「月刊太陽」1963-64 12冊を読む。第3回

アート|2021.10.28
文=井出幸亮|写真=赤澤昂宥

藤本やすしインタビュー 「月刊太陽」のエディトリアルデザイン。

数多くの雑誌デザインを手掛けるデザインオフィス〈CAP〉代表・藤本やすしさん。 そのキャリアをスタートしたのは、「月刊太陽」だった。その若き日に得たものとは。

平凡社に入社したのは1973年。最初の3年間は「月刊太陽」のデザインをしていました。僕が始めた頃にはすでに縦組で、もう多川精一さんら初期のスタッフもいらっしゃらなくなっていました。
 こうして初期の号のデザインを今見ると、まずは「古臭いなあ」という感想が出てくるけれど、全体に格調とか気品みたいなものがありますよね。フォーマットのあるグリッドデザインで、写真と本文、キャプションの端のラインがピタッと揃っていて。キャプションもそれぞれの写真の下につけてあり、級数も大きくてリーダビリティを確保してる。そういうデザインの“定石”をしっかり守っている。

創刊当時の誌面を眺める藤本さん。写真とキャプション、本文の位置がピタリと揃っている。

僕がやっていた当時も、「太陽」には守るべきルールがたくさんあったんですよ。「重いものは下に置け」とか。例えばひとつのページにお墓とわらじの写真があったら、必ずお墓を下にする。あと人物写真の顔の向きは必ず雑誌の内(ノド)側に向けるとか……そういう美意識やバランス感覚が受け継がれていたんでしょう。

あと写真がすごく「黒い」ですよね。僕らも「中間調の部分はつぶせ」と教えられていました。写真のスタイルは時代の気分を反映します。今はシンプルで軽くて、ちょっとトレンディな写真が好まれますが、当時はとにかく迫力のある、「強い写真が良い写真」という時代だった。

「太陽」の魅力である「美しいビジュアル」。それは写真の素晴らしさだけではなく、写真の美しさを生かした、エディトリアルデザイン哲学によってもたらされる。

「太陽」はとにかく写真を大事にする伝統があって、ページの流れや順番についてもうるさく言われましたね。デザイン会議はすごかったですよ。大きな会議室の広い空間にテーブルを一直線に並べて、その上に4×5のポジ写真を全部並べて。「こう来て、ここでピークになるんだよ」とか。すごく慎重に選んでいました。実際、今見ても素晴らしい写真ばかりです。

正直を言えば、ぼくら若いスタッフは当時、平凡出版の雑誌「アンアン」や「ポパイ」なんかの自由なレイアウトが輝いて見えて、羨ましいなと思ってました。だけど、やっぱり「太陽」で覚えたことは身体に刷り込まれてるんです。その後、独立してマガジンハウス(平凡出版から改名)の多くの雑誌のデザインをやってきたわけだから、そこに「太陽」のDNAが流れ込んでいるとも言える。そういう意味では、やっぱり“原点”ということになるんでしょうね。

「月刊太陽」創刊号。ここから雑誌「≈太陽」の歴史が幕を開けた。

ふじもと・やすし/1950年、愛知県生まれ。平凡社勤務を経て、1983年に「CAP 」を設立。80年代以降、「マリ・クレール」「GQ」「BRUTUS」「スタジオ・ボイス」「Casa BRUTUS」「VOGUE」「流行通信」など、数々の人気雑誌のアートディレクションを手掛ける。「月刊太陽」は1990年から休刊の2000年までADを務めた。

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