「幕末土佐の天才絵師 絵金」 あべのハルカス美術館

アート|2023.5.11
坂本裕子(アートライター)

謎の絵師・金蔵。土佐の風土が生んだ魅力のひみつ

 幕末から明治初期の土佐(現・高知県)で、中央(江戸・京都)とはつながらず、独特の輝きを放った絵師がいた。絵師・金蔵。略して「絵金さん」の愛称で土佐っ子に親しまれたこの絵師は、あまたの芝居絵屏風などを遺している。その画風は、同時代のどの絵師とも異なり、一度見たら忘れられなくなるほどに鮮烈な印象を与える。
 こうした絵金の屏風絵は現代でも変わらずに、夏祭りの数日間、高知県内各所の神社や店の軒先に飾られて、真夏の夜の闇の中、蠟燭や提灯の灯りに浮かび上がり、多くの人を魅了している。「土佐の絵金祭り」の名でご存知の方も多いだろう。

 この絵金の代表作が一堂に会する展覧会が、大阪・あべのハルカス美術館で開催中だ。
 現存が確認されている芝居絵屏風は約200点。それらから代表作をはじめ、絵馬提灯や五月の節句の幟、そして貴重な軸画や白描画を含むおよそ100点が集結する(前・後期で一部展示替えあり)。

 絵金がかつて注目されたのは、1970年前後のこと。1966年の雑誌『太陽』での特集をきっかけに一大ブームが興り、小説や舞台、映画にもなって、東京・大阪の百貨店などで「絵金展」が開催された。安保闘争や万博への賛否など、社会が揺れ動いていた時代、絵金の“妖しい”画風はその気分と波長が合ったのだろう。
 その後、地元高知県立美術館では、1996年と2012年に大規模な展覧会も開催されたが、基本的に高知の祭りのための作品としてほとんどが神社や自治会、町内会、公民館に分蔵されているため、なかなかまとまって見る機会がない。

 本展は、高知県外では半世紀ぶりとなる大規模展だ。
 そこには、2005年に高知県香南市赤岡町に「絵金蔵」が創設され、2015年には香南市野市町にオープンした創造広場「アクトランド」に「絵金派アートギャラリー」が設置されるなど、近年その画業が再評価され、美術作品として保存・修復、研究、展示する環境が整ってきたこと、また日本美術史における「奇想」ブームのなかで紹介されたことなどが寄与している。

 絵金蔵およびアクトランド、そして各自治会や町内会の全面協力を得た本展は、多彩で豪華な作品で、絵金の類稀なる個性と魅力を堪能できる内容となっている。
 なかでも、コロナ禍の規制のもと再開された2022年の高知の夏祭りの取材も活かしつつ、会場に夏祭りの際に飾られる絵馬台を一部再現し、絵馬提灯も点灯した状態で見られるようにされた空間は、作品そのものの魅力と併せて実際に高知にいまも息づく絵金の姿を体感させてくれるだろう。

「幕末土佐の天才絵師 絵金」 会場入り口

 絵金の生涯は謎が多い。近代にかかる生涯であるのに謎めいた絵師であることも魅力をいや増しにする。
 絵金は文化9年(1812)、高知城下・新市町(現・はりまや町)の髪結いの子として生まれたと伝えられる。幼いころから画才を発揮したようで、地元の南画家や藩の御用絵師に学び、文政12年(1829)、18歳の時に、、元藩主の息女・徳姫の出府に際し、駕籠かきとして江戸にのぼり、駿河台狩野派系の土佐藩御用絵師のもとで3年ほど修行したという。帰郷後は、土佐藩家老の御用絵師として林洞意(とうい)を名乗り、順風満帆なスタートを切る。しかし、33歳の頃に林姓と御用絵師の身分をはく奪され、城下追放となった。贋作事件に巻き込まれたためとも言われるが、詳細は不明。以降、町医者の弘瀬姓を買い取り、町絵師として土佐の各地で過ごしたとされる。
 この間、友竹、友竹斎、雀翁などの多くの画号とともに本名も度々変えている。絵金は自ら名乗ったものではなく、土佐っ子たちの間で愛称として広まった名だ。
 絵金とその弟子筋の手によると思われる作品は多数遺され、伝聞と併せて藩内を転々としたと推測されるも、いつ頃、どこで、どんな仕事をしていたのか、確かな資料は全く残っていないのだそうだ。

