三代歌川豊国画「御好三階に天幕を見る図」文久元年(1861)筆者蔵

藤澤茜の浮世絵クローズ・アップ

「絵解き・江戸のサブカルチャー」
第5回 絵双六の楽しみ方

アート|2025.1.14
文・藤澤茜

正月らしい双六遊び

 新しい年を迎えましたが、皆さんは、どのようなお正月を過ごしたでしょうか。門松を立て、おせちやお雑煮をいただくなど、お正月は昔ながらの風習が根付いています。江戸時代の四季の風俗を記した『東都歳時記』(斎藤月岑著、天保9年<1838>刊)には、一月一日に若水を汲んで福茶を飲み、神棚にその年の神様を迎えるなどの記述があります。お正月ならではの子どもの遊びもありました。羽根つきや凧揚げ、かるた遊び・・そして双六もその一つです。
 双六には、盤上で白黒の駒を動かして遊ぶ盤双六と、「振出し」「上り」を定めて紙面に描かれたマスをたどる絵双六があります。絵双六は特に江戸時代後期に人気を集め、主に浮世絵師が作画を担当しました。多くのマスを描くために大きな画面が必要となる絵双六は、別々に摺った数枚の紙を貼り合わせる形で制作されました。子供向けの物語や遊びを描いたものはもちろん、東海道、江戸の名所や名物紹介、人気の小説や歌舞伎などテーマは多岐にわたり、大人も一緒に楽しむことができました。また女性の一生をたどる出世双六や、男女のお見合いを題材にしたものなど、まさに現代の「人生ゲーム」のような作品もありました。

役者絵のなかの絵双六

 絵双六が幅広い層の人気を集めていたことは、人形浄瑠璃(文楽)・歌舞伎の「恋女房染分手綱」(宝暦元年<1751>初演)の演出に取り入れられていることからも分かります。この芝居では、丹波国(現京都府・兵庫県)由留木(ゆるぎ)家の調姫(しらべひめ)が婚礼のための江戸出発を嫌がるところ、馬子の三吉が双六をして見せて、姫のご機嫌を直すという場面があります。

三代歌川豊国画「本田弥三左衛門・しらべひめ・乳人重ノ井・しねんじょ三吉」 安政元年(1854)5月江戸市村座上演「恋女房染分手綱」を題材にした役者絵。「道中双六の場」と称される場面を描く。馬子の三吉(左)が道中双六をして見せる様子を、調姫(右奥)が楽しそうに眺めている。

 三代歌川豊国の役者絵を見てみましょう。左の少年三吉と、眼鏡姿の由留木家の家臣、本田弥三左衛門が取り組んでいるのは、東海道五十三次(五十三か所の宿駅)を題材にした道中双六です。この場面で演奏される浄瑠璃に、「これこそ五十三次を、居ながら歩むひざ、膝栗毛」という詞があります。「膝栗毛」は、馬やかごなどに乗らず自らの足を馬替わりにして、徒歩で旅行することを指します。「実際に旅をすることなく、居ながらにして東海道五十三次の旅を楽しむことができるものだ」と歌われており、道中双六が旅の疑似体験ができるものとして親しまれたことがうかがえます。

道中双六にみる遊び方の工夫

 芝居にも登場する道中双六は、絵双六の定番ともいえるものでした。歌川重宣(二代歌川広重)の「東海道中風景双六」を例に詳しく見ていきましょう。

歌川重宣(二代歌川広重)画「東海道中風景双六」安政3年(1856) 47.0×68.0㎝ 東京都立中央図書館東京誌料文庫蔵
右下の「ふり出し(日本橋)」から出発し、中央の「上り(京都)」を目指す道中双六。上りには京都らしく公家の姿が描かれている。廻り双六は、さいころの目がちょうど合わないとゴールできない仕組みとなっている。この双六にも1~5の数字と、その場合の指示が記載されており「一つあまれば大津へかへる(帰る)」(略)「五つあまれば宮へかへる(帰る)」とある。京都から12も前の宮まで戻らされるなど、厳格なルールがあるのもおもしろい。
(拡大図)起点の日本橋は背後に富士山が配され、六郷の渡しで知られる川崎は舟渡しが描かれるなど、マスごとの情景を眺めるのも楽しい。戸塚などに記された「泊」のマークは、旅慣れていない人が一般的な旅程を知るきっかけにもなったのであろう。

