三代歌川豊国画「御好三階に天幕を見る図」文久元年(1861)筆者蔵

藤澤茜の浮世絵クローズ・アップ

「絵解き・江戸のサブカルチャー」
第6回 蔦屋重三郎と歌麿・写楽

アート|2025.2.12
文・藤澤茜

蔦屋重三郎と江戸出版界

 江戸時代には、小説や浮世絵など多様な出版物が制作され、出版文化が花開きました。その文化を支えた要ともいえるのが、現代の出版社にあたる板元(版元)です。例えば浮世絵版画の場合、板元は企画の立案から絵師への依頼、彫師や摺師の選定、作品の販売までを行ないます。様々な才覚が求められた板元の中でも、多くの文化人や浮世絵師と交流を持ち、18世紀後半の江戸文化を盛り立てたのが、蔦屋重三郎(1750~97、耕書堂、俗称「蔦重」)です。
 蔦屋重三郎は、安永年間(1772~81)に江戸吉原大門外の五十間道に店を構えました。吉原細見(遊廓案内)の販売、遊女評判記『一目千本花すまひ』(北尾重政画、安永3年<1774>)の刊行など、吉原関係の出版がその出発点でした。天明3年(1783)には江戸の中心地、日本橋通油町に進出し、草双紙(大衆的な絵入りの小説)や浮世絵版画を扱う「地本問屋」として様々な作品に携ります。
 蔦重の活躍した1700年代後半は、ちょうど草双紙が人気を博し、狂歌(滑稽、洒脱、風刺を主旨とする短歌)が大流行するなど、新興都市であった江戸が文化的に成熟する時代を迎えていました。特に、「連」というグループを形成して活動した狂歌師たちとのつながりにより、蔦重は人脈や活動の幅を広げました。その活動がよくわかる作品をご紹介しましょう。著名な狂歌師の作品を集めた狂歌絵本『画本虫撰(えほんむしえらみ)』(天明8年<1788>刊)です。四方赤良(よものあから/大田南畝)、宿屋飯盛(やどやのめしもり/石川雅望)など、30名もの主要な狂歌師が名を連ねた豪華な顔ぶれに加え、当時、狂歌絵本の分野で活躍していた絵師、喜多川歌麿(1753?~1806)の筆も冴える、美しい仕上がりも魅力です。

『画本虫撰』喜多川歌麿画 狂歌絵本 天明8年(1789)シカゴ美術館蔵
全15図、1図に2名の狂歌とそれにちなんんだ虫や蛇などが描かれる。掲載図には、狂歌に合わせて蝶と蜻蛉(とんぼ)が細密な筆遣いで表現され、色鮮やかな植物との調和も美しい。歌麿の師匠である鳥山石燕が寄せた跋文には、歌麿は幼少のころに虫とたわむれ、細かな事を観察する子どもであったと述べられている。

歌麿の美人画にみる蔦重の戦略

 喜多川歌麿は、蔦屋重三郎が売り出した浮世絵師の一人でした。安永4年(1775)ごろから本格的に活動を始めた歌麿は、草双紙の挿絵などを介して蔦屋と関わり、天明元年(1781)ごろに蔦重のもとに身を寄せるなど、強い関係性がありました。
 浮世絵のジャンルの中で、歌麿が才を発揮したのは美人画でした。女性の顔立ちや表情にこだわった歌麿の作品には、従来の美人画にはない新たな試みがなされました。もともと、歌舞伎役者の個性を際立たせるために編み出された、人物の上半身をクローズアップして描く「大首絵」を美人画にも応用したのです。「婦女人相十品 ポッピンを吹く娘」は、美人大首絵の早い例として知られます。ガラス製のおもちゃを吹く若い娘の愛らしい表情に加え、細密な髪の毛の描写も見事な作品です。さらにこの絵には女性を美しく見せる工夫として、鉱物の雲母の粉末を用いて光沢を表現した「雲母(きら)摺り」もほどこされています。比較的安価であったという雲母を効果的に用いて、人目を引く作品を作り出したのです。
 実は、この美人大首絵や雲母摺りは、蔦屋重三郎によるアイディアだといわれており、板元と絵師が二人三脚で新しい作品を生み出したことがわかります。

喜多川歌麿画「婦女人相十品 ポッピンを吹く女」寛政3~4年(1791~92) 東京国立博物館蔵 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
若い娘から年配の女性まで、様々なタイプの女性を描く揃物の一。掲載図に描かれる女性は、当時としてはめずらしいガラス製のポッピンを持つことから、裕福な家の娘と考えられる。美しい市松模様の振袖がたなびき、躍動感を醸し出している。

魅力的な評判娘

 歌麿はほかにも様々な美人画を蔦屋から刊行しました。吉原の一日を描いた「青楼十二時」や遊女と銘酒を取り合わせた「名取酒六家選」などの揃物は、吉原をよく知る蔦屋ならではの作品と言えるでしょう。
 そしてもう一つ、蔦重が力を入れたのが、一般の女性のなかでその美貌が話題となった「評判娘」を描いた作品です。評判娘の浮世絵は1760年代にすでに鈴木春信が手掛けていますが、歌麿は評判娘を描く際に、ある工夫をしました。美人画ではめずらしく、女性たちの容貌を描き分けたのです。
 大首絵の形式で複数の人物を配する「江戸三美人」(寛政4~5年<1792~93>)には、芸者の富本豊雛、水茶屋で給仕をしていた難波屋おきた、高島おひさが描かれています。この3名は「三美人」として他の作品にも描かれており、特に、おきたとおひさはライバル関係として2名だけが取り上げられることも少なくありませんでした。おきた、おひさの容貌をじっくり比較すると、歌麿が顔立ちを描き分けていることが分かります。