 明治9年(1876)、65歳で没したことを記す墓碑銘によると、金蔵から絵の手ほどきを受けた者は数百人いたとされ、絵馬屋、紺屋(染物屋)、土佐凧の職人など、多彩な職業に名の知られた門人もいるという。絵金本人の作と同定される作品も限られており、「絵金派」として弟子筋の手も含め、その作風は昭和初期まで継承され、作られていたようだ。

 展覧会はシンプルな3部構成。

 まずは、絵金の基準作にして最高傑作として名高い、赤岡町の4地区が所蔵する芝居絵屏風で、その迫力と魅力を堪能する。
 現存する23点のうち、なんと21点が前後期に分けて紹介される。うち5点は、東京での修復後の初展示となる。

第1章 絵金の芝居絵屏風 展示風景から
第1章 絵金の芝居絵風屏風 展示風景から

 絵金の作品で、最大の特徴がこの二曲一隻の屏風絵だ。
 真ん中で折りたたむため、左右に人物を配した構成で表されるのは、芝居のクライマックスシーンだ。
 江戸や上方で流行した浮世絵と異なるのは、その構図とともに、「役者絵」ではないこと。特定の役者の絵姿ではなく、あくまでも物語の情景を描き出すのだ。
 また、背景には、いわゆる異時同図法で同じ人物や物語の別シーンが描かれて、絵の中で筋を追っていける。それはまるで物語が奥からずんずんと手前に進んできて、最後に目の前で、バーンとクライマックスがはじけるような躍動感で迫ってくる。

浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま) 鈴ヶ森 二曲一隻屏風・紙本彩色 香南市赤岡町本町一区 ※前期展示(4/22~5/21)
因幡国鳥取藩士で数え18歳の時に藩内で殺人を犯し江戸へ逃亡してきた白井権八が、鈴ヶ森の処刑場で大立ち回りをしているところに、江戸の侠客として知られた幡随院長兵衛が来合わせた瞬間を描く。提灯の灯りの中に浮かび上がるのは、凄惨な殺戮の跡のなか、黒装束の権八の美しい若衆ぶりと、江戸の粋を体現する長兵衛の貫禄と風体。この後、権八は長兵衛のもとに居候することになる。四世鶴屋南北の世話物語のシーンは、みごとな対比と緊迫のなかに描かれる。
伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき) 累(かさね) 二曲一隻屏風・紙本彩色 香南市赤岡町本町二区 ※後期展示(5/23~6/18)
仙台藩・伊達家のお家騒動に、幽霊譚の累が組合わされた物語。お家のために君主をたぶらかす遊女・高尾を殺害した足利家お抱えの相撲取り・谷蔵は、知らずに高尾の兄の家に匿われる。そこで出会った累と夫婦になるが、殺された高尾の呪いで累の容貌は醜く変貌していた。夫婦のもとに君主の許嫁・歌方姫が逃げてくると、自身の醜さを知ってしまった累は、姫の美貌に嫉妬し、彼女を殺そうとする。女の美醜を巡る闘いのシーンは、火の玉になってただよう高尾の怨念とともに壮絶で、力自慢の谷蔵(与右衛門)や、歌方姫を売り飛ばして金銭をせしめようとしている悪党・金五郎をも圧しているようだ。このあと、伊右衛門により累は鎌で殺害される。奥に描かれているのは、姉妹の哀しい因縁を解脱させるために旅に出る兄の姿。

 一見、ごちゃごちゃと盛り込んだ画面はしかし、その構図の勢いも、視覚的インパクトも損なってはいない。むしろ、あちこちに配される変な顔や間の抜けた姿の人物たちを見つけて思わず吹き出してしまうユーモアも満載なのだ。なかには隠し落款といわれる“こっそりサイン”を潜ませたお茶目な作品も。
 妖しく残酷なシーンで知られている絵金だが、「血みどろ絵」といわれるような血しぶきの飛ぶ図は、実はそれほど多くなく、悲劇や厚情の感動的な場面が選ばれている。画そのものの迫力はもちろんだが、主題となっている物語のあらすじを追って、その表情や姿態に、登場人物たちの感情を読みとりたい。(会場にはキャプションには簡単なあらすじもある)