 東海道は日本橋を起点に、五十三の宿場を経て京都にいたる海道です。道中双六の場合、右下に「ふり出し(スタート)」として日本橋が描かれ、時計回りに品川、川崎、神奈川、程ヶ谷、戸塚・・と宿場の順にそれぞれの風景が描かれ、螺旋状に続くマスの最後、中央の京都のマスが「上り(ゴール)」となる形式がとられます。こうした形式を「廻り双六」といいます。それぞれの宿場名の下に次の宿場までの距離が記載されており、実際に旅をする感覚を味わうことができます。この双六をよく見ると、五番目の宿場、戸塚の名前の上に「泊」と記されています(拡大図参照)。江戸から十里半(一里は約4km、十里半は約42km)といわれた戸塚は、東海道はじめての宿泊地として多くの人が宿をとりました。どの宿場でも宿泊は可能であり、旅人によってその行程も異なりますが、当時は宿泊地の大体の目安がありました。この双六には、同様のマークが小田原、沼津、江尻、金谷、浜松、御油、宮、坂ノ下にも確認できます。実はこの「泊」は、双六の遊び方とも連動しており、このマスにとまったら一度泊り、つまり「一回休み」ということになるのです。実際の旅と双六のルールがリンクしているのも、旅を疑似体験できるように考えられた工夫だったのでしょう。名所絵としての見ごたえもあり、それぞれのマスを眺めるだけで宿場ごとの風景を楽しむことができます。例えば、三島(現静岡県)は三島大社、宮(現愛知県)は熱田神宮の鳥居が描かれるなど、その地の著名なスポットを楽しむことができます。まさに、居ながらにして旅を満喫できたのが道中双六だったのです。

自由な発想がおもしろい飛び双六

 道中双六をはじめ、百人一首を題材にした作品などにしばしば見られる「廻り双六」以外にも、江戸時代には「飛び双六」という形式がありました。飛び双六は、それぞれのマスに「□(1から6までの数字)が出たら〇〇のマスに進む」など、さいころの目に合わせて移動するマスの指示があり、それに従って双六上を飛び回る形で「上り」を目指します。色々なマスを探しながら移動するため、廻り双六とは別の楽しみがあります。運が良ければ短時間で「上り」に到達することも可能ですが、それでは遊び足りない気もしますね。
 飛び双六の中でも、年初めにぜひ楽しみたい「年中行事双六」を紹介します。四季折々の年中行事を描いた初代歌川広重によるこの作品は、画面中央上部の、主人公のりりしい少年と家族を描いたマスが「ふり出し」であり「上り」を兼ねるという、趣向を凝らした構造となっています。「ふり出し」という記載の脇に「一 ゑほう(恵方参り) 二 同(恵方参り) 三 初卯(初卯詣) 四 同(初卯詣) 五 ひがん 六 同(ひがん)」と記され、さいころの目によって進む移動先が指示されています。恵方参りと初卯詣はこのマスのすぐ下で、恵方参りのマスには「四 はつ午 五 ひがん 六 初卯」との指示が書かれており、1、2、3の目だと、先に進めないということになります。恵方参りはその年の良い方角にある神社、仏閣に参詣すること、初卯詣は新年初の卯の日に江戸亀戸天神の妙義社にお参りすることを指し、通人たちが好んだといわれます。現代の私たちが初詣に行くのと同じですね。こうしたお正月の風習のほか、花見や川開き、七夕などの行事がたくさん盛り込まれたこの双六は、これからの一年を家族でつつがなく過ごしたいと感じさせるものだったのではないでしょうか。
 絵双六には、廻り双六、飛び双六の他にも、円形のものなどデザインや遊び方に工夫が凝らされた作品が多々あります。遊びにも手を抜かない、そんな作り手の心意気が感じられるのも、双六の魅力だと思います。
 以上、本年最初の回はいかがでしたでしょうか。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 次回は、2025年大河ドラマの主人公、蔦屋重三郎と浮世絵師たちをテーマに、作品を紹介します。

初代歌川広重画「年中行事双六」弘化(1845~48)頃 33.0×44.0㎝ 東京都立中央図書館加賀文庫蔵
タイトルの記載がないが、四季折々の年中行事を題材にした飛び双六で、「ふり出し」と「上り」が同じマスとなっている。そのマスの下には2つのマスを使って恵方参り、花見、隅田川の川開きが描かれており、これらが特に好まれた行事であったことがうかがえる。それぞれのマスに描かれた行事の一覧を最後に掲載したので、ご参照いただきたい。
(拡大図)中央上部(ふり出し・上り)のマスは「年礼」と記載され、年始の挨拶の盛装をする男児の様子が描かれている。右には年末の年の市、左には餅つき、下には初卯詣で・恵方参りなどお正月にちなんだ題材が選ばれている。

藤澤茜(ふじさわ・あかね)
神奈川大学国際日本学部准教授。国際浮世絵学会常任理事。専門は江戸文化史、演劇史。著書に『浮世絵が創った江戸文化』(笠間書院 2013)、『歌舞伎江戸百景 浮世絵で読む芝居見物ことはじめ』(小学館 2022年)、編著書に『伝統芸能の教科書』(文学通信 2023年)など。

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