江戸時代は出版文化が花開いた時代です。前回は『南総里見八犬伝』を例に、江戸時代のメディアミックスについて紹介しましたが、実は『伊勢物語』や『源氏物語』、『百人一首』などの古典文学も人気を集めていました。現代のように電子書籍や図書館などは存在しない時代ですが、さまざまな出版物が貸本屋を通じて広まり、多くの庶民たちが古典文学に親しむ素地が作られました。例えば五十四帖もある『源氏物語』のような長大な物語は、あらすじをまとめた梗概本や俗訳書(現代語訳)などによって一般に広まりました。挿絵を施したダイジェスト版は読みやすく、手軽に楽しむことができました。寺子屋での学びの対象でもあった『百人一首』の場合、さまざまな教科書が刊行されており、和歌の意味だけでなく歌人の逸話などが取り上げられることもありました。
この絵の季節はいつでしょうか?
平安時代を代表する女流歌人の一人、清少納言を題材にした浮世絵をみてみましょう。三代歌川豊国による「古今名婦伝 清少納言」は、長い詞書(説明文)があり、清少納言の逸話が紹介されています。一条天皇の皇后定子に仕えた清少納言が和歌に堪能であり、『枕草子』を著したことに加え、とある著名な逸話についても詳細に記されています。それは『枕草子』第229段に記された、中国の白居易(はくきょい)の漢詩「香炉峰(こうろほう)の雪は簾をかかげて看る」に関する逸話です。ある雪の日、白居易の漢詩をふまえて「香炉峰の雪はどうなのでしょう」と問いかけた定子に対し、清少納言は口頭で答えるのではなく、すぐさま簾を巻き上げて雪景色を見せたといいます。機転のよさが伝わるそのエピソードは、今年の大河ドラマ『光る君へ』でも取り上げられており、実はこの絵の題材にもなっています。『百人一首』に関する本でもしばしば紹介されたこの逸話は、当時の人々にもお馴染みのものだったと考えられます。雪そのものは描かれていませんが、この絵をみた人々は、清少納言の巻き上げた御簾の先にある、白い雪の景色を思い浮かべたことでしょう。
江戸時代とそれ以前の著名な女性を題材にしたシリーズで、小野小町、静御前、加賀の千代などが取り上げられている。この絵の詞書は、戯作者の二代柳亭種彦が担当。画中の左右にわたる詞書には、ブロックの最後や読み始めに▲などの印が付されており、詞書を読み進める順番を知らせる案内の役割を果たしている。当時の草双紙(絵入り小説)に見られる形式を、浮世絵版画にも取り込んでいる。
雪をまとう女性
『百人一首』を題材にした浮世絵は多数刊行されており、葛飾北斎、歌川国芳、三代歌川豊国などがシリーズ物を手掛けています。その中で雪の情景を描いた作品を紹介しましょう。
この絵は、幕末に制作された三代歌川豊国による「百人一首絵抄」シリーズの一点です。詞書の部分が巻物を連想させ、かるたの読み札と取り札が配される点は工夫が凝らされており、それぞれの和歌から連想される人物、主に女性の様子を描く形式で統一されたシリーズです。
江戸時代の女性の姿が描かれるこの絵は、光孝天皇の「君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪はふりつつ」の和歌を題材にしています。「あなたのために春の野原へ出かけて若菜を摘んでいると、私の着物の袖に雪が降りかかってきました」という意味となり、光孝天皇が女性の立場に立って詠んだ歌だといわれます。その和歌に関連して、この絵には雪の情景が描かれています。灰色の背景に細かな白い雪の粒が表現され、女性が下駄で踏みしめる足元にも雪が積もっている様子が分かります。傘を差し、頭巾をはためかせながら前傾姿勢で歩く姿から、必死に歩を進める姿が見て取れます。「君がため」の和歌のように、誰か(おそらくは恋人)のためにわざわざ雪の中を出かけてゆくのでしょう。女性の紺色の着物には、可愛らしい白い花模様が散らされていますが、これらはすべて花びらが六枚で、実は「六花」と称される雪の結晶を描いている点は注目されます。
この時代にどうやって結晶を知ることができたのか、と驚くかもしれませんが、実は十八世紀後半には顕微鏡が日本にも伝えられていました。鎖国中とはいえ、日本は長崎でオランダとの貿易を行ない、西洋のさまざまな文化が入ってきていたのです。顕微鏡もその一つです。古河藩(現茨城県)の藩主、土井利位(どいとしつら)が顕微鏡を使用して雪の結晶を観察し、183種にのぼる形を写し取り『雪華図説』という本にまとめました。私家版であった『雪華図説』は武家や公家への贈答品として用いられたといい、一般に流布したものではありませんが、鈴木牧之の『北越雪譜』という本に引用されたことで、広く知られるようになりました。雪の結晶の模様は「雪華模様」と呼ばれて流行し、狂言の衣裳や陶磁器の絵付けなど、さまざまな意匠に用いられるようになり、浮世絵にもよく描かれました。
この絵の女性の着物を、さらに詳しく見てみましょう。いろいろな形の雪華模様が描かれている中で、『雪華図説』に掲載の結晶と同じものが確認できます。例えば、渦巻模様にとげがついたようなこの模様は、『雪華図説』、『北越雪譜』ともに確認することができ、絵師の三代豊国が参考にしていることがうかがえます。
この作品のように、浮世絵にはさまざまな情報を読み解くおもしろさがあります。古典的な題材の作品に流行の装いを取り入れ、そのどちらの題材も楽しむことができるように、絵師も工夫を凝らしています。これから本格的な冬を迎えますが、降雪の際には、さまざまな雪華模様に思いをはせるのも楽しいかもしれません。
次回は新春にちなみ、浮世絵師が描いた絵双六を紹介します。
藤澤茜(ふじさわ・あかね)
神奈川大学国際日本学部准教授。国際浮世絵学会常任理事。専門は江戸文化史、演劇史。著書に『浮世絵が創った江戸文化』(笠間書院 2013)、『歌舞伎江戸百景 浮世絵で読む芝居見物ことはじめ』(小学館 2022年)、編著書に『伝統芸能の教科書』(文学通信 2023年)など。