大正時代に子ども向きの絵雑誌でデビューしてから、激動の昭和時代に児童文化と日本美術界で大きな足跡を残した武井武雄(たけいたけお)。その生誕130年を記念した全国巡回展が目黒区美術館を皮切りに開催されている。
まず、武井武雄という名前を聞いて、すぐわかる人は「本の芸術」といわれる刊本作品に関心があるか、「童画の父」というイメージを持っているかもしれない。それはどちらもトップランナーとして燦然と輝く肩書きであるが、じつは画家であり、版画家であり、工芸家であり、造本家であり、詩人であり、まさにマルチアーティストという言葉がふさわしい才能の持ち主だった。
本展覧会では、いろいろな顔を持つ武井武雄の多彩な仕事の全貌を一堂に紹介している。そのユニークな活動と珠玉の作品をじっくり探訪してみよう。
空想の世界で育まれた芸術家魂
武井武雄は1894年(明治27)に、長野県諏訪郡平野村(現在の岡谷市)の名家に生まれ、裕福な家庭環境で育った。病弱で一人っ子だったため、空想の中の妖精「ミト」と語らい遊んでいたという。5歳くらいから絵を好んで描き、中学生のときには「椰子の実会」という洋画研究会をつくって画家への憧れを持つようになった。中学時代に描いた自画像が展示されているが、顔の陰影や光の効果は印象派の影響がみられる。もうこの頃には画家になる決意を固めていたといえる。
1914年(大正3)に、武井は両親の反対を振り切って、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学した。近年発見された入学当初に描いた風景画が展示されている。赤い建物は当時の巣鴨プリズンらしい。
絵画への傾倒も画家になる決意も、三つ子の魂百までというが、物心ついたときから自身のつくる幻想の世界を創作していた芸術家魂が、日々育まれてきた賜物なのであろう。
童画家・武井武雄の誕生
1919年(大正8)に東京美術学校を卒業した武井は、1921年(大正10)に中村梅と結婚する。家庭を持って生活していくため、武井は婦人之友社発行の『子供之友』に掲載する絵の依頼を受ける。そこでだんだんと本気で子どもの魂に触れる絵を描くことに目覚めていく中で、編集者の和田古江と運命的に出会い、新しい絵雑誌『コドモノクニ』の創刊に関わることになる。創刊号の表紙絵とタイトルロゴを武井が担当し、作家陣も北原白秋や西條八十、竹久夢二、村岡花子という豪華メンバーが揃った。
1925年(大正14)に武井は銀座の資生堂画廊で「武井武雄童画展」を開催、これが「童画」という言葉が使われた最初だった。そして1927年(昭和2)には、「日本童画家協会」を結成。名実ともに「童画家・武井武雄」が誕生し、活躍の場を広げていくのであった。
戦後の絵雑誌・物語の原画、独特なタブロー画の魅力
戦争中は郷里の岡谷市に疎開していたが、戦災で東京の池袋にあった家は焼失し、作品や貴重な資料もすべて失った。戦後に東京に戻ってきて板橋区南常盤台に新居を構えて、童画制作を再スタートさせた。『観察絵本キンダーブック』の編集顧問になり、童話や物語を題材にした作品に独特の夢想的な世界を描き、絵雑誌を明るく躍動的に彩った。
また、戦後のタブロー画(1枚で物語が独立して完結した絵)も、武井らしい緻密な構成と鮮やかな色彩で魅了される。異世界にいる動物や神様やお化けや妖精が親密につながっている不思議な作品である。奇妙な印象を受けるが、この幻想の中に詩的なイメージと生命の光源が放たれていて、見ていて心をつかまれる。武井は自身が創作する童画やタブローについて、次のような言葉を残している。
「幼い魂の奥底まで喰い入ってこれをよびさまし、育て、希望を持たせ、大人になってもまだ執拗に喰いさがっていようというためには、これこそたった一枚の切札があるだけ、それが『人的感応』である」(『本とその周辺』中央公論社)
芸術で人を感動させるためには、人間性を高めるための勉強を続けるのみ、それは生やさしいものではないと、自らに厳しく創作に取り組み続けていた作家だった。
版画アーティストとしての顔
じつは武井武雄は初期から晩年まで版画家として作品を発表し続け、あらゆる技法や素材を探求していたことを、今回の展覧会では重要なテーマとしている。
初期には昭和4年(1929)に蒐集した郷土玩具を題材にした〈おもちゃ繪諸國めぐり〉を伝承木版で制作して配布している。日本各地の郷土玩具がバラエティ豊かに取り上げられ、洗練されたデザイン感覚は今見ても斬新だ。
昭和19年(1944)に創作版画の第一人者・恩地孝四郎に推薦されて、日本版画協会の会員となった。その頃から図形を取り入れた抽象表現の版画を数多く発表している。創作版画は「自画・自刻・自摺」のすべての工程を行うことで、自分の思いのままにオリジナルの表現を追求できたことが、武井にとっては何よりやりがいがあったのだろう。その完璧主義の極みといえるのは、昭和13年(1938)に出版した銅版絵本『地上の祭』で、発行の告知から完成まで3年間をかけた限定200部の超豪華本であった。
『地上の祭』表紙 1938年 銅版 アオイ書房刊 イルフ童画館所蔵
“本の宝石”と呼ばれた珠玉の「刊本作品」
