「作品」1939年(モダンプリント制作:2023年)

「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」
東京ステーションギャラリー

アート|2024.3.4
エディター=竹内清乃

「流氓(るぼう)ユダヤ」シリーズや「犬」(1935)という作品などで、孤独で沈鬱な印象を与えてきた写真家・安井仲治。いま大規模な生誕120年記念展が、東京ステーションギャラリーで開かれている。
安井の作品に持っていた先入観は本展の初期作品群の展示から覆り、繊細な芸術センスと進歩的な思考性に安井という写真家の本領を見ることができた。

初期の「都会風景」のスナップショット

1903(明治6)年に大阪の豊かな商家に生まれた安井仲治。10代末に関西有数の写真同好会、浪華(なにわ)写真倶楽部に入会する。恵まれた境遇のアマチュア写真家というところだが、安井の目指していたのは芸術写真であって、最初から非凡な表現力を発揮していた。
1922年発表の「都会風景」と題した作品はゼラチン・シルバー・プリントで制作され、クラシックな色調の柔らかな画面と、プリントの質感が滑らかな、絵画のようでもありオブジェともいえる作品である。当時の大阪の街角を、そっと映し取るようなスナップショットの手法が現れている。
本展は戦災を逃れたヴィンテージプリントが約140点展示されていることも貴重である。

「(都会風景〈2〉)」 1922年頃 個人蔵(兵庫県立美術館寄託)
「駅頭の昼」 1922年 個人蔵(兵庫県立美術館寄託)

リアリズム写真の先駆け

1930年代に入ると、「メーデー」連作など、小型カメラで労働争議の現場をルポルタージュ的に撮影するスタイルに移っている。群衆の動きを伝えようと傾斜したアングルで迫ったり、工事現場の建築物と人物の顔をフォトモンタージュするなどの作画的写真が次々と展開され、挑戦的なパッションがあふれている。後に土門拳が安井仲治の遺作集を目にして「写真とはかくあるべきものだ!」と叫んだというエピソードがあるが、まさにリアリズム写真を先取りした傑作がこのときに生まれている。

「メーデーの写真」 1931年 渋谷区立松濤美術館(モダンプリント制作:2004年)
「(凝視)」 1931年(モダンプリント制作:2023年)

死の影がただよう気配

1930年後半、安井は弟と妹、次男を亡くし、妻の誠子が肺結核を患うという近親者の辛い状況に見舞われている。この頃に撮影されたハイコントラストの「蛾」、檻に閉じ込められた乾いたまなざしの「犬」に、死の影を感じて震撼とさせられるのは、彼の私生活の苦しみも投影されていたからかもしれない。生死の境界をファインダーを通して眺めてフィルムに定着した生き物の姿には、現実を離れたシュールな気配が漂っている。

「犬」 1935年(モダンプリント制作:2023年)
「蛾(二)」 1934年 個人蔵(兵庫県立美術館寄託)

シュルレアリスムの影響

1937年から翌年頃まで、シュルレアリスムに影響を受けた活動を展開している。安井は前衛写真を牽引していた丹平写真倶楽部に所属して、写真を使って世の中の新たな側面を探求する試みに熱中した。同じ頃、瀧口修造や永田一脩らのシュルレアリストが「前衛写真協会」を結成している。安井は「器械で写した画面が勝手に画かれたものにもまさって夢を持つ‥‥現実そのものの幻想‥‥これが可能であると思ふだけでも面白い」と綴っており、創作意欲を掻き立てられるシュルレアリスム的表現に喜びを見出していたのだった。1937年は日中戦争が開戦されて、巷での撮影にも厳しい視線が注がれ、軍の抑圧が強まっていた。

「(虫)」 1938年頃 個人蔵(兵庫県立美術館寄託)

「山根曲馬団」シリーズ

1940年、安井は丹平写真倶楽部のメンバー(この中には漫画家・手塚治虫の父の手塚粲がいた)とともに、山根曲馬団を撮影した。山根曲馬団の公演には子供たちを連れて訪れていたという。この一連の撮影でモデルとなった「サーカスの女」の日本人的な風貌は、不思議な郷愁を誘う。初期のモダンな作風から比べると、いかにも泥臭いがインパクトはこちらの方が強い。一貫して安井は写真表現の向上に努めてきて、晩年にいたるまで新しいテーマに相対し挑んでいる。

「(サーカスの女)」 1940年 個人蔵(兵庫県立美術館寄託)

「流氓ユダヤ」シリーズ

1941年、迫害から逃れてアメリカに向かう途中に神戸に居留していたユダヤ人を丹平写真倶楽部の有志たちと撮影し、第23回丹平展で発表した。愛用のライカで対象に寄って撮影したスナップの数々は、彼らの「顔」をドラマティックに切り取っている。画面のコントラストが濃く、彼らの過酷な面が影の部分に黒く沈んでいるように見える。この「流氓ユダヤ」シリーズを撮影から1年後に安井は腎不全で38年の短い生涯を閉じた。

「流氓ユダヤ 窓」 1941年 個人蔵(兵庫県立美術館寄託)

安井仲治の魅力は、停滞することを否定して、新たな表現の可能性を追求し続けたところだろう。彼が『丹平写真倶楽部会報』に寄せた「写真家四十八宜(しゃしんをうつすひとよんじうはちよろし)」という心得書きがあるが、最後を締めくくる言葉が安井の写真人生を物語っている。
「きようの写真より明日の写真よろし」。
ここでは紹介しきれない珠玉の作品の数々、すべてよろし、とあえて言いたい。展覧会図録も充実している。

展覧会概要

「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」
会場:東京ステーションギャラリー
会期:2024年4月14日(日)まで
休館日:毎週月曜日(4月8日は開館)
開館時間:午前10時〜午後6時(金曜日は午後8時まで)最終入場時間午後5時30分まで(金曜日は午後7時30分まで)
料金:一般1,300円、高校・大学生1,100円、中学生以下無料
問合せ:03-3212-2485
東京ステーションギャラリー公式サイト:https://www.ejrcf.or.jp/gallery/

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