喜多川歌麿画「江戸三美人」寛政4~5年(1792~93)東京国立博物館蔵 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
四季折々の風雅な眺めを表す「雪月花」に見立てられる評判娘。上から富本豊雛(団扇に「花」)、難波やおきた(団扇に「月」)、高島おひさ(団扇に「雪」)。おきた、おひさの容貌が描き分けられている。

 一番上に描かれた芸者の豊雛は誰もが納得する美女という様子ですが、中央のおきたはやや鷲鼻で凛とした雰囲気が漂い、おひさは小さめの眼、口が愛らしい顔立ちで描かれています。本図だけでなく、歌麿の複数の作品にも同じような特徴が確認できることが指摘されています(藤澤紫「浮世絵の美人 メディアとしての機能」『浮世絵芸術』155号 国際浮世絵学会 2008年1月)。こうした似顔絵の手法も役者絵では定着していましたが、理想的な女性像を表現することが多い美人画で似顔絵を取り入れたのは、おそらくはじめての試みです。その細やかな描写は、評判娘の人気をさらに高めたことでしょう。

黒雲母摺りの大首絵

 歌麿と同じく、蔦屋重三郎が売り出した浮世絵師として知られるのが、東洲斎写楽です。寛政6年(1794)、彗星のごとく現れた写楽は、28枚もの黒雲母摺りの大首絵でデビューします。しかし、その活動期間が約10ヶ月と短く、画系(流派や師匠)も不明であることから、写楽は「謎の絵師」とも言われます。当時の記録から、写楽は阿波(現徳島県)の能役者斎藤十郎兵衛だったという説が有力視されています。
 写楽の表現はデフォルメされているともいわれますが、歌舞伎役者の特徴をとらえた似顔絵として描かれています。その表現に注目すると、輪郭線や鼻筋、しわ、耳などが薄墨の細い線で表現されるのに対し、眉や目、口元は黒い太い線で描かれています。そのコントラストがはっきりしているため漫画のような表現にも見えますが、眉や目、口は歌舞伎役者が演技をする上で重要なパーツです。そこをはっきり特徴的に描くことで、役者の一瞬の演技を切り取ったような、独特の臨場感を生み出しているといえるでしょう。

東洲斎写楽画「市川鰕蔵の竹村定之進」寛政6年(1794)東京国立博物館蔵  ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
寛政6年5月江戸座上演「恋女房染分手綱」に取材。市川鰕蔵(五代目市川團十郎)はアーモンド形の目と高い鼻、大きな口元が特徴。この時54歳であった鰕蔵に、写楽は幾筋ものしわを描き込んでいる。写楽の作風は四期に分けられており、第一期の作品はすべてこの黒雲母摺りの役者大首絵となっている。

 また写楽は、一枚に2名の役者を配した大首絵も手掛けています。複数の人物を大首絵に仕立てた構図は、当時の役者絵でもめずらしい発想といえます。先に紹介した歌麿の「江戸三美人」などと共通することから、蔦屋重三郎のアイディアであった可能性が高いと思われます。2名の役者は脇役であることが多く、それぞれのファンが購入することを見込んで脇役の役者も積極的に描いたのでしょう。またこの図のように、やせ型とふくよかなど対称的な容姿の役者を組み合わせた作例が他にも確認され、遊び心が感じられます。

東洲斎写楽画「二代目瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木と中村万世の腰元若草」寛政6年(1794)東京国立博物館蔵 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
寛政6年5月江戸都挫上演「花菖蒲文禄曽我」に取材。大岸蔵人の妻を演じる打掛姿の二代目瀬川富三郎(右)は細面、大岸家の腰元を演じる中村万世(左)はぽっちゃりした容貌で、その対比もおもしろい。

 大首絵で華々しく登場した写楽ですが、デビューからほどなく、細判や間判という小さな判型の作品が増えることから、人気が失速した可能性が考えられます。あまりにリアルに役者を描き、それが受け入れられずに写楽の作品が刊行されなくなったともいわれますが、同時期の浮世絵や小説に写楽の作品を取り込んだものも確認でき、話題になっていたことは事実であろうと思います。

 蔦屋重三郎は、浮世絵の主要なテーマである美人画と役者絵に、新たな風を吹き込みました。実は蔦屋重三郎は寛政3年(1791)に山東京伝の洒落本を刊行した関係で身代半減の処罰を受けますが、その翌年ごろから歌麿の大首絵、さらに2年後には写楽の役者絵の売り出しました。雲母摺りの背景や、複数の人物を配した大首絵など、歌麿と写楽には共通する特徴があります。自らの活動再開を奮い立たせるように、浮世絵界で新たな試みを行なった蔦屋重三郎。その発想力は、現代の私たちにも作品を鑑賞する楽しさをもたらしています。
 次回は、歌舞伎における動物の表現(狐と猫)をテーマに、浮世絵を紹介します。

 次回配信日は、3月10日です。

【参考】藤澤茜「蔦屋が育てた人気絵師をひも解く 歌麿・写楽・北斎」(『歴史人』2025年2月号・特集「江戸の仕掛人 蔦屋重三郎の真実」ABCアーク 2025年1月)

藤澤茜(ふじさわ・あかね)
神奈川大学国際日本学部准教授。国際浮世絵学会常任理事。専門は江戸文化史、演劇史。著書に『浮世絵が創った江戸文化』(笠間書院 2013)、『歌舞伎江戸百景 浮世絵で読む芝居見物ことはじめ』(小学館 2022年)、編著書に『伝統芸能の教科書』(文学通信 2023年)など。

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