武井ファンたちが愛してやまない本の芸術といえば刊本作品シリーズで、昭和10年(1935)の第1作『十二支絵本』から亡くなる直前までライフワークとして制作を続けられ、全139作品が残されている。
現在、刊本作品の実物は岡谷市のイルフ童画館で入れ替えながら常設展示されているが、本展では選りすぐった刊本作品がイルフ童画館から出品されて来館者の目を楽しませてくれている。
刊本作品は、とんでもないアイディアと長期間を有する細かい作業と複雑な技法で制作された驚異の作品群である。たとえばNo.108『ナイルの葦』は、用紙に使用するパピルスを栽培するところから始めて完成まで4年半をかけた作品である。パピルスの皮を剥いて小槌で叩くという原始的な方法で、手作業で紙を1日に3枚漉いて、2000枚もの紙を準備するという途方もない手間をかけることを厭わずに完全な作品にする。妥協のない武井の美学が詰め込まれているのが一連の刊本作品なのである。ぜひ目の前でその現物を、制作過程の説明文を参考にしていただきながら、じっくり鑑賞いただきたい。
エピローグ “武井武雄が思う平和とは”
第二次世界大戦で心身両面からどん底を味わった武井は、疎開先から東京に戻ると「たとえ一掬(ひとすく)いほどの家でもよい、自分の家を持って童画や本作りの仕事をやりたいという思いで家の名を「一掬庵(いっきくあん)」とつけた。
平和な時代になって、子どもたちのための絵を描ける日々が戻った。しかし武井は以前のように家のインテリアに凝ったり、趣味の蒐集もしなくなった。そして娘の三春さんに、
「自分の心の中にある大切なものは誰も取ることも焼くこともできないのだ」
と語ったという。
本展の最終章では、武井が平和への想いを綴った作品が展示されている。刊本作品No.84『平和白書』の1枚に、狐が「平和とは山が狐だけの世界になる事である」と発言すると、ライオンが「俺の言う通りにしているのが平和というものだ」と吠えるという山の平和会議の様子が描かれている。まさに今も世界で同じようなやりとりが指導者の間で繰り返されていて、武井が書いているように「いつまでたっても終わらない」。
では武井はどのようにして平和を守ろうとしていたのだろうか。その想いを物語る作品〈星曜日〉に添えられた詩に次のような言葉がある。
「もしも愛するものがあったら遠くにおいて手を伸さない事にしよう。征服は又の名を惨敗という」
武井は痛烈な批判を詩の中に込めつつ、絵の中では日常を営む動物たちの上に星が煌めいて見守っている静謐な時空を描いている。
本展は副題で「幻想の世界へようこそ」と謳っているが、武井が本来描きたかった幻想の中に美しい真実があることを感じ取ってもらいたいという意図があるのではないだろうか。
黒柳徹子さんとの共作絵本とデザイナー・秋岡芳夫の童画も展示
黒柳徹子さんが書いた物語と武井武雄の絵による合作の絵本『木にとまりたかった木のはなし』の原画も特別に紹介されている。じつは絵本の制作が決まってから突然、武井が急逝してしまい、娘の三春さんが武井の絵の中から物語に合うものを選んで奇跡的に絵本が出来上がったという。きっと黒柳さんと武井の感受性に通じ合うものがあったのだろう。
そして、目黒区美術館ならではの企画として、「日本童画会と秋岡芳夫」というコーナーも設けられている。秋岡芳夫(1920-97)は目黒区ゆかりの工業デザイナーで、武井とは「日本童画会」で活動を共にしていた。その設立当時の貴重な資料や、秋岡が日本童画会に出品した幻想的な童画などが紹介されている。
さらに、武井武雄の人的なネットワークを相関図にして紐解くイベントも予定されていて、さまざまな角度から武井武雄の魅力に触れられる機会となっている。
展覧会概要
生誕130年 武井武雄展
〜幻想の世界へようこそ〜
東京 目黒区美術館
会期:2024年7月6日(土)〜8月25日(日)
開催時間:10:00-18:00 (入館は17:30まで)
休館日:毎週月曜日/ただし7/15(月祝)と8/12(月祝)は開館、7/16(火)と8/13(火)は休館)
観覧料:一般900円、大学生・高校生・65歳以上700円、中学生以下無料
問合せ:03-3714-1201
公式ホームページ:https://www.mmat.jp
大人のための美術カフェ
本展担当学芸員が武井武雄刊本作品の魅力について語る。数冊の刊本作品を手にとって鑑賞できる。
日時:8月3日(土)16:00〜17:00
参加方法・定員:当日先着順20名程度
トークイベント 武井武雄のネットワーク
「民藝運動」の周辺を探る調査や立体的な相関図に表して展示会を行う「アウト・オブ・民藝」の活動をする二人が武井武雄の人的なネットワークの見どころを語る。
講師:軸原ヨウスケ(デザイナー、アウト・オブ・民藝)、中村裕太(アーティスト、アウト・オブ・民藝)
日時:8月24日(土)15:00〜16:30
参加方法・定員:当日先着順50名程度
別冊太陽新刊
別冊太陽 日本のこころ317「武井武雄の本 幻想世界のマルチアーティスト」
監修=イルフ童画館
定価:2,750円(本体2,500円+税)
A4変型判 168ページ