花衣(はなごろも)いろは縁起 鷲 二曲一隻屏風・紙本彩色 香南市赤岡町本町二区 ※後期展示(5/23~6/18)
江戸時代初期に実在した僧・玄恕の幼少期の物語から。甲斐国の松江家家臣、山中左衛門は、許嫁がいるのに、自分に仕えていた小督と子までもうけたため、志賀の里に隠れ住んでいた。ある時、牛の背に乗せていた子が大鷲にさらわれる。この子が随波上人に助けられ、僧・玄恕となり、紆余曲折を経て6歳の時に父母と再会する。ここでは子がさらわれる瞬間を描く。乳房も露わに必死の形相で追う母と、鷲にとびかからんとする父の激しい動きがみごとにとどめられている。緊迫のシーンながら、仰天して指をさす隣家の百姓やびっくりして駆け去る牛の姿は笑みを誘う。
第1章 絵金の芝居絵屏風 展示風景から
左:芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ) 葛の葉子別れ 二曲一隻屏風・紙本彩色 香南市赤岡町本町一区 ※前期展示(4/22~5/21)
現在でも上演される人気の演目は、陰陽師・安倍晴明の母が狐だったという伝承から、母子の別れのシーンが描かれる。妻を失った安部保名は悲しみに発狂するも、その妹・葛の葉姫と出会い正気に戻る。子どもも生まれ、幸せに暮らしていたが、本物の葛の葉姫が訪ねてきたことにより、姫の正体が狐だったことが露見する。正体を見破られた狐は子どもを置いて去り、本物の姫がその子を育てることになる。泣きながら去る狐(尻尾が見えている)とその母を慕う童子を止める保名と葛の葉姫、苦悶するような葛の葉姫の父が描かれる。
右:源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき) 松波検校(けんぎょう)琵琶 二曲一隻屏風・紙本彩色 香南市赤岡町本町一区 ※前期展示(4/22~5/21)
人形浄瑠璃初演のこの演目も歌舞伎で人気だ。平清盛により幽閉されている後白河法皇のもとを、琵琶法師・松波検校(実は源氏方の武士多田蔵人行綱)が訪ねる。幽閉される宮に仕える仕丁のひとり(実は平家方の武士)が腰元として潜入していた行綱の娘・小桜をとらえ、父の名を明かせと責め立てる。折檻を受けるも父の名を明かさない娘と、琵琶を所望され、検校として心を乱しながらも演奏をする父との苦痛と悲しみを表した作品。

 このほか、狩野派に学んだ画技を感じさせる軸画や、郷土愛を感じさせる土佐の風物や震災の様子を描いた絵巻や画帖も紹介される。

第1章 絵金の芝居絵屏風 展覧風景から ※半期で展示替えあり
芝居絵屏風以外に、狩野派から学んだ画技を感じられる貴重な肉筆画も並ぶ。
第1章 絵金の芝居絵屏風 展示風景から
土佐年中風俗絵巻 巻子・紙本彩色 個人蔵(高知県立美術館寄託) ※半期で巻替えあり
正月から12月まで、土佐の民衆の姿を四季の風俗の中に描く絵巻。3月、ひな壇の前で女装して踊る人物、5月の初鰹には浄瑠璃の座頭を呼び、鰹の前で子どもの踊りを家族で楽しむ姿、夏には各地に古くから伝承されるという蛸の芋泥棒の情景が描かれる。いずれも生き生きとした人びとが表され、土佐っ子への絵金の温かいまなざしが感じられる。年の瀬の歳の市の露店の幟には、絵金の画号「友竹」の隠し落款があるそうだ。探してみて。

 次いで、現在も伝わる夏祭りで絵金の作品を飾るために立てられる絵馬台2台を再現し、同じく夏祭りの夜を彩る絵馬提灯を灯した状態で展示する空間で、絵金の作品が生まれ、享受され、伝えられてきた歴史を、空気とともに感じる。
 会場では照明も昼から夜へと変化するように工夫され、光によって見え方が変わっていく様子も体感できる。なかなか実際の祭りに行くのは難しいなか、嬉しい趣向だ。

