになったこともあるようだ。
 同じころ、聴力の低下も自覚し、それが視覚による時空の認識に影響を与えたともいう。また、非西欧圏の美術への関心も生まれ、中国の画巻の研究にも没頭したのもこの時期だ。

 こうした経験から、移動する複数の視点や鑑賞者の視点が画面に導入され、撮影点の異なる写真を貼り合わせる「フォト・コラージュ」や、多視点でひとつの風景を描く「ムーヴィング・フォーカス」シリーズなど、新たなホックニーの代表作が誕生した。
 さらにこの時期、事務用コピー機やファクスを活用した作品制作も特徴として挙げられる。その時の最新の技術を柔軟に導入していく姿も、2000年代のiPadでの制作を待つまでもなく、ホックニーの一貫したスタンスだ。

京都滞在中に撮影した100枚以上の写真から構成して貼り合わせたフォト・コラージュ。多視点でとらえたイメージの集積は、時間の経過をも含め、「見る」ことの追求のひとつとして、3年間ほど続けられた。下部に作家本人の足元も並べられ、身体の、視線の移動を暗示する
「デイヴッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 展示風景から ©David Hockney
デイヴィッド・ホックニー《スタジオにて、2017年12月》2017年 テート
不思議な立体感を持つ作品は、ハリウッドのスタジオで対象となるものを、少しずつ角度を変えて撮影し、その写真をコンピュータで解析、統合して3DCGにする「フォトグラメトリ」の技術を応用しているそうだ。会場では中央にある大きな画集の実物とともに展示されている

 1997年、ホックニーは、イギリスのヨークシャーで風景画の制作を始める。2004年には母親と姉の住んでいたイースト・ヨークシャーに拠点を移し、幼少期に慣れ親しんだ自然や風物をそのままに、カンヴァスを持ち出して自然光のなかで制作した。スタジオに戻ってからデジタル技術と組み合わされた作品は、迫力の巨大さで圧倒する。
 この自然をモチーフに、映像による作品も生まれている。《四季、ウォルドゲードの木々》は、春夏秋冬を視点の異なる9台のカメラで木立のトンネルを同時に撮影した映像をパネルに組んだもの。まさに「見る」ことと、それを受け止める「認識」の可能性を美しく視覚化して、見る者に問いかけてくる。

「デイヴッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 展示風景から ©David Hockney
デイヴィッド・ホックニー《ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作》2007年 テート
戸外で描いてきた複数のカンヴァスをスタジオでデジタル構成して50枚のパネルに表した風景は、画家の視覚を追う体験とともに、単なる写実ではない現実認識の世界を提示する。その大きさも圧巻

 2006年に取り組んだイースト・ヨークシャーの春の風景について、その移り変わるさまを単一の絵には表現しきれないと思い至ったホックニーは、2010年に「春の到来」を主題にしたシリーズを構想する。この年に入手したiPadの可能性もそれを後押しした。
 こうして生み出されたのが、大型の油彩画1点とiPad作品51点で構成される〈春の到来、イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年〉シリーズだ。
 鮮やかな色彩が輝く作品たちは、雨の湿気、萌え出る新緑の香り、柔らかい陽光の温かみを感じさせ、春の訪れと、それを描ける画家の歓びに満ちていて、幸せな空間となる。

巨大な油彩画は32枚のカンヴァスを組み合わせ、早春のイースト・ヨークシャーの森が表される。目の奥に残る形態や色彩をもとに、想像に任せて再構成したものという。画面中央から奥へと続く赤い一本道が、春の息吹に満ちた絵の世界へと見る者を誘い、画家の歓びに包まれるような気持ちになる。鮮やかな色彩対比は画家の視覚体験の感動を楽しく伝える。

 2019年からフランス、ノルマンディーに居を構えたホックニーは、自然の移ろいや「春の到来」の主題をさらに掘り下げていく。
 翌年、コロナウイルスの世界的蔓延によるロックダウンのなかで、自宅周辺の自然を真摯に見つめ続けた画家は、全長90mの大作《ノルマンディーの12か月 》を完成させる。
 写実ではなく、しかし緻密に、気負いなく描かれたこの作品は、不思議な現実感を持つ壮大な絵巻となって、見る者を招き入れ、「見る」から「体感する」経験を、ホックニーの感じた自然への、光への、絵画への愛と歓びとともに提供する。

 会場の最後に展示される《2021年6月10日-22日、池の睡蓮と鉢植えの花》は、6台のモニターにiPadで描かれた風景がアニメーションになって刻々と移り変わる。現代ならではの技術を旺盛に取り込んだ作品には、「見ること」を追求した先達クロード・モネへのオマージュが含まれているのかもしれない。(会場で!)

全長90ⅿにおよぶ近作は、日本初公開。タイトルの通り、ノルマンディーの1年が描かれて、見る者を包む。それは、まさにホックニーの視覚印象の世界に入り込んで歩いているような感覚になる。
「デイヴッド・ホックニー展」東京都現代美術館、2023年 展示風景から ©David Hockney
《ノルマンディーの12か月》(部分) 2020–21年 作家蔵
夢のような、物語のようなノルマンディーの四季を歩く体験は、同時に86歳を迎えた画家の旺盛な制作をも感じさせる

 自己の内面を見つめることから始まったホックニーのまなざしは、常に身近なものに寄り添い、真摯に向かい合ってきた。そしてその表現は、常に新たな可能性を求め、新しい技術や素材を取り込んで、革新し続けてきた。
 そこに横たわるのは、光の表現への尽きせぬ挑戦であり、「見る」ことの多様性を「絵画」にして認識のあり方を拡張する試みであり、さらには視覚が経験することと、それを表現することの歓びだ。
 だからこそ、会場を巡る者は、刺激され、覚醒をうながされ、なんだか幸せな気持ちになる。

 会場を出たとき、そこに拡がる世界が異なる輝きを持って見えてくるかもしれない。

展覧会概要

「デイヴィッド・ホックニー展」 東京都現代美術館

開催内容の変更や入場制限を行う場合がありますので、必ず事前に展覧会公式ホームページでご確認ください。

東京都現代美術館 企画展示室1F/3F
会  期: 2023年7月15日(土)~11月5日(日)
開場時間:10:00‐18:00
     ※入場は閉館の30分前まで
休 館 日:月曜日(ただし9/18、10/9は開館)9/19、10/10
観 覧 料:一般2,300円、大学生・65歳以上1,600円 中高生1,000円
    小学生以下無料
    身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・
    被爆者健康手帳持参者と付添者(2名まで)は無料
問 合 せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)

公式サイト https://www.mot-art-museum.jp/hockney

RELATED ARTICLE