朝倉神社 夏祭り(撮影:2022年7月24日)
この神社では、参道をまたぐ山門型の絵馬台が6台組み立てられて、拝殿まで表裏12面を24点の屏風絵が飾る。
第2章 高知の夏祭り 展示風景から
祭りの絵馬台を再現し、絵馬提灯も内部に灯りを灯して、高知での夏祭りを再現した空間。照明も昼から夜へと移り変わるので、見え方の変化も楽しめる。2022年の夏祭りで取材した写真やビデオも紹介されて、祭りが現代に生きていることを感じられる。

 絵金の芝居絵屏風を神社の夏祭りに飾る風習がいつごろ始まったのかは、定かではないものの、安政5年(1858)の年記のある屏風の保存箱と残された屏風の数から見て、江戸時代末頃からかなり流行したと考えられるそうだ。それらは、地域ごとに祭りの「見世物」として、その豪華さや奇抜さを競い、自慢し合って活性化したのだろう。

第2章 高知の夏祭り 展示風景から
八王子宮の夏祭りに組み上げられる「手長足長絵馬台」を再現した展示。中央部の唐破風(からはふ)の軒下の柱にほどこされた手長足長の彫刻は、この絵馬台を造った地元の宮大工・原卯平の実作品。このほか左右には昇り龍と下り龍があしらわれているそうだ。現在は香美市立美術館に寄託されている5点の屏風が並ぶ。

 多くは夏の夜、薄暗い照明でも映えるように強い彩色で描かれる。
 絵金の魅力の特徴のひとつに赤い絵具の絶妙な配色が挙げられる。この深く、鮮やかな赤により、画面はより鮮烈な印象を獲得している。ぜひ赤の配置に注目して作品を追ってみて。

須留田八幡宮神祭(撮影:2022年7月15日)
屋台やイベントもない静かな商店街で、それぞれの店の軒先に芝居絵屏風が飾られる。いまも和蠟燭と提灯の灯りだけで見る屏風は現在18点。いずれも高知県の指定文化財となっている、絵金の代表作だ。
第2章 高知の夏祭り 展示風景から
朝倉神社の参道を飾る絵馬の再現展示。右奥では2022年の祭りの映像も見られる。

 行燈(あんどん)絵とも呼ばれる絵馬提灯は、神社への奉納品として氏子たちの注文により制作された。毎年新調されるもののため、現存数は非常に少なく、ここまで揃う空間は貴重だ。特に石川五右衛門の生涯を描く「釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)」の絵馬提灯24点は、近年発見され、高知県外の展覧会では初公開の注目作。
 絵金が描くのは、歌舞伎や浄瑠璃の舞台上の情景のほかに、演目の元となった物語から直接にイメージした場面も多い。こうした文学や芝居への造詣の深さも絵金の独自性を引き立たせている。

左:釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ) 第十二 絵馬提灯・紙本彩色 創造広場「アクトランド」
盗みに入った家で、石川五右衛門は、寝入る母の傍で気配に気づいて目を覚ました子どもに行きあう。臆せずにこにこと寄ってくる姿に、7年前に別れた自分の女房と子どもを思い出し、別れた子と似た面差しを見て、思わず顔がほころぶ。そして子をあやすために、背負っていた葛籠を振り回して踊る。この後、実はこの母は実際に別れた女房だったことが判明する。悪党の心優しい一面を見せる、ちょっと意外な情景だ。
右:展示から 五右衛門が捕らえられるシーン
大捕り物の末、捕らえられて、市中引き回しの上処刑場へと向かう五右衛門とその子・五郎市が描かれる。
第2章 高知の夏祭り 展示風景から
左:絵馬提灯 図太平記実録代忠臣蔵の展示風景
右:図太平記実録代忠臣蔵 大序(垣間見) 絵馬提灯・紙本彩色 高知県立美術館(展示から)
大ぶりの絵馬提灯は、金蔵筆とわかっているもので、12枚揃いに忠臣蔵の名シーンが描かれる。『仮名手本忠臣蔵』は、高師直(こうのもろなお)が塩冶判官(えんやはんがん)の妻・顔世御前(かほよごぜん)に横恋慕することから事件が起こる。芝居では言い寄る師直をすげなくあしらうシーンはあるが、右の風呂上がりの素顔を覗き見ている場面はない。これは『太平記』にあるエピソードを金蔵がオリジナルで描き出したものらしい。師直をあきらめさせるために一計を案じた侍女が顔世の素顔を見せるも、その姿を見た彼はますます思いを募らせる。よだれを垂らす師直の表情がすごい……。
第2章 高知の夏祭り 展示風景から
絵馬提灯 釜淵双級巴の展示風景
人形浄瑠璃で初演の後、歌舞伎に取り入れられた大盗賊・石川五右衛門の物語が、25枚の絵馬にされたうち、現存する24枚が展示される(第17が欠落)。絵馬提灯は毎年造り換えられる消耗品で、しかも光を通す薄い和紙に描かれているため、現存数が少ないそうだ。そんななかで、近年確認された本作は嬉しい一堂展示だ。五右衛門の誕生秘話から、複雑に絡み合う親子の情、そして最後は捕らえられ、我が子とともに釜茹での刑に処せられるまでの波乱万丈な生涯を追うことができる。基本は浄瑠璃本に忠実ながら、誕生秘話や最後のシーンなどは、絵金のオリジナルな創作になっている。衝撃的なラスト・シーンまでじっくり追いかけたい。

 こうした祭りに芝居絵が選ばれた背景には、土佐人の気質が大きく関わっている。
 幕末、凋落傾向の権威を保ち財政を立て直すため、幕府は庶民の楽しみをさまざまな形で規制した。芝居や役者絵の禁止もその一環で、各藩も幕府の意向に従い一定の規制を課す。
 そのなかでも、土佐では、規制をかいくぐり、できる限りは芝居興業が行われていたことが、当時の土佐の僧侶や下級藩士が遺した日記からうかがえるそうだ。そこに綴られる民衆の姿は、自分たちも仮装して観劇に向かったり、災害の補修工事を祭りのように楽しんだりする、芝居好きで、苦しいことでもとことん楽しむ、土佐っ子のエネルギッシュな気質を伝える。

 最後に、屏風や絵馬、絵巻や軸絵以外の絵金の作品と、絵金と深い関わりのあった絵師の作品が紹介される。

第3章 絵金と周辺の絵師たち 展示風景から
左:神社に奉納され伝えられてきた絵馬。八坂神社に奉納された「八艘飛び図」(手前)は、板に金箔もほどこされた豪華な一作。椙本神社に伝わる「宝袋図」(奥)は、奉納年記が入り、絵金が55歳のときの制作とわかる貴重な一作。
右:河田小龍 義経千本桜 加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ) 横幟・紙本彩色 高知県立歴史民俗資料館 ※前期展示(4/22~5/21)
小龍は絵金より12歳年下の土佐藩士で、狩野派と南画を合わせた幅広い画風の作品を描いた絵師だという。本人は金蔵には正式に入門していないと遺しているそうだが、「判官びいき」の語源ともなった源義経を主人公に平家の生き残りが絡む悲劇のシーンを描くこの幟の画はあきらかに「絵金」の系譜を継ぐ。金蔵の画に比べると、画面は整理され、動よりは静を感じさせるが、情景と登場人物の心理がよく伝わってくる芝居絵になっている。
こうした横幟は端午の節句の初午の祝いなどに制作されるもので、家の塀をぐるりと取り囲んだのだそうだ。その迫力は、注文者の財力を示すとともにさぞかし見る者を楽しませたことだろう。紙に描かれながら彩色も鮮やかに残っているのは奇跡的だ。全画面が一度に展示されるのは本展が初めてという必見の作。

 門人が多かったと伝えられる絵金だが、実際に門下だった者、門外で手ほどきを乞うた者、下絵をもらって倣った者、作品から影響を受けた者など、その実態はやはり不明で、簡単に「弟子」とは言い切れない人物もいるらしい。
 それでも、豪快な幟や屏風には、絵金の作風を継ぎつつ、それぞれの個性を活かして展開していった様子を感じられるだろう。

近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた) 盛綱陣屋 横幟・紙本彩色 原利夫(香南市赤岡町) ※後期展示(5/23~6/18)
大坂の陣で敵味方に分かれた真田兄弟を鎌倉時代の佐々木盛綱と高綱兄弟に置き換えて、源頼家と執権北条時政の権力争いが引き起こす悲劇の物語にしたもの。時政側についた盛綱に捕らえられた高綱の子・小四郎を人質に高綱をおびき出そうとする君主の意図を察した盛綱は、高綱を救うため、小四郎を切腹させてほしいと母・微妙(みみよう)に頼む。右は微妙が涙ながらに小四郎を説得する場面。小四郎は外に自分の母・篝火を見つけて逃げようとする。その奥には篝火をけん制する盛綱の妻・早瀬の姿が見える。
左の画面は、立派に切腹した小四郎を見届けた盛綱(奥)が主君を裏切った申し訳に切腹せんとしたところに、敵方の和田兵衛(手前)が現れて鎧櫃に潜む暗殺者を撃ち殺し、義理立てするなら高綱が再び挙兵した時にせよ、と諭すシーン。義と勇、親子愛と兄弟愛の葛藤が描かれる。
第3章 絵金と周辺の絵師たち 展示風景から
金蔵、宮田洞雪 養老の滝図 龍虎図 幟・布に彩色 土佐藩御用菓子舗 西川屋(展示から)
会場の最後に展示される、金蔵と、16歳年下で江戸・駿河台狩野派に学んだ絵師との合作である幟は、高さ449㎝という圧巻の3点組。真ん中の養老の滝図が金蔵の作という。高知の郷土菓子「ケンピ」で有名な老舗に、慶応2年(1866)に生まれた子息の初節句に贈られたものと伝えられる。

 制作年の判明している絵金の絵馬と併せ、絵金が弟子たちに与えたと思われる白描(下絵)も注目だ。極彩色の屏風絵のインパクトとは別に、闊達な筆からは、卓越した彼の画力を改めて確認できる。

第2章 高知の夏祭り/第3章 絵金と周辺の絵師たち 展示風景から
本展での注目のひとつがこの白描(下絵)の展示だ。彩色のない筆の運びは、いずれも絵金の確かな画力を感じさせてくれる。こうした下絵は絵金に師事していた絵馬屋、紺屋、凧絵の職人など、さまざまな弟子たちに与えられ、「絵金」の作風が伝承されていったようだ。
左は絵馬提灯 釜淵双級巴の第一の下絵(後期は展示替え)。右は絵金の弟子の家に保管されていたという芝居絵の下絵(通期展示)。これだけで飾っておきたくなる完成度のものもある。実際に屏風絵で彩色された本図が確認できる作品もあるので、会場で探してみて!

 御用絵師から町絵師へ、ドラマティックで謎多き生涯、確かな画力に裏打ちされた妖しさと勢いとユーモアをみごとに融合させた迫力の画、独自のまなざしによる芝居絵のオリジナリティ。それは、絵師・金蔵を幕末の天才絵師として美術史に刻むだろう。
 しかし、彼の真の魅力は、芝居を愛し、祭りを楽しむ土佐っ子の気質と風土があってこその輝きであり、それは、「絵金」という呼称が個人を超えて「絵描き」そのものを指すまでになるほどに愛されて、褪せることなく現代にも「祭り」という庶民の楽しみのなかに生きていることにある。

展覧会概要

「幕末土佐の天才絵師 絵金」 あべのハルカス美術館

開催内容の変更や入場制限を行う場合がありますので、必ず事前に展覧会公式ホームページでご確認ください。

あべのハルカス美術館
会  期: 2023年4月22日(土)~ 6月18日(日)
     ※会期中展示替えあり
開館時間:火~金10:00‐20:00(月・土日祝は18:00まで) 入館は閉館の30分前まで
休 館 日:5/22
観 覧 料:一般1,600円、大高生1,200円、小中生 500円、
障がい者手帳持参者とその付添者(1名)は当日料金の半額
問 合 せ:06-4399-9050

展覧会公式ホームページ https://www.ktv.jp/event/ekin/

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